音に溺れる



19時の鎌倉駅は、ひどく混雑していた。

合宿最後の夜。

まだ暗くなりきっていない、夜の帷が降り始めた駅前の空間を、等間隔に並んだオレンジの街灯がノスタルジックに、そしてひどく綺麗に演出していた。

(……この夏は、これでもう殆ど終わる)

潮風の混じった少しだけ冷たい空気を吸い込みながら、私はマイクスタンドの前に立った。

行き交う人々の波。ざわめき。駅のホームから響く発車メロディ。

ライブハウスの防音扉に守られた空間とは全く違う、圧倒的な『外の世界』の空気に、足のすくむような感覚を覚える。

「シキ、マイクの調整するからなんか適当に声出して」

背後から、いつもと全く変わらない、淡々とした日向の声が響いた。

ポータブルアンプのツマミを調整する彼は、この状況でも一切の緊張を見せず、ただ機械的に自分の『役割』をこなしている。

そのブレない背中を見ていると、自分の抱え込んでいる弱音がひどく情けなく思えた。

「……なんかさ」

適当に声を出す代わりに、私はマイクを両手でギュッと握りしめ、ぽつりとこぼした。

「やりたいって言ったのは、私だけど。……急に不安になっちゃった」

視線を前に戻す。

家路に急ぐ、足早なスーツ姿の人々。
知らない言語を大声で話しながら通り過ぎる人々。
……スマートフォンや地図を片手に、次の行き先を相談している観光客らしきグループ。

誰一人として、こちらに興味など持っていない。
彼らの頭の中にあるのは「早く帰りたい」「次にご飯を食べる場所はどこか」という自分たちの生活や旅の目的だけであり、駅前の広場に立つ無名のバンドマンになんて、一瞥もくれない。

全ての人たちがーー『わざわざ足を止めて、私達の音を聞いてくれる余裕』があるようには、到底見えなかった。

ただのノイズとして、迷惑がられて、無視されて終わるんじゃないか。そんな恐怖が、足元からじわじわと這い上がってくる。

「……シキ」

私の声の震えに気づいたのか。
日向がアンプから手を離し、低く、静かな声で私の名前を呼んだ。
振り返った彼の瞳は、呆れるでもなく、怒るでもなく、ただ真っ直ぐに私の怯えを射抜いていた。

その視線を受け止めた瞬間、自分のワガママで彼にこんな路上ライブのセッティングまでさせておきながら、土壇場で逃げ腰になっている自分がたまらず嫌になった。

「……ごめん」

私は俯き、強く唇を噛んだ。

「日向にも、失礼だよね、こんなの。……日向の、作った曲なのに」

彼が私のために、何時間もかけて緻密な計算式を組み、音の重なりを調整して作ってくれた大切なオリジナル曲。

それを歌うボーカルの私が、歌う前から観客の無関心さに負けて、曲の価値まで下げようとしている。その申し訳なさと不甲斐なさが、胸の奥をギュッと締め付ける。