音に溺れる




数時間後。

鼓膜を揺らす歓声と、肌を焼くようなステージの熱が嘘だったかのように。

打ち上げ会場となった居酒屋は、煙草の煙とアルコールの匂い、そしてバンドマンたちのざわめきで満たされていた。

「ほんっとに楽しかった! 御崎さん、呼んでくださって本当にありがとう!」

対面の席で、ジョッキのビールを片手に感極まったように声を上げたのは、対バン相手である『Night Hot Cocoa』のリーダー・瀬野さんだった。

すっかり出来上がっている彼は、身を乗り出すようにして熱弁を振るう。

「昨年、上野公園のイベントでご一緒して、いつか絶対に対バン出来たらいいなーってずっと思ってたんですけど。こうやってツアー初日に呼んでいただけるなんて、本当に光栄でした!」

真っ直ぐで、裏表のない純粋な称賛。

俺は自分のウーロン茶のグラスを軽く持ち上げ、口角を少しだけ上げて、完璧な『プロデューサー』の顔で柔らかく微笑んだ。

「こちらこそ、ありがとうございます。今回のsold outは、絶対に俺たちのバンドだけでは実現できませんでした。初日のフロアの熱をあそこまで引き上げてくれたのは、間違いなくNight Hot Cocoaの皆さんのプレイのおかげです」

事実だった。彼らの持つ温かくて親しみやすい楽曲と動員力が、シキの冷たく張り詰めた歌声への最高の助走になる。そう思って俺はこの場を組んだ。

俺が淡々と、しかし最大限の敬意を込めてそう告げると。

瀬野さんは目を丸くして数秒フリーズした後、バンッ!とテーブルを叩いた。

「……ねぇ、御崎さんってまだ20歳ってほんと!? 落ち着きがもう20歳じゃないんだけど!!」

信じられないものを見るような目で、瀬野さんが大声を上げる。

隣に座っていたサトルやマサキが、「あはは、よく言われます」「うちのリーダー、人生何周目かなんで」と笑いながら相槌を打つ中、瀬野さんはさらに身を乗り出してきた。

「いやいや、20歳ってもっとこう、やんちゃしてる時期じゃない!? 酒飲んで馬鹿やったり、感情のままに動いたりさ! なんでそんなに客観的に物事見れてるの!?」

「……いえ。そんな大層なものじゃありませんよ」

俺は苦笑交じりにそう返し、再びウーロン茶に口をつける。
グラスの氷が、カランと虚ろな音を立てた。
(……落ち着き? 大人の余裕?)
喉の奥で、ひどく乾いた自嘲が鳴りそうになるのを必死に飲み込む。

つい一週間前。
彼女からの連絡を待って、暗い部屋で一人スマートフォンを握りしめ、泥のような嫉妬と劣等感にぐちゃぐちゃに溺れていた、惨めな男が?

自分の思い通りにならない彼女を繋ぎ止めるためだけに、もっともらしい正論を振りかざして行動を縛ろうとした、ただの余裕のない子供が?

「……本当、恐ろしい才能だよ。シキちゃんの歌もそうだけど、君のその冷静なプロデュース力がこのバンドの一番の武器だね」

手放しで賞賛を送ってくれる大先輩の言葉に、俺は「恐縮です」と深く頭を下げる。

周りの大人たちから見れば、俺は感情を完璧にコントロールし、全てを俯瞰で動かしている『冷静で大人びた20歳』に見えるらしい。

けれどその実態は、音楽という盤面で圧倒的な結果を出すことでしか自分の空っぽな自尊心を満たせない、ただの不器用でみっともないガキに過ぎなかった。
そのあまりにも滑稽な現実と虚像のギャップが。
居酒屋の喧騒の中で、俺の心臓をギリギリと冷たく締め上げていた。