火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

 雨に濡れた坂道を上る。
 足を一歩踏み出すたびに、(くつ)の裏がぐしゃりと濁った音を立てた。

(雨は止んだか。でも、この風の強さでは目を開けているのも辛い)

 突風が吹く。飛ばされそうになった領巾(ひれ)を両手でぐっと掴んで深く被り、顔を隠す。
 領巾の隙間から前方を見ると、燦の背中の向こうに五主家の面々が並んでいるのが見えた。

 左右に列を成す人々の目の前を通り過ぎて進み、久遠と燦は祭壇の前に並ぶ。
 それを待ち構えていたように、楽師が婚礼の儀を始める合図の笛を吹いた。しかしその音色は、強風に煽られてすぐに消え去った。

(お祖父様と父上の姿は見えなかったな)

 このまま何事も起こらなければいいのに――不安になって隣に目をやると、燦も久遠を見ている。
 大丈夫です、という意味を込めて頷く。すると、それを見た燦にゆっくりと首を縦に振って応えた。

 いよいよ婚礼の儀が始まった。
 祭壇は、断崖絶壁の側にある開けた場所に設けられていた。
 激しい風で荒れた海の波が崖にぶつかって、大きな音を立てているのが聞こえてくる。そんな中、和暮家によって祝詞(のりと)が読み上げられる。

 婚礼の儀といっても、その流れは毎月の祭祀(さいし)と大きく変わらない。
 主家による祝詞、王から天への玉花(ぎょっか)の奉納。それが終われば、今度は后となる花嫁からの玉花の奉納へと続く。

 祭祀と異なるのは、儀式の最後に王と后がお互いに自分の名を伝え合う、ということだ。

 古来、綺羅ノ国では、名はその人の()に相当するものとされていた。本当の名は夫婦となる相手にしか明かさない。
 今ではその習慣が廃れ、誰にでも名を明かすようになっている。が、婚礼の際には古来の風習の名残で、お互いに名を伝えあう儀式を行うのである。

「行ってくる」

 燦が久遠の耳元で囁く。そして女官から玉花を受け取ると、祭壇の前に数歩進み出た。