水瀬瑞希とよく話すようになったのは、解剖実習の班が一緒だったことがきっかけだった。
初めは、学年でも有名な美人が一緒のグループということで、嬉しさとかよりも警戒心が勝っていた。
美人すぎる子は正直苦手だ。
……周りは当然気を使うし、それで人間関係が狂うことだってある。
案の定、実習が始まった最初の数日は最悪だった。
同じ班の男子たちは水瀬の気を引こうと無駄にテンションが高く、ホルマリンのツンとした匂いが充満する息苦しい実習室で、やれメスを渡そうか、やれ重い本を持とうか、挙句の果てには彼女の分の剥離作業まで肩代わりしようと群がっていた。
俺はそんな阿呆どもを端から冷ややかな目で見ながら、黙々と自分の担当部位と向き合っていた。
どうせ彼女も、これまでの人生がそうであったように、男たちのその『特別扱い』を当然のように享受して、綺麗な手のまま実習を終えるのだろうと思っていた。
だが、水瀬は違った。
『手伝ってくれるのはありがたいけど。自分でメスを入れないと、神経の走行も筋膜の感覚も覚えられないから。……ごめん、そこ退いてくれる?』
彼女は媚びることもなく、かといって過剰に冷たくあしらうこともなく。
ただ純粋に「自分の学習効率が落ちる」という極めて合理的な理由で、群がる男たちを淡々と、そしてバッサリと排除したのだ。
遺体を前にした生々しい作業も、手袋に染み付く匂いも一切嫌がるそぶりを見せず、彼女はただ黙々と、教科書の図譜と目の前の構造を照らし合わせながら正確に作業を進めていた。
その手際の良さと、無駄な感情のノイズを一切交えないフラットな横顔を見た時。
俺の頭の中で鳴っていた『美人は面倒くさい』という警戒報は、あっさりと鳴り止んだ。
「……御崎君。そっちの筋腹、ペアンで引いておいてもらえる?」
実習も中盤に差し掛かった頃、周りの男たちがすっかり大人しくなった解剖台越しに、彼女が自然なトーンで指示を出してきた。
「ああ。……だが、もう少しメスを寝かせたほうがいい。その角度だと下にある動脈の枝を傷つける」
「……あ、本当だ。ありがとう。助かる」
マスク越しの目が、少しだけ弧を描く。
そこに、男女の駆け引きや、無駄な愛想なんて欠片もなかった。
ただ、同じ『正解』に向かって最短距離で進もうとする、極めて効率的で快適な歯車が噛み合った瞬間だった。
その日から、俺と水瀬は班の中で自然とペアのように動くようになった。
俺が何も言わなくても次に必要な器具が出てくるし、彼女が迷っている時は俺が論理的に構造を解説した。言葉を尽くさなくても意図が伝わるその関係性は、当時の俺にとって、息継ぎができる唯一の水面のようなものだった。
あの時、ホルマリンの匂いの中で見た彼女の涼やかな横顔を。
俺はきっと、一生忘れることができない。

