あかりもり

「イサナさん、俺謝らないといけないことがあります」
綴が用事があると言って帰った後、維月が(いささ)か神妙な面持ちで口を開いた。
「何だ少年改まって。気持ち悪い」
「…俺、やっぱり約束を半分破る程度には悪い人でした」
すみません、と頭を下げる維月を、イサナはカウンターに頬杖を突いたまま眺めている。
「……だろうな」
え、と目を瞬かせる彼を見て、イサナの表情が少し可笑しそうに歪んだ。
「ここの人間に話した時点で、ここにいる人間には伝わると考える方が自然だろう。寧ろ馬鹿みたいに洗いざらい伝えなかったことを褒めてやっても良い」
あっけらかんと言う彼女に、維月が微かに笑った。ほっとしたような、でもどこか悲しそうな笑顔。
「……イサナさん」
「何だ」
ゆらりと、維月の双眸が揺れた。
「約束を破られたら、人は怒るものですよ」
「怒った方が良いのか?」
「いいえ。ただ、……怒りたいのを我慢されると、こっちは怒られるよりも辛いです」
我儘ですみません、と彼が笑う。維月の言いたいことが何となく、分かった気がした。
「怒る気もないから安心しろ。それより、そんな神妙な顔で目の前に居られた方が気が滅入る」
星來がちょっと可笑しそうに笑った。
「じゃあ透夏さん、私たちあれ配ってきますね」
そうだった。「暇な時に配っておいて」とチラシの束を置いておいたのを忘れていた。
「あ、うん。ありがとう」
一瞬ちらりと目を合わせたらしい少年少女が、号令を受けたみたいに同時に立ち上がる。この2人の間の取り方は、やっぱり驚くほどよく似ていた。
「じゃあ、行ってまいります」
「1人では手が回らないのか?」
イサナがそこまで疑問に思ってもいなさそうな声で問う。その言葉に、星來が笑って応じた。
「一気に配ってしまって、普段の半分の時間で戻ってきます」
「珍しいと思ったら、そういうことね。気を付けて」
ありがとうございます、と頭を下げて出て行く2人にひらりと手を振る。相変わらず、イサナは軽く片手を挙げるのみだ。
からん、という音が、耳に残る。
「……ねぇ、イサナってさ」
2人が出て行った扉をじっと見つめる彼女に向かって、口を開く。
「何だ」
「人を見る目があるよね」
くるりとイサナの目が此方を見た。「何を言っているんだ」とでも言いたげに、彼女の眉が僅かに顰められる。
「……何が言いたい」
「別に。ただ、助けを求めても良い人くらい分かりそうなのにと思って」
「助けてくれって言ったらお前が助けてくれるのか? 御伽話みたいだな」
「流石にそこまで傲慢じゃないけど。努力はするよ」
イサナが吐き出すように笑った。
「馬鹿にするな。私は助けなどを求めていない。食うも食わぬも生きるも死ぬも、その日の私1人の(ほしいまま)だ」
「1人で生きていけるわけないのに?」
「そうだな。でもこの私1人が好き勝手やって勝手に消えたところで、誰も困りはしないだろう? あぁ、家の連中は困るか」
ぺらぺらと喋り続ける彼女が嗤う。「良い気味だ」という言葉が、聞こえる。
誰も困りはしない?
(うるさ)い。
馬鹿にするなは此方の台詞だ。
「……お前は、もうちょっと人の力を学ぶべきだよ」
「お、説教か? 偉くなったものだな」
「あのさ」
ばちっと目が合う。彼女の俺を小馬鹿にするような表情が、一瞬揺らいだ。
「イサナ。お前、もうちょっと自分のことを人として」
「人として? 何だ日向」
彼女の双眸がぎらりと光る。
「自惚れるなよ」
俺を、静かに射抜く。
「私の判断は私のものだ。お前が踏み込めるものだと思うな」
座ったまま、イサナの目を見つめ返す。自惚れるな、か。そう言うなら、俺に自惚れさせる余地なんか与えなければ良い。
「……知ってるよ。そう言うなら、入って来なければ良いのに」
ここに踏み込んで来たのはお前の方なのだから。
イサナの目が、戸惑ったように僅かに揺れた。俺の視線から目を逸らして、ふっと笑う。
「……そうだな」
彼女がひとつ、息を吐く。いつもその手にあったスマホは見当たらない。
「そういえば今日、スマホ忘れたの?」
「いや、なんか面倒になってな。最近持ち歩いていない」
「……それはまた」
ふっと笑う。
「思い切ったことをするね」
「そうかもな。でも清々するぞ、デジタルデトックスってやつか」
「あぁ、いま流行りの」
便利になったと言ったり情報過多だと言ったり、忙しない世の中になったものだ。
「……悪かったな、さっきは。ちょっと外出てくる」
それだけ言って立ち上がると、彼女は真っ直ぐ扉へと向かった。ゴウと音を立てて、その隙間から強い風が吹き込む。
風の隙間を縫うようにして、イサナは静かに外に出て行った。
ふぅ、と息を吐く。
「透夏さん」
声の方を振り返ると、星來と維月が扉から顔を覗かせて此方を見ていた。いつから居たのだろう。
「珍しいですね。喧嘩ですか?」
「ううん、違う。ごめんね、入ってこられなかった?」
「いえ、今戻ってきたところですよ」
星來が店の中に入るのを待って扉を閉めた維月が、ふわりと笑う。星來が俺とさっきイサナが出て行った扉を交互に見ていた。
「追いかけなくて良いんですか?」
「……そんな義理はないよ。第一、営業中だし」
「あと5分で閉店なのに?」
星來が少し可笑しそうに笑う。さてはこの2人、共謀して俺を丸め込もうとしているんだろうか。
「もうこの時間からお客さんは来ないですし、残るはイサナさんだけですし、閉店準備は俺たちだけでできますし。ちょっと様子見てきたらどうですか」
「2人が行くっていうのはどう?」
俺も何だか面白くなってきて、ちょっと笑って応戦する。
「外寒いので嫌です。透夏さん行ってきてください」
彼女らしくない物言いに笑ってしまう。
「星來さん僕、一応直属の上司なんだけど。扱い雑じゃない?」
でもその単純明快な主張には何故か敵わなくて、立ち上がってしまった。
「はぁ。じゃ、様子見てくるからさ。閉店準備お願いします」
「承知しました」
星來と維月がまた可笑しそうにくすっと笑って言った。

扉を開けると、肌を刺すような冷たい風が身に滲みた。
「うわさっむ」
階段を上まで登り切った俺がそう言って現れると、イサナは少し驚いたように此方を見た。
「こんな寒空の下でわざわざ寿命を縮める人の気が知れないよ。珍しいね、吸ってるの」
「……こんな寒空の下に来るとは意外だな。吸わないだろ、お前」
彼女の手元でちらちらと紅い火が灯っている。
「うん、全く吸わない。今はね」
へぇ、と彼女が愉快そうに正面を向いた。
()めたのか」
「止めたというより、一時期自暴自棄になって吸うことに抵抗がなくなったことがあるって感じ。透夏と出会うちょっと前だから……8年前とかか」
イサナが煙を吐きながら笑った。
「その頃まだ二十歳(はたち)前だろう。不良少年だったんだな、日向は」
「イサナの言う不良の定義を聞きたいな。喧嘩とかはしてないよ」
笑ってそう言う俺に、吸っていた煙草を灰皿で潰したイサナは静かにその箱を俺に差し出してきた。
「…… ()めたって言ったじゃん」
「そうか? ここまで来た時点で1本くらい付き合う気があるんだと思っていた」
少し考えて、すっと音を立ててそれを取る。すぐさまライターを投げて寄越した彼女はやはり油断ならない。
「1/2本だけね」
「それじゃあ美味さも何も分かったものじゃないだろう」
「上等。煙草の味嫌いなんだよ」
やっぱり身体が覚えているもので、ライターを手に取るとすぐさま先端に火を点けて息を吸い込んだ。思い切り咳き込んだ俺を、イサナはどこか楽しそうに眺めている。彼女自身も箱から新たな煙草を取り出しながら笑った。
「どうだ?」
ずるずると壁に凭れるようにしゃがみ込んだ俺の頭の上から、イサナの凛とした声が降ってくる。
「……不味い。最悪。こんなの習慣化する人の気が知れない」
「酷い言いようだな。……日向」
「何」
顔を上げた俺に、イサナが静かに顔を近付けてきた。ジジッと音を立てて、彼女が咥えた煙草の先端に火が乗り移る。ちりっと散った火花が視界に焼き付いた。
「……やっぱり点けづらいな。一般化しないのも頷ける」
はぁ、と息を吐くと、夜空に音もなく紫煙が溶けていくのが見えた。
「……どういうつもり」
灰皿に手を伸ばして自分の煙草を押し潰しながら、何事もなかったかのように煙を吐き出すイサナを横目で見上げる。彼女の手元で光る灯が眩しかった。
「どうしたもこうしたもあるか。お前からライターを取り返すのが面倒だった」
久しぶりに吸ったせいかちょっと頭をくらくらさせている俺の手からそれを引ったくって、イサナは澄ました顔をする。
「変なところでケチるよね、小春は」
「その名前で呼ぶな」
「……嫌なの?」
ちょっと意地悪く言った俺をちらっと見て、彼女は困ったように笑った。
「……何故だかそこまで嫌じゃない。それが癪だ」
俺も釣られて笑った。彼女が意地でも俺のことを透夏と呼ばないことに抱く感情と、少し似ているのかもしれなかった。