音に溺れる



パソコンの画面から視線を外し、コーヒーに口をつけようとした時だった。

ふと、部屋で付けっぱなしになっていたテレビから、無邪気な子供の笑い声が聞こえてきた。

画面の中では、休日のファミリー向け番組だろうか、4、5歳ぐらいの可愛い女の子が父親に抱き上げられて満面の笑みを浮かべている。

それを見た瞬間。心の底にあった重たい夢が、無意識のうちに口をついてこぼれ落ちていた。

「……いいよな。子供」

ぽつり、と。

自分でも驚くほど、素の、何の防壁も張っていない声だった。

すると、水瀬はアイスティーのグラスをテーブルに置き、テレビの画面を少しだけ冷めたような、不思議そうな瞳で見つめた。

「……私、子供が欲しいとか、人生で一度も思ったこと、ないな」

彼女の口から紡がれたのは、一切の躊躇いもない、どこまでも透き通った拒絶だった。

「可愛いとかも、よく分からないし」

そう言って、彼女はふとこちらに向き直る。

「……日向は、欲しいの?」

彼女の真っ直ぐな視線に射抜かれ、俺は慌てて心に蓋をする。

『欲しいに決まってる』という血を吐くような本音を喉の奥に飲み込み、ひどく曖昧に言葉を濁した。

「まぁ……人並みには……」

「そっか」

水瀬は特に深追いする様子もなく、ふっと柔らかく微笑んだ。

「……日向なら、いい父親になれそうだもんね」

悪意なんて欠片もない。純粋な称賛と、どこか遠くから見守るような優しい響き。

けれど、俺には。
それがまるで、「あなたはきっといい父親になれるだろうけれど、その隣にいるのは私ではない」という、残酷で決定的な引導を渡されたようにしか聞こえなかった。

胸の奥が、ギリリと冷たく軋む。

俺は自分の惨めな執着を誤魔化すように、ひきつりそうになる口角を無理やり上げて言い返した。

「……俺は、水瀬だって、いい母親になると思うよ」

「冗談でしょ」

水瀬はケラケラと笑い飛ばし、窓の外へ視線を向けた。その横顔は、誰にも縛られない、凛とした強さと野心に満ちていた。

「私さ、そんなのより救急科に行きたいんだよね。バンバン重症者捌いて……いつか外国の難民キャンプの医療班とかも、参加してみたい」

彼女が思い描く未来のスケールは、俺の想像を遥かに超えていた。

すべてを自分の手でコントロールできる安全な檻を求める俺とは真逆の、混沌と危険の最前線に自ら飛び込んでいくような生き方。

「……だから、子供なんて育ててる暇、ないわ」

きっぱりと言い切る彼女の横顔を見つめながら、俺は何も言い返せなかった。

いや。きっと、そうなんだろう。

俺の思い描く『安心できる温かい家族』という箱庭に、この気高くて美しい人を閉じ込めることなんて、最初からできはしない。

いつか、本当の意味で俺達が大人になるとき。

……お互いが選ぶ道は、残酷なまでに違っている。

その決定的な未来の破綻を、二人で同じテーブルに座りながら、ただ静かに突きつけられていた。