音に溺れる




再びタブレットに視線を落とした日向の横顔を、私はじっと見つめていた。

手元のマグカップに伸びる、骨ばった長い指。少しだけ不機嫌そうに伏せられた長い睫毛。そして、コーヒーを飲み込むたびに上下する、薄い皮膚の下の喉仏。

彼がさっき、呆れたように私の名前を呼んだ時の、あの微かな喉の震え。

そのひどく生々しい動きが、なぜか網膜に焼き付いて離れなかった。

(……日常の中の、小さな『愛しい』)

私は無意識にシャーペンを握り直し、ノートの端の余白に、そっと小さく書きつける。

『……彼が私の名前を呼んで、喉仏が震えた瞬間』

文字にした途端、自分の中に渦巻いている熱の輪郭が、少しだけくっきりと浮かび上がった気がした。
その時だった。

「あ、そうそう。そんな感じ」

ふいに頭上から降ってきた声に、私はビクッと肩を震わせた。
いつの間にかタブレットから顔を上げていた日向が、身を乗り出すようにして私のノートを覗き込んでいたのだ。

「っ……!!」

私はすっかり恥ずかしくなって、バシッと両手で自分の書いた文字を覆い隠した。
勢いよく立ち上がりそうになった私を見て、日向は不思議そうに目を瞬かせる。

「なんだよ。……そのミクロな視点、悪くないと思うぞ。生々しくて、お前の声に合いそうだ」

日向は、純粋にプロデューサーとして、私の紡いだ言葉の『素材としての価値』を評価しているだけだった。

彼が称賛したその生々しい視線が、他でもない『彼自身』に向けられたものだなんて、一ミリも疑わずに。

その致命的なまでの鈍感さと、絶対的な距離感。
それが痛くて、でも、自分の書いた言葉を彼に認められたことがどうしようもなく嬉しくて、胸の奥がぐちゃぐちゃになる。

「……違うの。なんでもない、忘れて」

私は顔に集まる熱を必死に隠しながら、ノートに覆い被さるようにしてうつむいた。

違う。別に恋なんかじゃない。
恋なんかじゃ。
そんな風に簡単に、俗っぽい名前なんて付けられない。

『恋』なんていう陳腐なパッケージに入れてしまったら、彼とのこのヒリヒリするような関係も、今のこの感情も、全部安っぽくなって壊れてしまう気がした。

自分に、何度も心の中で言い聞かせるように呟く。

でも。彼とこうやって、深夜のファミレスで向かい合って話したこの時間を。

誰も知らない彼の横顔と、その喉仏の震えを。
この時感じた確かな『愛しさ』を、ただの記憶として流したくなかった。詩という絶対的な形にして、永遠に閉じ込めておきたいと、その時切実に思ったのだ。

彼の作る冷たくて美しい檻の中に、私のこの歪な執着を、永遠に飾っておくために。