音に溺れる





どんぶりから立ち上る湯気越しに、胡椒の効いたスープを一口飲んだところで、ふとマサキが宙を見上げて言った。

「大体日向って、あんまり個人的な話しないけど彼女とかいんのかな」

ズズッ、と麺を啜っていたサトルが、顔を上げてあっさりと答える。

「あー、あいつ休憩時間に最近いっつもLINEしてるよな。出来たんじゃねぇの」

「……」

思わず、箸を持った手がピタリと止まった。
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた気がした。熱かったはずのラーメンの湯気が、急に冷たく感じられる。

日向に、彼女。
医学部で、あんなに顔が良くて、ピアノも弾けて。彼女の一人や二人いて当然だということくらい、頭ではわかっている。

でも、いつもスタジオで冷たい顔をしてキーボードを弾いている彼が、誰か特定の女の子に甘い言葉をLINEで送っている姿なんて、まったく想像がつかなかった。いや、想像したくなかったのだ。
動揺を悟られないように、私はわざと大げさに顔をしかめてみせた。

「うわ、そういうのバンドメンバーの心の平穏のために真っ先に報告してほしいよね」

「なんだよそれ。お前には関係ねーだろ」

「関係あるよ! もし彼女が『バンドなんてやめて私との時間作ってよ!』とか言い出すタイプだったらどうすんの。sound jamの存続に関わる大問題じゃん」

笑い飛ばしながら、なんとか残りの麺を胃に流し込む。

さっきまであんなに美味しかったはずのチャーシュー麺の味が、もうほとんど分からなかった。

「まあ、あの日向が女の我儘聞いて、バンドのスケジュール曲げるとも思えねぇけどな」

サトルが呆れたように鼻で笑う。

私も「確かに」と笑い返しながら、テーブルの下でぎゅっと拳を握りしめた。

――そうだ。彼は音楽を最優先にする人間だ。

たとえ彼女がいたとしても、彼が妥協を許さない『音楽』の真ん中には私がいる。私の声がある。


そんな、ひどく歪んだ優越感に縋ろうとしている自分に気づいて、私は少しだけ泣きたくなった。