火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

「一葉! 一葉はどこにいるの?」
「はい、ただいま参ります!」

 箒を投げ出して、一葉はバタバタと庭を走る。縁側に座って待つ主人の姿が見えたところで()が足に絡まって、すてんと転んだ。

「痛ったぁ……」
「もう……一葉ったら! 落ち着きがないわね。そんな風に大股で走っては駄目。歩幅は狭く、できるだけ音を立てないように静かに歩くの」
「はい、勉強になります! 桔梗(ききょう)姫様」

 立ち上がり、両手を前に組んで頭を下げる。これがこの屋敷での正式な挨拶の仕方だ。
 一葉のぎこちないお辞儀を見て、桔梗姫は口元を袖で押さえながらくすっと笑った。

「ところで、一葉。この文を届けてほしいのだけど。いつもの、あの方に」
「また文ですか? 確か三日前にもお届けしたような」
また(・・)とは何よ。慶雲院(けいうんいん)の参道にある大桜(おおざくら)の木の下で、従者の方が待っているはずよ。必ず渡してね」
「はい。いつもの従者の方にお渡しすればいいのですね」
「そうよ。頼んだわ」

 桔梗姫は一葉に文を手渡すと、すぐに鏡を手に取って楽しげに化粧を始める。気まぐれで自由な主人だなあと思いながら、一葉は屋敷を出た。

 ここ、桔梗姫の屋敷で使用人として働き始めて、もう三月(みつき)ほどになる。

 日々の仕事には、多少慣れた。
 主人である桔梗は久靄家の遠縁の姫で、誰にでも明るく接する気さくな人柄。一葉の素性や過去についても、あれこれ細かく尋ねてくることもない。だから一葉のほうも気兼ねなく仕えることができている。
 衣食住に困らないように暮らしの世話をしてくれるのはありがたく、桔梗姫には頭が上がらない。

 十六夜久遠の名を捨てて、十六夜一葉に戻ったのは、この冬のこと。
 一葉の母の香宵が使った霧中の才によって隠されていた十六夜家の罪は、和暮家当主が放った威風の才によって、全て明るみに出た。