そこから先は目立ったトラブルなく予定通りことは進んだ。
やがて10分間のリハーサルが嵐のように終わり、スタッフたちが足早にステージを降りていく。
本番まであと少し。薄暗い照明が落とされたステージの袖で、私は機材の最終チェックをしている日向の隣に立った。
ステージから見下ろすCLUB QUATTROのフロアは、想像以上に広く、そして恐ろしいほど静かだった。
段差のついた見晴らしの良い客席、幾重にも連なる赤い鉄柵。ここに800人もの人間がひしめき合う光景が、今の私には到底想像できなかった。
「……ねぇ、日向」
ノートパソコンの画面を睨みつけている彼に、私はぽつりと声をかけた。
「正直な感触教えて。このクアトロのキャパ800人、日向の中では……今日どれだけ埋めれば御の字だと思ってる?」
日向はキーボードを叩く手を止めず、画面から目を離さないまま、ひどく平坦な声で答えた。
「俺たちの出番は13時30分。フェス全体の客がまだ完全に起き切ってない、一番不利な時間帯だ。加えて、裏のO-Eastでは人気バンドが被ってる。
……客観的なデータを元に弾き出せば、150人呼べれば合格ライン。200人入れば上出来だと思う」
800人のキャパシティに対して、200人。
それは、フロアの半分以上が空席になるという残酷な現実だった。
「……そっか。そんなもんだよね」
私は無理に口角を上げ、空っぽの巨大なフロアへと視線を戻した。
日向の計算はいつも正しい。無名のインディーズバンドが、魔法みたいにいきなりこの大箱を満員にできるわけがない。それは痛いほど分かっている。
「ーーいつか、満員にしたいな」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
誰に聞かせるわけでもない、ただの独り言のつもりだった。
「この広いフロアをさ、一番後ろまで、私たちの音を聴きに来てくれた人でいっぱいにしたい。……ワンマンは無理かもしれないけどーー」
「出来るよ」
私の諦め混じりの言葉は、日向の鋭い声によって唐突に遮られた。
驚いて振り返ると、彼はいつの間にかパソコンの画面から顔を上げ、空っぽのフロアを真っ直ぐに見据えていた。
「ワンマンで、ここを埋める。お前の声なら出来る」
「日向……」
「俺がそういう道を敷いてやる。だから、お前は無駄な弱音を吐いてる暇があったら、一人でも多くの客に自分の喉の価値を叩きつけることだけ考えろ」
ぶっきらぼうで、威圧的で、理屈っぽい言葉。
けれど、いつも現実的な数字しか口にしない彼のその声には、珍しく――泥臭いほどの『願望』が滲んでいた。
「……うん」
私の胸の奥で、小さく火が灯る音がした。
「わかった。……絶対、叶えてみせるから」
日向は私の方を見なかった。ただ一度だけ短く鼻で笑うと、再び冷たいパソコンの画面へと視線を落とす。
でも、彼の耳の端が少しだけ赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
薄暗いステージの袖、冷え切った空調の中で、私の身体は本番に向けて信じられないほど熱く昂っていた。

