嫁ぎ先は神様の住処

 朝食後。仙天横町に出かけると言う氷雪を、蝶子は玄関で見送った。どうやら、この時間は、お店の様子と、食材等の買い出しに行かれるようだ。当番制の童子を二人連れて出て行かれた。

 帰ってこらえたら、足の汚れを洗うために、足濯(あしすす)ぎをさるだろう。
 蝶子は桶の確認をした。

 その後、好きにしてよいっと言われたので、蝶子は竹箒を持って中庭の掃除をすることにした。
 落ち葉を掃き、池の上に浮かぶ葉を取り除き、雑草を抜く。

「あら、あなたたちも手伝ってくれるの?」

 青雀と紅雀が、残っていた落ち葉を口に咥え、竹ざるのなかに入れた。

「「ちちち」」

 首を上下に振る雀たち。蝶子の頬が緩む。

「ありがとう」

 じんわりと汗ばむが、真っ青の空と、肌を掠める風が心地よかった。
竜胆(りんどう)だわ」

 夢中で雑草を抜いていると、綺麗な紫色の竜胆が咲いていたことに気が付く。

「綺麗」

 いままで、花を愛でる余裕など、なかった気がする。
 毎日のように山に行って、燃料である細い枝や木の実などを採りにいっていた。けれども花が咲いていても、ただ横目で見ていただけだった。

「不思議。ここに来てから、見る物が違って見える」

 蝶子は、すくりと立ち上がる。

「あれ、あんな所に、門がある」

 いつの間にか、庭の奥まで来てしまったようだ。塀に囲まれた、立派で強固な門扉があった。塀の向こうには、ひとつの蔵があった。
 蝶子の表情が、さっと陰る。

(あれは、宝物庫かもしれない)

 蝶子は昔、知らずに、奉公先の宝物庫に近づいてしまったことがあった。

『お前は、盗みでもしようとしているのか、この先には行くなと言ってあっただろう』

 旦那様に言われ、頬を打たれた。
 あのときも、こうして雑草を抜くのに夢中になって近づいてしまったのを思い出す。

「いけない」

 蝶子は踵を返した。

(ここまで踏み込むことは、許されないことだわ)

 よそ者が出過ぎたことをしてはいけない。
 蝶子は庭の掃除を、そうそうに終えて屋敷へと戻った。

 自分の部屋に入ると繕い物をすることにした。買って頂いた、反物の残りがある。その切れ端を使ってある物を作っていた。

 そうこうしていると、童子に呼ばれ、蝶子は席を立った。

「蝶子、雪から食材が届いたよ」

 風呂敷から送られてきた物が、神棚から飛び出して、床にふわりと着地した。

(このようにして、送られて来るのですね)
「見て、前掛けに、たすき掛け、割烹着まであるよ。あっ。蝶子専用の包丁もある」
「そんな」

 蝶子は驚いた。まさか、料理をするのに、新しい物を買って頂くことになるとは、考えもしなかった。

「気にしないで、雪が好きこのんでやってるんだから」
「それより、おやつに水羊羹もあるよ。雪が帰って来たら食べようね」

 童子たちは、水羊羹を見て涎を垂らしている。昼を食べる習慣がないので、少し小腹が空いているのだろう。おやつに蝶子も含まれていることが、嬉しかった。

 しばらくして、氷雪が帰って来ると、皆で、水羊羹を食べた。

「美味いか」
「はい」
「お前は、もっと太れ。少し細すぎる」

 氷雪に言われ、蝶子はどう対応していいか困った。話題を変える。

「氷雪様。調理用具を揃えていただいて、あり」
「礼はいい。遠慮は無用。お前は、俺の嫁だろう」

 蝶子は小さく、はにかみながら「はい」と答えた。




蝶子は、袖が邪魔にならないように、たすき掛けをして、前掛けをした。

 一升枡で米を掬い、米をザルに入れる。庭の井戸で米を水で洗い、水切りをすると、重い羽釜に移し替え、竈口に羽釜を乗せた。

「ちちち」

 青雀と紅雀が小枝を運んできた。どうやら、これも雀たちの仕事のようだ。

「ありがとう」

 火を熾すために、焚き口に小枝を組む。火打ち石を打ち、火花を藁に落とし火種を作ると、付け木に火を移し、火を熾した。

 火吹き竹で息を吹きかけて、慣れた手つきで火力の調節をする。様子を見ながら薪を入れる。

「今日の御夕餉は、蝶子のご飯」
「嬉しいな」
「雪が喜ぶね」

 歌うように童子たちは口ずさんだ。手には包丁を持っている。

「トントントンと楽しいな」

 童子たちが、人参、椎茸、玉葱、インゲンを切っていた。
 こんなに賑やかな調理場は初めてだった。

「蝶子、切り終わったよ。次はなにする?」
「では、クルミを、すり鉢で擦ってください」
「御意です」

 ごりごりと音が聞こえてくる。それに合わせて、童子の首が、犬の尾っぽのように左右に揺れた。

 蝶子は空いている竈にも火を熾し、鉄鍋を竈口に置く。菜種油(なたねあぶら)を多めに入れて、一口大に切った豆腐を入れて揚げる。

「香ばしい匂いがする」

 童子は嬉しそうに「ふふ」と笑った。
 蝶子は童子に指示をして、水飴と醤油と刻んだ青ネギを混ぜて、豆腐の餡かけを作った。

 七輪に鉄鍋を乗せて、火を熾し、童子が団扇で煽ぐ。南瓜と玉葱とインゲンの味噌汁を作る。

 他の鍋に、人参、椎茸、大豆を入れて、煮豆を作る。里芋を煮て皮を剥くと、味噌とクルミを混ぜる。

「蝶子、お料理、上手だね」
「いえ、自然と身についただけです」

 しかし、こんなに楽しく調理をするのは、初めてだった。

 空が茜色に染まるころ。一汁三菜の夕餉が出来上がった。
 つい、張り切って作り過ぎてしまったかもしれない。

 それでも、充実感があった。
 箱善に、お米、味噌汁、厚揚げ、煮豆、里芋の田楽を乗せ、運ぶ。




「いただきます」

 童子十三人。氷雪。蝶子。青雀、紅雀。囲って食事が始まった。

「美味しい。里芋の田楽の味噌に、クルミ入れて食べるの、初めて」

 いちねが、田楽を口いっぱいに頬張って褒める。

「お味噌汁も美味しいよ。カツオ節のお出しが、とっても合う」

 次々と童子たちに褒められ、蝶子は戸惑った。料理を褒められたことがなかったから。

「ちちち、ちちち」

 青雀と紅雀も、赤い小鉢をついばみ、褒めているようだ。
 氷雪は無言で、箸を進めていた。

(良かった。食べて下さってる)

 もしかしたら、お口に合わなくて、食べてくれないかもと、蝶子は頭の片隅に入れていた。

「あ、雪。そう言えば、文が届いてたよ」

 にねが、行儀悪く箸をうえにあげて言った。氷雪は眉を顰める。

「今、言うか」
「忘れてたの。仙天横町で会った、白い犬が渡しに来たんだ」
「ふふふ。あの犬ってば、生類憐れみって言葉を出したら、また、毛を逆立ててたよ」
「犬畜生で遊ぶな」
「だってね」

 ふふふっと童子たちは笑った。にねは、箸を置いて、懐から文を出した。氷雪は、さらに眉間に皺をよせた。

「食事中だが」
「その文、あの神様から」
「……」

 氷雪は渋々と箸を置いて、読む。

(あの神様? とは、誰なのでしょう)

 蝶子は、きょとんとする。
 気にはなるが、ここは蝶子が入ってはいけない。

 他者が踏み込んではいけない領域だろう。
 氷雪は深い溜め息をすると、文を懐に仕舞い、食事を再開した。

「ごちそうさま」

 食事を済ませると「酒を、あとで運んでくれ」と童子に言って席を立たれた。

 氷雪は、あまり酒を飲まないのだが、今日は飲みたい気分のようだ。

「蝶子。美味かった」
「えっ」

 去り際に氷雪は、そう言うと、蝶子の髪に何かを、さっと差した。蝶子は、そっと触れ、外すと、手のひらには銀の蝶の簪があった。

「氷雪様。これは……わたし、このように、沢山の物を頂いても」

 恩を返す当てもない。
 氷雪は障子を開け、振り返る。

「嫌か?」
「いいえ」
「なら、使いなさい」
「でも……」

 氷雪は、ふっと笑った。

「俺が選んだ物を、蝶子が身につけているのは、気分が良い」

 氷雪は、それだけ言って、その場を去った。
 蝶子には氷雪の言葉の意味が、わからなかった。

(なぜ、気分が良いのでしょうか)

 童子たちが、にまにまと、ちょっと不気味に笑みを浮かべていた。

「蝶子、嬉しそう」
「え、わたし……嬉しそうですか」
「うん。お顔が緩くなってた」
「ふふふ。嬉しい。ここに来た時は、蝶子、お面みたいな顔してたけど、今は、色々な顔してるよ」
(わたし、そのような顔をしているのでしょうか)

 蝶子は、ほんのりと頬が熱くなり、両手で押さえた。

「ふふふ。雪も嬉しそう」
「良かったねぇ」
「蝶子がいて、良かったねぇ」

 ここに居て。
 童子たちの言葉に、目頭が熱くなる。

(わたしの居場所は、ここでいいのでしょうか)

 蝶子は、氷雪から貰った、銀の蝶の簪を胸にぎゅっと抱きしめた。

「ごちそうさまでした」

 こうして夕餉は、終わった。