火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

 伸ばした燦の手は、久遠に届かない。
 婚礼衣装に包まれた従者の少年は、一瞬の間に燦の視界から消えた。

「……天がお怒りになった! だから花嫁は海に落とされたのだ!」

 十六夜の老爺(ろうや)が唾を飛ばしながらわめく。

 そんなわけがあるか! 追いかけてきた資人(とねり)の腕を振り払い、燦は絶壁に駆け寄って崖下を覗いた。
 既に久遠の姿はない。
 見えるのは、絶壁に打ち付ける荒波と波しぶきだけ。

 幸い眼下は岩場ではなく、ある程度水深のありそうな場所だ。運が良ければ助けられる。

 燦は迷いなく、久遠を追って海へ飛び込んでいた。
 肌を割くような激しい風を浴びながら、勢いよく海の中に落ちる。

 冬の到来を控えた今の季節、海は氷のように冷たい。しかも嵐のせいで視界は悪く、自分の指先さえ見えないほど濁っていた。

(久遠、どこだ!)

 早く久遠を見つけなければ共倒れだ。華奢で力のない久遠は、きっと水の流れに抗えず流されているはず。燦も自身の体を水流の力に任せた。

 人影は見つからない。濁った水が邪魔をする。
 あまりの冷たさに体の感覚が失われていくのが分かる。このまま冷たい海の中に長時間いれば、もし久遠が見つかったとしても危険だ。

(呼吸が続かない。一度水面に上がるか)

 燦が迷ったその時、まるで燦を誘うように、一本の光が目の前を走った。
 目を凝らすと、濁った水の先に人影のようなものが見えた。残った力を振り絞り、懸命に水を掻いて進む。
 そこには、体中の力が抜けて漂う久遠の姿があった。

(気を失っているか!?)

 燦を誘ったように見えた光の正体は、久遠の首にかかっていた石だった。水の流れに揺られたからか、紐が切れかけている。
 石がなければ久遠を見失ってしまう。燦は急いで泳ぎ、久遠の腕を掴んだ。
 久遠の首から、ゆらりと石が離れる。

 燦は左脇に久遠を抱きかかえ、流れていく石の首飾りを右手で握った。