音に溺れる

……別れが、近づいている。
そんなことは、ずっとずっと、分かっていた。

ただ、日向から決定的な一言が放たれるのは、まだ、先な気がしていた。

打ち上げが終わり、嘘のように静まり返ったライブハウスの一角。

片付けも終わり、メンバーそれぞれがパイプ椅子に深く腰掛けて疲労を抜いていた時だった。

パンッ、と。

日向が唐突に手を叩き、「皆に報告がある」と切り出した。

その表情は、いつもの完璧なプロデューサーとしての冷徹な顔ではなく。どこか、ひどく痛切さを孕んでいて。

ーー何を言い出そうとしているかを、残酷なほどに予感させた。

「……割ともう、決意固めてて」

日向は、膝の上で組んだ両手を見つめたまま、静かな声で紡ぎ始めた。

「来年の3月。ちょうどあと一年後。……それを機に、俺はこのバンドを辞める」

楽屋の空気が、ピタリと凍りつく。
マサキも、サトルも、息を呑んで日向を見つめていた。私だけが『あぁ、やっぱり』と、心のどこかで冷たいカウントダウンの鐘を聞いていた。

「解散って形にするか、俺だけが脱退って形にするかは、シキ達次第だと思ってる」

日向は淡々と選択肢を提示する。けれど、その声にはいつもの余裕がない。

「……それで。もう後の1年、今書こうとしてるやつを最後に、新曲作るのはナシにしたい」

常に完璧にタスクをこなし、次々と新しい曲を生み出してきた彼が、初めて自分の口から発した『限界』のサイン。

「単純に、負担が大きすぎる。……申し訳ないけど、耐えられない」

日向は、少しだけ顔を歪め、絞り出すようにそう言った。

「睡眠時間が圧倒的に足りない中で、クオリティが維持できる気が、しないんだ」

奨学金、アルバイト、留年が許されない医学部の膨大なテスト。そして、彼女との関係。

彼がすべてを背負い込み、完璧な大人として回そうとしていた歯車は、とっくに悲鳴を上げていたのだ。その事実を自分から認めることが、プライドの高い彼にとってどれほどの敗北感と痛みを伴うものか。

「とりあえず、6月に下北沢でワンマンやるのは決まってる。……9月頃に、もう少し上……渋谷O-westとかでできたらいいなって思ってはいるけど、それはまだ……交渉中」

重苦しい沈黙の中、彼だけが来年3月までのロードマップを必死に敷き詰めていく。

「……あと、今までちゃんとしたアルバムリリースしてこなかったから、それを作りたいとは思ってるかな」

そこで一度言葉を切り、日向はゆっくりと顔を上げた。

その疲労の滲む、けれど確かな熱を帯びた瞳が、真っ直ぐに私たちを捉える。

「ーーただ、俺としては。最終的な目標は、何より渋谷クアトロをワンマンで満員にすることだと思ってる。この一年は、それを第一に置きたい」

渋谷クアトロ。

今日、圧倒的な敗北感を味わったこのステージと同じクラスの、インディーズバンドにとってのひとつの巨大なゴール。

彼が引いた、絶対的な終着点。

あと一年。たった一年で、私と彼を繋ぐ唯一の『バンド』という関係は、完全に途絶えてしまう。

私の心に今まで知らなかった熱い火が点いたのと同時に突きつけられた、その残酷なタイムリミットを前に。私はただ、固く拳を握りしめて、彼の言葉を受け止めることしかできなかった。