「セナちゃん」
「はい」
振り返ると、見知った顔の常連さんが紙袋を持って立っていた。此方のご婦人は、いつも私のことをセナと呼ぶ。維月や透夏さんが「彼女、セイラって言うんですよ」と何回か言っているのを聞いた気がするけど、修正された記憶はない。私は別に拘りがあるわけでもないし、名前を呼んでくれるだけで嬉しいので特に気にしていないのだけど。維月曰く、「発音の仕方でセラに聞こえることはあるかもしれないけど、セナは最早別人みたいで悔しい」らしい。別に良いのに。
「もうすぐクリスマスでしょう? だからもし良かったらこれ、お店の皆さんで食べて。大したものじゃないけど」
クリスマス? そういえばクリスマスは12月の行事だったか。24日なのか25日なのか分かっていないことには目を瞑って、差し出された洒落た紙袋を受け取る。
「え、良いんですか? ありがとうございます。2人も喜びますよ」
その2人はいまカウンターの奥の方で別のお客さんと談笑している。
でもこんな素敵なもの、と呟くと、彼女は私の言葉を快活に笑い飛ばした。
「良いの良いの、いつもお世話になってるんだから、是非貰ってちょうだい」
続けて「人の厚意を無理に受け取る必要はないけど、躊躇の中身が遠慮だけなら受け取っておきなさい」と言われて、頬が少し緩むのが分かる。
「……ありがとうございます。いただきます」
私の言葉に頷いて、ご婦人が嬉しそうに微笑した。
「じゃあ、また来るわ。2人にもよろしくね」
「はい、ありがとうございます。お気を付けて」
クリスマスに勉強道具以外のものを貰ったのは初めてだと気付く。お菓子を貰ったのも勿論初めてだ。冬の寒さは増していくばかりなのに、不思議なくらいに心がぽかぽかとしていた。
「星來、それなに?」
此方のやり取りに気付いたらしい透夏さんに問われて、「クリスマスだからと、お菓子いただきました」と答える。扉に手を掛けていたご婦人が振り返って、少し照れくさそうに笑った。
「良いんですか? ありがとうございます」
「いいえ。メリークリスマス」
少し浮いた台詞なのに、それが彼女の口にすんなりと馴染んでいることを不思議に思った。
「そんな時期か。早いもんだなぁ」
カウンターの席に座って維月と話していたらしい紳士が、ご婦人が出て行った扉を眺めながら呟く。
「3人は、クリスマスプレゼント何貰うの?」
彼に問われて、透夏さんが静かに苦笑いした。
「……僕はもうプレゼント貰う年代をかなり前に通り過ぎてますよ」
「えぇ? 日向くんいま幾つなの」
「27です」
「俺たちからすると子供みたいなもんだろう」
無理がありますよ、と透夏さんが笑う。それを眺めながら、私と維月も声を上げて笑った。
「あ、なんか美味しそうなの食べてる」
聞き馴染みのある声に振り返ると、後ろ手に扉を閉めた綴くんが私たちの手元を覗き込むように眺めていた。
「営業時間中でしょう。何やってるんですか」
「まだ食べてはないんだけど……耳が痛いなぁ。この時間人いないから良いかなと思って」
言い訳をする透夏さんを横目に、維月が「綴も食べる?」と問いかける。隣に座った音楽家の彼も共犯にする気満々だ。
「え、店の人たちにって貰ったやつじゃないんですか?」
「そうだけど……せっかくだし」
良い? と維月に訊かれて、ひとつ頷く。みんなで食べた方がきっと美味しい。
「じゃあ、透夏さん三つ食べてください。私と維月と綴くんで2個ずついただきます」
「えー僕ちょっとで良いよ」
「透夏さんは私たちの上司なので、一番得をする権利がありますよ」
微笑してそう言うと、綴くんが可笑しそうに声を上げて笑った。
「星來さん、それ昨今の世の中には怒られる価値観です」
綴くんに言われて、困りつつも釣られて笑ってしまう。「昨今」なんて、急に堅い言葉を使う子だ。
「じゃあ一番誕生日が近い人が三つ貰うことにしましょう。透夏さん何月ですか?」
「1月。6日かな」
「へぇ、もうすぐだ。俺3月です、維月さんと星來さんは?」
「俺9月の24」
「12月、2日」
「此間じゃないですか、言ってくださいよ! 知ってたら祝ったのに。てか維月さんも」
「え、……ごめん。興味あると思ってなくて」
「維月さん自己肯定感低いー」
綴くんの呆れたような声に、維月と目を合わせて苦笑いしてしまう。彼と同じ思考回路だったことを言及したら、綴くんが更に呆れてしまいそうだ。
「で? 星來と透夏さん、どっちが近いの?」
維月が誰にともなく訪ねたのを聞いて、少し考える。
「今日何日?」
「20」
「じゃあ1日差で透夏さん」
「計算はっや」と綴くんが笑う。そうでもないよと返しても、彼は欠片も信じていないようだ。それが何だか、少し可笑しかった。
バン、と突然聞こえた大きな音に、振り返る。
「お、4人揃っているのか。久しぶりだな」
扉の後ろから顔を覗かせたイサナさんに、透夏さんが盛大に溜息を吐いた。
「………お前なぁ、」
「そうカリカリするな日向。身体に悪いぞ」
「誰のせいだよ」
透夏さんは、イサナさんの荒っぽい振る舞いによく文句を言う。いつもの穏やかな調子との差に最初はびっくりしていたけど、今は寧ろその不完全な人間らしさが見ていて楽しい。以前「透夏さん、イサナさんと仲良しですよね」と言ったら本気で不思議そうな顔をされて、余計に可笑しかったのを思い出した。
「久しぶり、って。あんたが来ないだけで、俺とこの3人はよくここで駄弁ってるんだよ」
綴くんの声によって、記憶の海から引き揚げられる。確かに最近すれ違いが多くて、綴くんとイサナさんが並んでいるのを見るのはおろか、彼女とちゃんと顔を合わせるのも久しぶりな気がした。
「私は久しぶりに見るんだ、そう言って何が悪い」
「うわぁ自己中」
大袈裟に顔を顰めた綴くんに、思わず笑ってしまう。いつもの調子に見えるイサナさんに安心したこともあるのかもしれない。
「で? 童も巻き込んで、店全体で経営放棄か。思い切ったことをするな」
綴くんの横、透夏さんの向かいに座ったイサナさんに、「放棄はしてませんよ」と維月が笑う。透夏さんのいつもの言い訳の調子に少し似ていた。
「客からの贈り物か? 割合に良いものを貰ったな」
「一言余計だよ」
透夏さんの言葉に笑った綴くんが、「ねぇもう食べて良いですか?」と維月に問う。お預けを食らった犬はこんな感じなんだろうなと思って、ちょっと笑ってしまった。
「綴、それ俺がダメって言ったらどうするの?」
「泣き喚きます」
それは大変だ。
「……星來さん、何が可笑しいの」
「え? ううん何にも。食べよう」
「……はい」
くすくすと笑う私に明らかに納得してなさそうな表情が、何だか幼気で可愛らしい。
「維月さん、星來さんってもしかしてゲラ?」
「さぁ。知らない」
維月も可笑しそうに顔を歪めながら、お菓子の箱に手を伸ばしていた。
「日向、お前の分は何個だ?」
「……3? で、良いの?」
「はい」
「ふぅん」と口の中で呟いて頬杖を突くイサナさんに、「あげないよ」と透夏さんが予防線を張る。
「寄越せ」
「嫌だって」
「何故だ? 1人で3個もいらないだろう」
「美味しく食べられる量なのに、わざわざイサナにあげるのは癪だ」
ケチだ何だと言いながら、イサナさんもお菓子の箱に手を伸ばす。「あ」という私と透夏さんの声が、重なった。
「……ふぅん。案外美味いな」
「案外とか言うなら食べるなよ……」
透夏さんは既に自分の分を守ることを諦めたみたいで、2個目に手を伸ばすイサナさんを呆れたように眺めている。
「あんた、透夏さんの分全部食べるとか人の心がないのか?」
綴くんは既に、自分の分の2個をぺろりと平らげていた。
「全部は食べてない、1個は残してあるじゃないか。本当に人の心がない奴は全部食べてしまうぞ、なぁ日向?」
「……そうかもね」
見るからに不満気な透夏さんを見て、維月が可笑しそうに笑った。
「はい」
振り返ると、見知った顔の常連さんが紙袋を持って立っていた。此方のご婦人は、いつも私のことをセナと呼ぶ。維月や透夏さんが「彼女、セイラって言うんですよ」と何回か言っているのを聞いた気がするけど、修正された記憶はない。私は別に拘りがあるわけでもないし、名前を呼んでくれるだけで嬉しいので特に気にしていないのだけど。維月曰く、「発音の仕方でセラに聞こえることはあるかもしれないけど、セナは最早別人みたいで悔しい」らしい。別に良いのに。
「もうすぐクリスマスでしょう? だからもし良かったらこれ、お店の皆さんで食べて。大したものじゃないけど」
クリスマス? そういえばクリスマスは12月の行事だったか。24日なのか25日なのか分かっていないことには目を瞑って、差し出された洒落た紙袋を受け取る。
「え、良いんですか? ありがとうございます。2人も喜びますよ」
その2人はいまカウンターの奥の方で別のお客さんと談笑している。
でもこんな素敵なもの、と呟くと、彼女は私の言葉を快活に笑い飛ばした。
「良いの良いの、いつもお世話になってるんだから、是非貰ってちょうだい」
続けて「人の厚意を無理に受け取る必要はないけど、躊躇の中身が遠慮だけなら受け取っておきなさい」と言われて、頬が少し緩むのが分かる。
「……ありがとうございます。いただきます」
私の言葉に頷いて、ご婦人が嬉しそうに微笑した。
「じゃあ、また来るわ。2人にもよろしくね」
「はい、ありがとうございます。お気を付けて」
クリスマスに勉強道具以外のものを貰ったのは初めてだと気付く。お菓子を貰ったのも勿論初めてだ。冬の寒さは増していくばかりなのに、不思議なくらいに心がぽかぽかとしていた。
「星來、それなに?」
此方のやり取りに気付いたらしい透夏さんに問われて、「クリスマスだからと、お菓子いただきました」と答える。扉に手を掛けていたご婦人が振り返って、少し照れくさそうに笑った。
「良いんですか? ありがとうございます」
「いいえ。メリークリスマス」
少し浮いた台詞なのに、それが彼女の口にすんなりと馴染んでいることを不思議に思った。
「そんな時期か。早いもんだなぁ」
カウンターの席に座って維月と話していたらしい紳士が、ご婦人が出て行った扉を眺めながら呟く。
「3人は、クリスマスプレゼント何貰うの?」
彼に問われて、透夏さんが静かに苦笑いした。
「……僕はもうプレゼント貰う年代をかなり前に通り過ぎてますよ」
「えぇ? 日向くんいま幾つなの」
「27です」
「俺たちからすると子供みたいなもんだろう」
無理がありますよ、と透夏さんが笑う。それを眺めながら、私と維月も声を上げて笑った。
「あ、なんか美味しそうなの食べてる」
聞き馴染みのある声に振り返ると、後ろ手に扉を閉めた綴くんが私たちの手元を覗き込むように眺めていた。
「営業時間中でしょう。何やってるんですか」
「まだ食べてはないんだけど……耳が痛いなぁ。この時間人いないから良いかなと思って」
言い訳をする透夏さんを横目に、維月が「綴も食べる?」と問いかける。隣に座った音楽家の彼も共犯にする気満々だ。
「え、店の人たちにって貰ったやつじゃないんですか?」
「そうだけど……せっかくだし」
良い? と維月に訊かれて、ひとつ頷く。みんなで食べた方がきっと美味しい。
「じゃあ、透夏さん三つ食べてください。私と維月と綴くんで2個ずついただきます」
「えー僕ちょっとで良いよ」
「透夏さんは私たちの上司なので、一番得をする権利がありますよ」
微笑してそう言うと、綴くんが可笑しそうに声を上げて笑った。
「星來さん、それ昨今の世の中には怒られる価値観です」
綴くんに言われて、困りつつも釣られて笑ってしまう。「昨今」なんて、急に堅い言葉を使う子だ。
「じゃあ一番誕生日が近い人が三つ貰うことにしましょう。透夏さん何月ですか?」
「1月。6日かな」
「へぇ、もうすぐだ。俺3月です、維月さんと星來さんは?」
「俺9月の24」
「12月、2日」
「此間じゃないですか、言ってくださいよ! 知ってたら祝ったのに。てか維月さんも」
「え、……ごめん。興味あると思ってなくて」
「維月さん自己肯定感低いー」
綴くんの呆れたような声に、維月と目を合わせて苦笑いしてしまう。彼と同じ思考回路だったことを言及したら、綴くんが更に呆れてしまいそうだ。
「で? 星來と透夏さん、どっちが近いの?」
維月が誰にともなく訪ねたのを聞いて、少し考える。
「今日何日?」
「20」
「じゃあ1日差で透夏さん」
「計算はっや」と綴くんが笑う。そうでもないよと返しても、彼は欠片も信じていないようだ。それが何だか、少し可笑しかった。
バン、と突然聞こえた大きな音に、振り返る。
「お、4人揃っているのか。久しぶりだな」
扉の後ろから顔を覗かせたイサナさんに、透夏さんが盛大に溜息を吐いた。
「………お前なぁ、」
「そうカリカリするな日向。身体に悪いぞ」
「誰のせいだよ」
透夏さんは、イサナさんの荒っぽい振る舞いによく文句を言う。いつもの穏やかな調子との差に最初はびっくりしていたけど、今は寧ろその不完全な人間らしさが見ていて楽しい。以前「透夏さん、イサナさんと仲良しですよね」と言ったら本気で不思議そうな顔をされて、余計に可笑しかったのを思い出した。
「久しぶり、って。あんたが来ないだけで、俺とこの3人はよくここで駄弁ってるんだよ」
綴くんの声によって、記憶の海から引き揚げられる。確かに最近すれ違いが多くて、綴くんとイサナさんが並んでいるのを見るのはおろか、彼女とちゃんと顔を合わせるのも久しぶりな気がした。
「私は久しぶりに見るんだ、そう言って何が悪い」
「うわぁ自己中」
大袈裟に顔を顰めた綴くんに、思わず笑ってしまう。いつもの調子に見えるイサナさんに安心したこともあるのかもしれない。
「で? 童も巻き込んで、店全体で経営放棄か。思い切ったことをするな」
綴くんの横、透夏さんの向かいに座ったイサナさんに、「放棄はしてませんよ」と維月が笑う。透夏さんのいつもの言い訳の調子に少し似ていた。
「客からの贈り物か? 割合に良いものを貰ったな」
「一言余計だよ」
透夏さんの言葉に笑った綴くんが、「ねぇもう食べて良いですか?」と維月に問う。お預けを食らった犬はこんな感じなんだろうなと思って、ちょっと笑ってしまった。
「綴、それ俺がダメって言ったらどうするの?」
「泣き喚きます」
それは大変だ。
「……星來さん、何が可笑しいの」
「え? ううん何にも。食べよう」
「……はい」
くすくすと笑う私に明らかに納得してなさそうな表情が、何だか幼気で可愛らしい。
「維月さん、星來さんってもしかしてゲラ?」
「さぁ。知らない」
維月も可笑しそうに顔を歪めながら、お菓子の箱に手を伸ばしていた。
「日向、お前の分は何個だ?」
「……3? で、良いの?」
「はい」
「ふぅん」と口の中で呟いて頬杖を突くイサナさんに、「あげないよ」と透夏さんが予防線を張る。
「寄越せ」
「嫌だって」
「何故だ? 1人で3個もいらないだろう」
「美味しく食べられる量なのに、わざわざイサナにあげるのは癪だ」
ケチだ何だと言いながら、イサナさんもお菓子の箱に手を伸ばす。「あ」という私と透夏さんの声が、重なった。
「……ふぅん。案外美味いな」
「案外とか言うなら食べるなよ……」
透夏さんは既に自分の分を守ることを諦めたみたいで、2個目に手を伸ばすイサナさんを呆れたように眺めている。
「あんた、透夏さんの分全部食べるとか人の心がないのか?」
綴くんは既に、自分の分の2個をぺろりと平らげていた。
「全部は食べてない、1個は残してあるじゃないか。本当に人の心がない奴は全部食べてしまうぞ、なぁ日向?」
「……そうかもね」
見るからに不満気な透夏さんを見て、維月が可笑しそうに笑った。



