火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

 燦が祖父を止めようとしているが、十六夜と申し合わせた烽火家の資人(とねり)が、燦を取り囲んで制止した。

「さあ!」

 祖父が目の前に迫る。腕を引かれて無理矢理、衿元に手を掛けられる。

「いやっ!」

 祖父の腕を払い、久遠はその場から逃げだした。
 濡れた(くつ)が邪魔をして、速くは走れない。あっと言う間に久遠は、断崖絶壁まで追い詰められた。目の前は海、行き止まりだ。

 燦が資人(とねり)を振り切って久遠の元に走って来るが、間に合わない。
 絶壁に追い詰められた久遠の領巾を、祖父が乱暴に引き剥がした。

「……お前は!」

 領巾が風に乗って飛んでいく。
 ……祖父に顔を見られた。襟元を両手でぐいと掴まれ、睨みつけられる。
 身を捩って抗うと、久遠の襟元からほろりと、母の形見の石がこぼれた。燦が紐を通して、首飾りにしてくれたものだ。

「久遠、それは月影(つきかげ)の石ではないか……! 十六夜の失われた宝物を持っていたのは、お前だったのだな? まさか、香宵がお前に?」
「知りません! 放してください!」

 月影の石――そんなものは知らない。これは、過去の記憶を失った久遠にとっての唯一の宝。もう覚えていない母からもらった形見の石なのだ。

(これが十六夜家の宝物だったとしても、絶対に渡さない!)

「――久遠!」

 祖父ともみ合いになった久遠の元に、燦が駆け付ける。

「燦様!」

 月影の石を奪われないように強く握り締め、久遠は反対側の手を燦に向けて伸ばす。
 その時――ぬかるんだ地面の上で、久遠の沓がずるっと滑った。

(えっ……?)

 体勢を崩した久遠の体が、一瞬宙に浮く。
 なんら遮るもののない断崖絶壁に吹いた強風は、久遠の体を容赦なく吹き飛ばした。

「久遠……!」

 燦の叫びが聞こえる。だんだんと近付く激しい波の音に、久遠は自分が断崖絶壁から滑り落ちたことを悟った。