熱狂の余韻と、アルコールと汗の匂いが入り混じるライブハウスの終演後。
フロアの端に設けられた物販ブースで、私はTシャツやCDの在庫を整理していた。
「来てたのか。水瀬」
隣で売上金を計算していた日向の声に顔を上げると、そこには、薄暗い地下のライブハウスには少し不釣り合いな、綺麗で凛とした佇まいの女性が立っていた。
日向の彼女である、水瀬さんだった。
「……だって誘ってくれたから」
彼女は日向の言葉に、ふっと短く笑って答える。その声は周囲の喧騒の中でも、ひどく透き通って聞こえた。
水瀬さんはブースの上に並べられたグッズを一瞥して、少しだけ目を丸くする。
「物販、まだ自分達で回してるんだ」
「そろそろスタッフ雇ってもいいなって、話してるところではあるよ」
日向は手元の小銭を数える手を止めずに、いつもの余裕のある、完璧な『大人の男』の顔で淡々と返す。
二人のやり取りは、まるで長年連れ添ったパートナーのように落ち着いていて、どこか完成された空気感があった。
「打ち上げくる?」
日向が、ふと顔を上げて尋ねる。
けれど、水瀬さんは静かに首を横に振った。
「ううん。ごめん。……明日も早いし」
「……そう」
その瞬間だった。
日向が、一瞬だけ、ひどく寂しそうな顔をしたように思った。
瞬きをすれば消えてしまうような。私の気のせいだったかもしれないと思うほどに、本当に一瞬の、完璧な仮面に入った微かなひび割れ。
けれど、水瀬さんはそれに気づかなかったのか、あるいは気づいていてあえて触れなかったのか。
彼女は視線を日向から外し、私の方へと向けた。
「シキちゃん。日向を、よろしくね」
水瀬さんはそう言って、柔らかく微笑んだ。
そこには彼氏の周囲にいる女の子を牽制するような棘のある響きは全くなく。ただ純粋に、彼という才能を、私という『音楽』の領域へと完全に手放すような、恐ろしいほど静かで透き通った響きを持っていた。
彼女はゆっくりと出口に向けて歩き始め、そのまま二度と振り返ることはなかった。
日向もまた、その遠ざかる背中を引き止めることなく、ただ無言で手元の売上金を見つめ続けている。
どうしてだろう。
普通に見れば、きっと、長く付き合って、お互いを深く理解し合ったが故の、敢えての突き放すような『大人の距離感』にしか見えないはずだ。
それなのに。
二人の間に流れる音の波長が、決定的にズレてしまっているような。
ーー不協和音な、気がした。

