ほうっと蝶子は息を零れてしまった。
白の羽織袴には銀色の靑海波の模様があり、腰差しには、真っ黒な刀が大小とあった。氷雪の凜とした姿に、蝶子は見入ってしまう。
(何を着られても、綺麗い)
氷雪は左肘を刀に乗せ、銀髪は結いもせず、風がそよげば涼しげに、なびいていた。
「では行くぞ」
玄関の式台から草履を履いて出る。門から玄関の通路には玉砂利が敷き詰められ、一行は敷石を踏んで門へと進む。門は高い瓦塀と連なり、朱色の鳥居だった。
門扉ではなく、鳥居になっていることに蝶子は驚いた。
不思議な光景に人間界ではなかったのだと、思い出す。神社などに参拝に行ったことはあるが、この様な建物は初めて目にした。
いったい、どこまで瓦塀は続いているのだろうか。土壁と黒光りする瓦は左右に垂直に続いていた。瓦塀は玄関の生い茂る庭木が遮っていて、先が見えない。
蝶子は考えても仕方がないと正面を向く。正面入り口の立派な赤い鳥居を見上げた。鳥居には蛇神と書かれた扁額があった。
鳥居は神域と外を区切る結界の建造物。
きっと、この鳥居が神様の住み処である屋敷を、守っているに違いない。
蝶子は首を振り、外出するために鳥居に近づく。
しかし、蝶子は鳥居の外に目を向けるや否や、目を剥いた。
言葉を詰まらせる。
いくら、ここが人間界ではないとはいえ、さすがにこれは……。
蝶子は半信半疑で口を開いた。
「ここから小船ですか」
「歩いて行くんだよ、蝶子」
蝶子のうしろにいた童子の、ろくねが、顔をあげて微笑んで言った。どうやら童子たちも仙天横町に着いて行くようだ。
「ここを、歩くのですか」
「うん」
「でも……」
と蝶子は言葉を濁す。
蝶子の目の前には塀が真四角に囲まれていた。その下は水池が広がり、三町ほどあり(縦横、約三百三十メートル)お酒を注いだ枡のようだった。
門の鳥居は四つ。今、蝶子が立っている場所から、鳥居は十字に建っていた。
水池は澄んだ翡翠色。底が深すぎて見えない。水草が疎らにあり、不思議な黒い魚が無数に、すいすいと泳いでいる。
「あの石柱を通って西の市にいくんだよ」
ろくねが指を差す。水池の真ん中には円錐の石柱が佇み、洞穴になっていた。洞穴を通ると、向こう側に出て、鳥居に通ずるようだ。
石柱には、今にも動き出しそうな蛇模様があり、少し畏怖を感じた。
「えっと。水の上って歩けるのですか?」
「ここを、どこだと思っている」
氷雪は、ひょうひょうとした様子で顔を向けた。太陽に照らされて、氷雪の銀髪がキラキラと煌く。
ここは神様の住み処。どんな不思議があっても可笑しくは無い。
(でも……)
歩いて行くということは、水の上を歩くこと。神様である彼らは水の上を浮くことが出来るかもしれないが、ただの人間の蝶子は水池に入れば、沈んでしまう気がしてならない。
「大丈夫だ」
真っ直ぐに蝶子を見つめる氷雪。あまりにも穏やかだったので蝶子は「はい」と答えていた。
「さぁ。行こう。仙天横町は真っ正面の西の門だ」
「西の門ですか」
「鳥居のことだ。西の門は仙天横町に繋がる。東の門は、ここ(家)。北の門は人間界に繋がる。南の門は神界で、行きたい神の家に繋がる」
「他の神様のところに繋がっているのですか」
「そうだ。神の社の札を、南の門に貼り付けることで、その神の家と繋がる」
こんなことが出来るなんて。と、驚愕していると、氷雪は鳥居を潜った。蝶子は慌てて追う。ぴしゃり、と音がして氷雪は水面に立った。足元は美しい円を描いた波紋が広がっている。
「さぁ。蝶子」
蝶子は意を決して水池に足を踏み入れる。ふにゅっとした感触がして、水上に立っていた。透けて見える池に心臓が飛び跳ねた。
氷雪は、ぴしゃ、ぴしゃと音を立てて歩き出す。そのあとに続く、が、足を絡ませ
「あっ」
と咄嗟に蝶子は氷雪の背中に抱きついた。氷雪は驚いた様子で振り返る。
蝶子は震えた。
「申し訳ありません。あの、怖くて、わたし、泳げないのです」
片言で蝶子が言うと氷雪は「ふふ」と笑った。
「それなら、俺の背から離れないように、しっかりと掴まっていなさい」
「はい。すみません」
手が強ばる。しかし氷雪の背は温かかった。
(あ、また、この香り)
微弱の甘い香りが氷雪からする。寝込んでいるときもした。額に接吻をされたときも香った。なぜか、この香りを嗅ぐと、ほっとする。
蝶子は、へっぴり腰になりながらも、水辺を歩く。そのうしろを童子たちが楽しげについて来る。
黒い魚が蝶子の足下を、すいっと泳ぎ、ぎょっとして身が竦んだ。氷雪は何度も、うしろを見て気遣う。
「大丈夫だ。この魚は仙漁と言って、ただ、歩くだけなら、なにもしない」
「そうなのですか」
「仙漁は神界にしかいない。神界にも多種多様な生物がいるからな。仙漁の餌は、なかなかグロイぞ」
蝶子はビクリとして、ますます氷雪に近づき、ぎゅっと衣を強く掴んだ。
「それから、ときどき北東の方角に歪みが生じて、鬼門がこの池の宙に、突如と現れる。気を付けなさい」
どこか機嫌良さげに氷雪は言った。
「鬼門ですか」
「ああ。上空から悪い物。悪鬼が入り込むんだ。その残滓を仙魚は好んで食べる」
「悪鬼……」
「怖いなら、背に手を回しても構わない」
「……いえ、大丈夫です」
ずいぶんと考えてから、蝶子は丁重に断った。小猿が親猿にしがみつくみたいにはできない。
童子たちは真うしろを一列に並んで歩く。
「したーに。したーに」
暇を持て余したのか童子たちは口々に言う。ある童子は列から逸れて、路傍に土下座をし、他の童子たちが通り過ぎるのを待つ。ケタケタと笑う童子たち。
蝶子は首を傾げた。
「この子たちは、何をされているのですか」
氷雪は、ふんっと鼻で笑う。
「大名行列の真似て遊んでるんだ。以前、人間界で見かけた」
どうやら、参勤交代の声掛けをしているようだ。
下に。下に。と、下に居よ。と意味を持つ掛け声で、庶民に土下座をするよう促す言葉だ。
童子たちの声を聞きながら、一行は水池の真ん中の石柱に到達した。洞穴の入り口には、『神渡り』の字が彫られていて、中は真っ暗だった。びくびくしながら暗闇に入ると、無意識に蝶子は氷雪の背中から手を回し、ぴたりと背から抱きついてしまっていた。暗闇の中で聞こえるのは童子たちの楽しげな声と、歩く水音だけだった。
一点の光が見えた。
洞穴の出口が見えたころ、蝶子は氷雪に抱きついていたことに気が付き「すみません」と謝り、慌てて氷雪から離れ、背中の服を掴んだ。氷雪の衣が伸びてしまっていて、かなり申し訳なく思えた。
ようやく、洞穴を出ると、水辺をさらに続いていて、ひたすら歩く。少しずつ朱色の鳥居に近づく。扁額には仙天横町と書かれていた。
「もうすぐだ」
氷雪の優しい声で、ようやく蝶子の手の力が緩まった。
一行は鳥居を潜っていった。
白の羽織袴には銀色の靑海波の模様があり、腰差しには、真っ黒な刀が大小とあった。氷雪の凜とした姿に、蝶子は見入ってしまう。
(何を着られても、綺麗い)
氷雪は左肘を刀に乗せ、銀髪は結いもせず、風がそよげば涼しげに、なびいていた。
「では行くぞ」
玄関の式台から草履を履いて出る。門から玄関の通路には玉砂利が敷き詰められ、一行は敷石を踏んで門へと進む。門は高い瓦塀と連なり、朱色の鳥居だった。
門扉ではなく、鳥居になっていることに蝶子は驚いた。
不思議な光景に人間界ではなかったのだと、思い出す。神社などに参拝に行ったことはあるが、この様な建物は初めて目にした。
いったい、どこまで瓦塀は続いているのだろうか。土壁と黒光りする瓦は左右に垂直に続いていた。瓦塀は玄関の生い茂る庭木が遮っていて、先が見えない。
蝶子は考えても仕方がないと正面を向く。正面入り口の立派な赤い鳥居を見上げた。鳥居には蛇神と書かれた扁額があった。
鳥居は神域と外を区切る結界の建造物。
きっと、この鳥居が神様の住み処である屋敷を、守っているに違いない。
蝶子は首を振り、外出するために鳥居に近づく。
しかし、蝶子は鳥居の外に目を向けるや否や、目を剥いた。
言葉を詰まらせる。
いくら、ここが人間界ではないとはいえ、さすがにこれは……。
蝶子は半信半疑で口を開いた。
「ここから小船ですか」
「歩いて行くんだよ、蝶子」
蝶子のうしろにいた童子の、ろくねが、顔をあげて微笑んで言った。どうやら童子たちも仙天横町に着いて行くようだ。
「ここを、歩くのですか」
「うん」
「でも……」
と蝶子は言葉を濁す。
蝶子の目の前には塀が真四角に囲まれていた。その下は水池が広がり、三町ほどあり(縦横、約三百三十メートル)お酒を注いだ枡のようだった。
門の鳥居は四つ。今、蝶子が立っている場所から、鳥居は十字に建っていた。
水池は澄んだ翡翠色。底が深すぎて見えない。水草が疎らにあり、不思議な黒い魚が無数に、すいすいと泳いでいる。
「あの石柱を通って西の市にいくんだよ」
ろくねが指を差す。水池の真ん中には円錐の石柱が佇み、洞穴になっていた。洞穴を通ると、向こう側に出て、鳥居に通ずるようだ。
石柱には、今にも動き出しそうな蛇模様があり、少し畏怖を感じた。
「えっと。水の上って歩けるのですか?」
「ここを、どこだと思っている」
氷雪は、ひょうひょうとした様子で顔を向けた。太陽に照らされて、氷雪の銀髪がキラキラと煌く。
ここは神様の住み処。どんな不思議があっても可笑しくは無い。
(でも……)
歩いて行くということは、水の上を歩くこと。神様である彼らは水の上を浮くことが出来るかもしれないが、ただの人間の蝶子は水池に入れば、沈んでしまう気がしてならない。
「大丈夫だ」
真っ直ぐに蝶子を見つめる氷雪。あまりにも穏やかだったので蝶子は「はい」と答えていた。
「さぁ。行こう。仙天横町は真っ正面の西の門だ」
「西の門ですか」
「鳥居のことだ。西の門は仙天横町に繋がる。東の門は、ここ(家)。北の門は人間界に繋がる。南の門は神界で、行きたい神の家に繋がる」
「他の神様のところに繋がっているのですか」
「そうだ。神の社の札を、南の門に貼り付けることで、その神の家と繋がる」
こんなことが出来るなんて。と、驚愕していると、氷雪は鳥居を潜った。蝶子は慌てて追う。ぴしゃり、と音がして氷雪は水面に立った。足元は美しい円を描いた波紋が広がっている。
「さぁ。蝶子」
蝶子は意を決して水池に足を踏み入れる。ふにゅっとした感触がして、水上に立っていた。透けて見える池に心臓が飛び跳ねた。
氷雪は、ぴしゃ、ぴしゃと音を立てて歩き出す。そのあとに続く、が、足を絡ませ
「あっ」
と咄嗟に蝶子は氷雪の背中に抱きついた。氷雪は驚いた様子で振り返る。
蝶子は震えた。
「申し訳ありません。あの、怖くて、わたし、泳げないのです」
片言で蝶子が言うと氷雪は「ふふ」と笑った。
「それなら、俺の背から離れないように、しっかりと掴まっていなさい」
「はい。すみません」
手が強ばる。しかし氷雪の背は温かかった。
(あ、また、この香り)
微弱の甘い香りが氷雪からする。寝込んでいるときもした。額に接吻をされたときも香った。なぜか、この香りを嗅ぐと、ほっとする。
蝶子は、へっぴり腰になりながらも、水辺を歩く。そのうしろを童子たちが楽しげについて来る。
黒い魚が蝶子の足下を、すいっと泳ぎ、ぎょっとして身が竦んだ。氷雪は何度も、うしろを見て気遣う。
「大丈夫だ。この魚は仙漁と言って、ただ、歩くだけなら、なにもしない」
「そうなのですか」
「仙漁は神界にしかいない。神界にも多種多様な生物がいるからな。仙漁の餌は、なかなかグロイぞ」
蝶子はビクリとして、ますます氷雪に近づき、ぎゅっと衣を強く掴んだ。
「それから、ときどき北東の方角に歪みが生じて、鬼門がこの池の宙に、突如と現れる。気を付けなさい」
どこか機嫌良さげに氷雪は言った。
「鬼門ですか」
「ああ。上空から悪い物。悪鬼が入り込むんだ。その残滓を仙魚は好んで食べる」
「悪鬼……」
「怖いなら、背に手を回しても構わない」
「……いえ、大丈夫です」
ずいぶんと考えてから、蝶子は丁重に断った。小猿が親猿にしがみつくみたいにはできない。
童子たちは真うしろを一列に並んで歩く。
「したーに。したーに」
暇を持て余したのか童子たちは口々に言う。ある童子は列から逸れて、路傍に土下座をし、他の童子たちが通り過ぎるのを待つ。ケタケタと笑う童子たち。
蝶子は首を傾げた。
「この子たちは、何をされているのですか」
氷雪は、ふんっと鼻で笑う。
「大名行列の真似て遊んでるんだ。以前、人間界で見かけた」
どうやら、参勤交代の声掛けをしているようだ。
下に。下に。と、下に居よ。と意味を持つ掛け声で、庶民に土下座をするよう促す言葉だ。
童子たちの声を聞きながら、一行は水池の真ん中の石柱に到達した。洞穴の入り口には、『神渡り』の字が彫られていて、中は真っ暗だった。びくびくしながら暗闇に入ると、無意識に蝶子は氷雪の背中から手を回し、ぴたりと背から抱きついてしまっていた。暗闇の中で聞こえるのは童子たちの楽しげな声と、歩く水音だけだった。
一点の光が見えた。
洞穴の出口が見えたころ、蝶子は氷雪に抱きついていたことに気が付き「すみません」と謝り、慌てて氷雪から離れ、背中の服を掴んだ。氷雪の衣が伸びてしまっていて、かなり申し訳なく思えた。
ようやく、洞穴を出ると、水辺をさらに続いていて、ひたすら歩く。少しずつ朱色の鳥居に近づく。扁額には仙天横町と書かれていた。
「もうすぐだ」
氷雪の優しい声で、ようやく蝶子の手の力が緩まった。
一行は鳥居を潜っていった。
