音に溺れる



「えー! じゃあ付き合ってどのくらいなの?」

完全に面白がっている瀬野さんの追及は止まらない。

俺は小さく息を吐き、これ以上場を長引かせないために、与える情報を最小限に絞りながら淡々と答えていく。

「……3ヶ月くらいです」

「おお、じゃあ一番楽しい時期じゃん! どっちから告白したの? やっぱり御崎さんから?」

「まぁ、俺からですね」

適当に相槌を打ちながら、ウーロン茶のグラスを傾ける。
先輩の酔った絡みに付き合うのも、仕事のうちだ。適当なところで「瀬野さんのところはどうなんですか」と話題を切り替えようと、頭の中で次の盤面を構築していた、その時だった。

「へぇー! じゃあさじゃあさ」

瀬野さんはさらに身を乗り出し、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、声を潜めた。

「ーーーどこまで行ってるの?」

「……」

その最後の質問に。
俺は、どうしても自分の中の『不快感』を隠し切ることができなかった。

ピタリ、と。

無意識のうちに、グラスを持っていた右手の動きが止まる。
心臓の奥底から、ドス黒くて冷たい泥のような感情が、一気に喉元までせり上がってきた。

『どこまで行ってるの?』

酒の席の、ただの下世話な冷やかしだ。

大人の男なら、「いやいや、ご想像にお任せしますよ」とでも笑って流せばいい。それくらい、頭では分かりきっている。

けれど。俺の脳裏にフラッシュバックしたのは。

冷え始めたシーツの上で、どれだけ身体を重ねても彼女の心に届かない、あのどうしようもない絶望と虚無感だった。

神聖なものだと思っていた。彼女と完全に混ざり合って、不安を消し去ってくれる行為だと思っていた。

しかし現実の彼女は、行為の最中もどこか冷静で、淡白で。俺の独りよがりな熱情を、ただ義務的に受け入れているだけだった。

俺と水瀬の間の、一番触れてほしくない、致命的な欠落。

それを、こんな居酒屋のテーブルで、他人に酒の肴として消費されることに対する、強烈な拒絶反応。

「……」

俺の表情から一瞬にして一切の感情が消え失せ、冷え切った沈黙が落ちたのを見て、瀬野さんのニヤついた顔がピクンと引きつった。

「あ、いや……ごめん! 今のはさすがにセクハラだったね! 忘れて!」

慌てて両手を振って弁明する先輩の言葉も、今の俺の耳にはノイズとしてしか響かない。

周囲で飲んでいたサトルやマサキも、俺の放つ尋常じゃない空気を察して、一瞬にして固まっていた。

「……いえ。大丈夫ですよ」

数秒の重苦しい静寂の後。

俺は、無理やり表情筋を動かして、極めて平坦な声でそう答えた。

けれど、グラスを見つめる俺の目は、自分でもコントロールできないほどに暗く、冷たく濁っていたはずだ。

大人になんか、なれるわけがない。

彼女のことになると、俺はいつだって、余裕のない醜いガキのままだった。