防音スタジオの片隅。日向は五線譜のノートに走り書きしたアルファベットの列をペン先でトントンと叩き、それから手元のキーボードで流れるように最後の和音を鳴らした。
「ーー以上が、ロックで多用される代表的かつ基本のコード進行だ」
一切の無駄がない、まるで予備校のカリスマ講師のような解説。
私は、ノートにびっしりと書き込まれた「トニカ」だの「ドミナント」だのという呪文のような単語を見つめながら、小さく唸った。
「うん、分かった……でも」
「なんだ。どこか論理的に破綻していたか」
「ううん、そうじゃなくて」
私はノートから顔を上げ、手元に何の資料も置いていない彼の端正な顔をまじまじと見つめた。
「……どうやって覚えるの? なんで日向は、そんな何も見ずにスラスラ出てくるの?」
純粋な疑問だった。私なんて、たった数パターンの進行を覚えるだけで頭がパンクしそうなのに。
私が尋ねると、日向は微かに目を丸くして、それから「そんなことか」とでも言いたげに小さく息を吐いた。
「……何でって……そればっかりは、経験値の差としか……」
「経験値って、日向がずっとやってたの、あくまでクラシックじゃないの?」
私が的を射た指摘をすると、日向のペンを回す手がピタリと止まった。
彼は少しだけバツが悪そうに視線を泳がせ、それから誤魔化すようにキーボードの上に手を戻した。
「……クラシックもロックも、表面的な装飾やリズムが違うだけで、根底にある和声学のルールは同じだ」
ぽろん、と。彼が鍵盤を叩くと、さっきまで聞いていた激しいロックのコードが、突然優雅なクラシックの響きにすり替わった。
「基本となるスケールがあって、そこからどう音を重ねて、どう解決させるか。俺から言わせれば、ただの数学の公式みたいなものだ。ルールさえ理解してしまえば、あとはパターンを当てはめるだけでいい」
「す、数学……」
「俺にとっては、膨大な暗譜を要求されるクラシックのオーケストラスコアに比べれば、ロックの基本コードなんて四則演算レベルだ。……経験値というより、ただの『構造分析』の結果だな」
平然と言い放つ彼を見て、私は思わず呆れたようなため息をついた。
彼にとって音楽は、感情やセンスだけで鳴らす魔法ではなく、すべて計算し尽くされた数式なのだ。自分のコントロール下に置ける「論理」だからこそ、彼はどんなジャンルでも涼しい顔をして完璧に支配してしまう。

