スタジオの防音扉を閉め切った、夜の静寂。
練習が終わって、帰ろうとしていた彼の手をぎゅっと掴んで引いて引き止めた日。
何度も書いては消して、ようやく日向に渡すことができた作詞ノートのページには。
ただの恋なのか、どす黒い執着なのか、それとも手の届かないものへの憧れなのか分からない。けれど、私が絶対に彼との間に『音楽として残したい』と切望した、いびつで生々しい情景の数々で埋め尽くされていた。
日向はパイプ椅子に座ったまま、そのページを黙って目で追っている。
彼の表情からは何も読み取れない。ただ、活字を追うその伏せられた長い睫毛を見つめながら、私の心臓はうるさいほどに脈打っていた。
やがて、彼はふっと短く息を吐き、傍らに置いてあったシンセサイザーへと身を向けた。
「……イメージ合ってるかだけ、確認させて」
どんな感想も、言葉も口にしない。
ただ『こんな感じ?』と問いかける代わりに、日向が白黒の鍵盤に長い指を走らせた。
ーー静寂を切り裂いて、旋律が、空間を支配する。
彼の指先から紡ぎ出された音色が耳に届いた瞬間。
ただのインクの染みだったノートの上の言葉たちが、じわりと熱を持ち、脈を打ち始めるのを感じた。
私が不格好に書き殴った『痛み』を、彼が世界で一番美しい器で掬い上げていく。息が止まるほど綺麗で、どこかひどく冷たくて、泣きたくなるような音色。
少しの間、目を閉じて音の世界に没入していた日向が、ふと指の動きを緩め、呟くように口を開いた。
「……ここで、I-V」
彼がコードを鳴らす。明るさから、次の展開を予感させるような響き。
「次は……」
「……IVm?」
彼が鍵盤を押さえるより一瞬早く。
私がそのコードの名前を口にすると、日向の指がピタリと止まった。
彼が弾こうとしていた鍵盤の形。それはまさに、私が言葉にした通りのコードだった。
驚いたように少しだけ目を見開いた日向に、私は小さく息を呑む。
「……が、いいかなって。俺も思った」
日向は静かに鍵盤を押し込み、IVm特有の、胸を締め付けるようなひどく切ない和音をスタジオに響かせた。
……私が書いた歌詞の切実さに、これ以上ないほど寄り添う響きだった。
「……よく、勉強してる」
日向が、少しだけ口角を上げて笑う。
彼が初めて、私を『対等に音楽を作る相手』として認めてくれたような、そんな気がした。
「……日向が、教えてくれたんでしょ」
私が少しだけ照れ隠しのように言い返すと、彼はふっと息を抜くように笑い、再びノートへと視線を落とした。
「……方針はわかった。次までに、軽くデモ作ってみる」
彼はノートのページをそっと撫でるようにして、真っ直ぐに私の目を見た。
その瞳には、医学生としての疲労感も、私を突き放そうとする冷たい理性の壁も、今は存在しない。ただ純粋に、クリエイターとしての熱と、覚悟だけが灯っていた。
「ーーいい曲に、してみせるよ」

