音に溺れる



時が完全に止まってしまったかのように固まるサトルを見つめ、私は少しだけ困ったように微笑んで、ゆっくりと首を振った。

「でも、ごめんね。……今すぐは、無理」

「えっ……あ、うん。……うん?」

感情の処理が追いつかず、未だに混乱の渦中にいるサトルの前で、私はオレンジ色の街灯が見下ろす冬の夜空を仰いだ。

吐き出す息は白いけれど、胸の奥には今、はっきりとした温かい光が宿っているのを感じる。

「……今は、やっぱり音楽に集中したいし……」

「……」

「日向がいて、サトルとマサキ、4人で居られる時間を大事にしたい」

言葉にしていくうちに、自分の中でその想いが確固たる輪郭を持っていくのが分かった。

「……あの空間と時間が、凄く、特別だと思ってるから」

薄暗いライブハウス。機材と缶コーヒーの匂いが染み付いた下北沢のスタジオ。

日向の、極力感情を排しながらもどこか温かいピアノの音色。マサキとサトルが優しいビートで全体を包み込み、私が、ギターを鳴らしながらもその中心で声を響かせる。

一年後には終わってしまう、砂上の楼閣。

けれど、だからこそ。あの4人で作り上げる『Sound Jam』という箱庭は、私の人生において二度と手に入らない、奇跡のような時間なのだ。

今はまだ、その魔法の中にいたい。

誰か一人の『特別』になってしまうことで、この絶妙な均衡を、一ミリだって崩したくなかった。

私のその身勝手で、ひどく我儘な言い分を聞いて。
サトルは大きく瞬きを数回繰り返したあと、ふぅっと長く息を吐き出してーー不意に、肩を揺らして吹き出すように笑った。

「……なんだよ、それ。お預けかよ」

「むっ。我儘で悪かったわね」

「いや、違う。そうじゃなくてさ」

サトルは目尻に滲んだ涙を指先で拭い、いつもの、けれど今までで一番優しくて、男らしい顔で私を見下ろした。

「……7回フラれて、ずっとお前の隣で待ってたんだ。あと一年と少し待つくらい、マジでどうってことない」

「……サトル」

「俺も、今のあの4人の時間……最高に好きだからさ。お前が最後まで気持ちよく歌えるように、最高のビート刻んでてやるよ」

そう言って、彼は少しだけ冷えた私の頭を、ポンポンと優しく、けれど確かな熱を持った手で撫でた。
その手のひらの暖かさに、私はたまらなく安心して。

「……うん、期待してる」と、彼への絶対的な信頼を込めて、深く頷いた。