音に溺れる




喧騒が渦巻く渋谷の裏路地。

他のバンドや機材車がひしめき合う搬入口の隅で、日向はスマートフォンの画面から目を上げ、私たちに向かって低く通る声で口を開いた。

「最初に、改めてタイムテーブル確認させて。俺たちの出番は13:30から14:00までの30分間。リハーサルの時間は10:50から11:00。場所は渋谷CLUB QUATTROだ」

澱みなく、スラスラと予定を読み上げていく。
しかし、その口から述べられるタイムスケジュールは、改めて聞くと目眩がするほど分刻みで超タイトだ。

リハーサルがたったの10分。

その間にドラム、ベース、ギター、キーボード、ボーカルすべてのバランスを整えなければならない。少しでもトラブれば一瞬で持ち時間が削られる、一切の余裕がない戦場だ。

「いいか、時間は絶対だ。特にシキ」

日向の鋭い視線が、私を真っ直ぐに射抜く。

「前から言ってるように、MCの時間は厳守しろ。音楽の世界じゃ『時間が押す』のは最大の罪だ。
お前が気持ちよく喋って持ち時間守れなくて、裏でスタッフに頭下げて怒られるのは俺なんだよ」

「……っ、わかってるよ」

「ならいい。何も面白いことなんて言わなくていい。最低限、バンド名と『物販でTシャツ売ってます』って宣伝だけしてくれりゃ、俺は文句言わない」

相変わらずの徹底した効率主義と、身も蓋もない現実的な指示。

でも、「怒られるのは俺なんだよ」という言葉の裏には、私たちがステージの上で余計なストレスを感じなくて済むように、彼が裏方の泥をすべて被ってくれているという事実が透けて見えた。

私はギターのストラップを握り直し、小さく、けれど力強く頷いた。サトルも真剣な顔でベースのネックを握りしめている。

そんな私たちの緊張を察したのか。

……それまで能面のように冷たい顔で指示を出していた日向が、ふっと、最後に表情を緩めた。

「……色々言ったけど」

彼が、スマートフォンの画面をスリープにしてポケットにしまう。

いつも数字と論理ばかりを追っているその瞳が、今はただ、目の前にそびえ立つ名門ライブハウスの看板を真っ直ぐに見上げていた。

「正直、クアトロはめっちゃいいライブハウスだ。インディーズのサーキットでここを任される意味はデカい。この広いフロアを、俺たちの音でどれだけ埋められるかなって……楽しみ半分、不安半分だ」

それは、計算でも皮肉でもない。

ただ音楽を愛し、自分たちの音を信じている、一人の等身大のバンドマンとしての素顔だった。

完璧な神様みたいな彼が、私たちと同じように「不安」を抱き、同時に胸を躍らせている。
その事実が、私の心臓の奥をぎゅっと熱く掴んだ。

日向はこちらに向き直ると、いつもより少しだけ体温を感じる声で、静かに言った。

「……楽しもう。……俺たちの音で、最高に楽しんでもらおう」

その一言で、私の体の中にあった不安が、一気に熱を帯びたアドレナリンへと変わっていくのが分かった。

「……うんっ!」

理不尽で冷酷で、時々ひどく嫌な奴。

でも、彼が時折見せるこの純粋な熱情があるから、私はどこまでもこの人についていきたいと思ってしまう。