物販のブースは、予想以上の盛況だった。
用意していたTシャツの在庫が次々と減っていく中、先ほどから少し様子を窺うように私たちの前に立っていた女の子2人組が、意を決したように声をかけてきた。
「あの……キーボードの方の、個人のインスタとかってありますか」
おずおずと、スマートフォンを胸の前で握りしめながら上目遣いで尋ねてくる。
私は隣で小銭の計算をしていた彼を、軽く肘でつついた。
「日向」
呼ばれた日向は、手元の計算をピタリと止め、面倒くさそうな素振りを一切見せずに顔を上げた。
そして少し申し訳なさそうに、わざとらしく苦笑いを浮かべる。
「……すみません。Instagram、俺個人では本当に鍵付きでやってるとかもなくて。バンドの公式アカウントの方で、たまに写真上げたりはしてるんですけど」
「始めたら?って言ってるんですけどねー。この人、そういうのホント苦手みたいで」
私が横から冗談めかして笑いながらフォローを入れると、女の子たちは「そうなんですね」と少し残念そうに、けれど嬉しそうに笑って帰って行った。
「……」
女の子たちの背中を見送った後、私は無理に作っていた笑顔をそっと下ろした。
ライブの極限の熱狂が嘘のように、汗ばんだ身体が、冷房の効いたロビーの空気でゆっくりと冷えていくのを感じる。
その冷めた体温のまま、私はぼんやりと、さっき楽屋で投げかけられた問いに思いを馳せていた。
『シキはさ。……本当は、日向のことが好きなんじゃないの?』
サトルの、あのひどく優しい声。
……正直、もしそれが図星だったとしても、どうしようもないのだ。
だって、今の私にとって何よりも一番大事なのは、このバンドという居場所と、日向の作る音楽そのものだから。
私たちの想いのベクトルは、いつも複雑に絡み合っていて、自分の現在地すら上手く見えない。
この息が詰まるような引力の正体を確かめたくて、不用意に手を伸ばそうとすれば。きっと、今ある一番大切なものを、決定的に壊して失ってしまう。
だから、私が何もしなければ。
ずっと自分の感情に蓋をして、ボーカルという役割に徹していれば、この絶妙なバランスのままでいられるんじゃないか。
何の根拠もなしに、ただ祈るようにそう思っていた。
隣を見上げると、日向はもうファンの女の子のことなど一秒で忘れたように、再び冷徹な目で電卓を叩き始めている。
その横顔を見るたびに、痛いほど思い知らされる。
彼にとって、私は特別な人間でも、守るべき女の子でもない。
日向は、私という人間に一切の興味がない。
彼の瞳に映る私は、彼が頭の中で描いた完璧な音楽を現実世界に出力するための、ただの優秀な『楽器』でしかないのだから。

