音に溺れる




熱気と喧騒が嘘のように引いていくライブハウスのロビーで、私たちは物販の撤収作業を進めていた。

残ったCDを段ボールに詰め、売上表と現金を照らし合わせている日向の横顔は、いつもの『頼れるバンドのリーダー』のそれだった。

その時だった。日向のポケットの中で、スマートフォンが短く震えた。

「はい。御崎ですが」

手を止めずに電話に出た日向の声は、普段の余所行きで無機質なトーンだった。

しかし、通話相手の言葉を数秒聞いた直後、彼の手がピタリと止まった。

「……何だお前か。水瀬」

段ボールを片付けていた私の手が、思わず止まる。
日向のセリフ自体は、如何にも面倒くさそうな、呆れたような響きだった。
けれど、その声色には、私やサトルに向けるものとは全く違う、微かな『熱』がこもっているような気がしたのだ。

直感で、相手は女の人なのかもしれない、と何となしに思った。

「……いや、悪いけど今日は……」

日向はロビーの隅へと少しだけ歩き出し、声を潜める。けれど、静かになり始めた空間では、その断片的な言葉が嫌でも耳に届いてしまう。

「……うん。そう。バンドのライブ。夜は打ち上げ」

相手の女の人――水瀬、という人が何かを言っているのだろう。

日向は小さく息を吐き、額に手を当てた。

「……お前な……。何でそんなこと急に言い出すわけ……。もう少し事前に相談とか……。

いや……分かった。そういうことなら調整してみる」

諦めたような、けれど、どこか甘さすら滲むその声。

背筋が粟立った。

私の知らない名前。私の知らない日向の声色。
それはまるで、好きな女の子の我が儘に振り回されて、渋々ながらも言うことを聞いてしまう『普通の男の子』のような響きだった。

神様でも、天才音楽家でもない。ただの、二十歳の男の顔。

やがて通話を切った日向が、少し気まずそうにこちらへ振り返った。