火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

「燦。貴方だけは蘇芳のことを決して忘れないで。綺羅ノ国中の人が彼女を忘れても、貴方だけは覚えていてほしい。蘇芳が命をかけて火輪剣と綺羅ノ国を守ったのだということを」
「皆は、母上を忘れてしまうの? 香宵さまが記憶を消すの?」
「ええ、そうするしかないの。貴方は確か十歳だったわね。大丈夫、蘇芳が心から愛して育てた貴方ならできるわ」
「母上のことを忘れるわけがない! なぜ母上が、こんな目に……必ず仇をとってやる!」
「本当にごめんなさい。すべて貴方に背負わせてしまう。でも、もう一つ頼みを聞いてくれないかしら」

 香宵は燦を力いっぱい抱き締めながら言った。

「あの子を……一葉姫を、守ってほしい」
「一葉姫? それは、さっきの女の子?」

 燦が香宵に尋ねる。
 しかし、香宵は返事をする代わりに、燦の体を思い切り遠くに突き飛ばした。雪の上、燦の体は勢いにのってごろごろと転がる。

 何が起こったのかと、雪まみれになった顔を上げる。すると燦の目の前で、母と香宵がいた場所に燃えた宝物殿がガラガラと崩れ落ちた。

(えっ……?)



 そこからは、あまりよく覚えていない。
 気が付くと、燦は衛士の腕に抱きかかえられていた。
 燃える宝物殿の側に倒れていた燦を、駆け付けた衛士が見つけて助けたのだと聞いた。

 大きな怪我はなく、肩や腕に軽い火傷を負っただけで済んだのは幸いだった――そう父に言われたが、燦はそれを「幸い」だとは思えなかった。

 不思議だったのは、燦の目の前で命を落とした母が、忽然と姿を消したことだ。

 亡骸が見つからなかった、というだけではない。
 綺羅ノ王である父も、兄の耀も、日紫喜家で働く多くの舎人や女官たちも、誰一人母のことを覚えていなかった。
 まるで、初めから母の存在などこの日紫喜家にはなかったように。

 長い夢を見たのか? とも考えた。
 実際に燦は、宝物殿の火事と嵐に巻き込まれたあと、少なくとも数カ月は寝込んでいたし、意識も朦朧としていた。

 自分には、初めから母などいなかったのだ。
 そう思い込もうとした。
 母の温もりも、優しさも、笑顔も、最期の言葉も、すべては燦の頭の中で作り出した虚構(きょこう)だ。

 翌々年――十二になった燦に、母親ができた。
 碧李家の姫だと聞いた。