――あぁ、だめだ。
その言葉一つで、私がどんなに彼に触れたくても、決して「ただの女」として彼の腕の中に収まることは許されないのだと突きつけられた気がした。
彼にとって私は……どこまでいっても音楽という絶対的な領域の仲間であり、同志、なのだと。
日向は座っていたパイプ椅子からゆっくりと身を起こし、先ほどまでの笑いを含んだ空気を消し去って、真っ直ぐに私の目を見た。
「――シキ」
その真摯な響きに、思わず息を呑む。
「確かに俺は今、最高に弱ってる。その中でお前の誘いは正直なところ、非常に魅力的な誘いではあるんだが――」
彼はそこで言葉を切り、まるで自分自身の魂に誓いを立てるように、きっぱりとこう言い放った。
「俺の、人生の美学の問題として。浮気は絶対に無理。クズのやることだ」
揺るぎない、強固な理性。
どんなに傷ついていても、どれほど孤独でも、決して自分を安売りせず、他人も傷つけない。
「……例え今が水瀬と別れた直後であったとしても、寂しさの埋め合わせに大事な仲間を付き合わせるような真似も、残念ながら美学に反する」
それは私という存在を「都合のいい女」として消費しないための、彼なりの最大限の敬意であり、そして、残酷なまでの線引きだった。
彼があまりにも気高く、美しすぎるから。
泥に塗れてでも彼を慰めたかった私の安い誘いは、彼のその清廉な『美学』の前に、あっけなく弾き返されてしまった。
「……そ。日向のそういう堅苦しいところ、ほんとつまんない」
私は強がって肩をすくめ、そっぽを向いた。
私の胸の奥で音を立てて砕け散った初恋の欠片に、彼が一生気づかないまま、ずっとその孤独で美しい玉座に座り続けてくれることを、静かに祈りながら。

