音に溺れる





夏休みに入る直前。

日向は「どうしても落とせない試験がある」と言って、バンドの練習を2週間ほど休みとした。

私は、日向から宿題のように渡された新譜のデモ音源――まだ歌詞のついていないそれ――を部屋でループ再生させながら、ひどく味気ない日々を過ごしていた。

一言で言うと、何も思い浮かばなかった。

イヤホンから流れてくるのは、何の感情もない、機械が正確に打ち込んだだけの冷たい音色。……少し前までの私なら、この無機質な音の羅列に、ボーカルとして『魂を吹き込む』という作業に少なからず心が躍っていたはずなのに。

あの夜、彼が誰かのために見せた『普通の男の子』の顔を知ってしまった今の私には、この完璧で冷徹な音が、ただの分厚い壁のように感じられて息が詰まった。

このまま一人でこの音を聴き続けていたら、おかしな方向に感情が爆発してしまいそうで。

どうしようもない想いを抱えて、私はサトルを昼間のファミレスに呼び出した。

「……で? 呼び出されたと思ったら、ドリンクバーのアイスコーヒーでずっと氷突っついてるだけって、どういうことだよ」

向かいの席に座ったサトルが、呆れたように、けれどちっとも嫌そうではない顔でアイスコーヒーのグラスを傾けた。

「……ごめん」

正直、日向の不在を埋める『埋め合わせ』に彼を使うみたいで、あまり良いことだとは思えなかった。サトルの私への気持ちを知りながらこんなことをするのは、ただの残酷な甘えだ。

けれど、一人でいるとどうしようもなく、心が軋んで痛かったのだ。

「だって、マサキは彼女いるじゃん。休みの日の昼間に、気軽に呼び出したりできないよ」

私はストローから口を離し、少しだけ唇を尖らせて言い訳を並べた。

「それに、どうせ暇でしょ。サトルは」

ひどい言い草だということは、自分でも分かっていた。

それでも、サトルなら許してくれると、心のどこかで完全に甘え切っているのだ。

サトルは目を丸くして息を吐き出すと、大げさに肩をすくめてみせた。

「シキって、昔っからほんっとに俺の扱い雑だな」

「……ごめん。嫌だった?」

私が上目遣いで様子を伺うと、サトルは「はぁ」とわざとらしく深いため息をついた。

「嫌なら、そもそもこんな真昼間にわざわざ出てきたりしねぇよ」

そう言って、サトルは微かに口角を上げる。

「日向の曲、歌詞行き詰まってんだろ。顔見りゃわかる」

「……っ、」

「いいよ。お前が納得いくまで、いくらでも付き合ってやるから。とりあえず、アイスコーヒーの氷溶けきって不味くなる前に飲め」

彼に図星を突かれ、私は何も言い返せなくなって、再びストローを咥えた。

冷たい苦さが喉に落ちていく。

私の視界の先には、いつもなら日向の背中がある。
でも今は、サトルがいる。

日向の作る冷たくて完璧な世界から逃げ出した私を、サトルは何も聞かずに、ただ温かい陽だまりのような場所で受け止めてくれる。

(……私、最低だ)

サトルの優しさに救われれば救われるほど、私は自分のどうしようもない狡さに自己嫌悪を募らせていく。それでも私は、この居心地の良い席から立ち上がることができずにいた。