音に溺れる



「取られるかもよ?」と囃し立てる友人たちの甲高い笑い声を、有線放送のBGMがふいに上書きした。

グラスの氷をカラリと揺らした私の耳に飛び込んできたのは、いつかの日に、満員のライブハウスでレッドアイを飲みながら一緒に聞いた曲。

サマーレモネードの『crazy about you』だった。
“ーーお願い もっとあたしを 置き去りにしてよ”

ボーカルの切なくも張り詰めた声が、居酒屋の喧騒をすり抜けて、妙にクリアに鼓膜を揺らす。
矛盾だらけの、痛々しい愛情が滲むそのフレーズに、私はふっと目を伏せた。

……そう。

たとえば、お互いの境界線がドロドロに溶けてなくなってしまうような。

彼が今、無意識に私にぶつけてきているような、そんな重たい愛を私に求められても、困るのだ。

彼が求めているのは、きっと私という『個』ではない。自分の空っぽな不安を埋め、存在価値を無条件で肯定してくれる、都合の良い揺りかごだ。

でも、私は彼の母親でも神様でもない。寄りかかることでしか立てないような関係は、愛ではなくただの共依存にすぎない。

賑やかなテーブルの片隅で、一人静かに息を吐き出す。

脳裏に鮮明に浮かび上がったのは、暗いライブハウスのステージで鍵盤に向かう彼の姿だった。

自分自身の作り上げた音楽に没頭し、フロアの熱狂を冷徹に支配していた姿。

完璧な音を紡ぎ出すことだけにすべてを懸けていた、あの鋭い眼差し。

あの音楽に夢中になっている時の。

私のことなんて微塵も考えていない、残酷で、手が届かないくらいに美しい横顔。

「……私が好きになったのは、あの横顔だったから」


誰にも聞こえないほどの小さな独り言は、グラスの水滴が落ちる音と一緒に、居酒屋のざわめきの中へと静かに溶けていった。