嫁ぎ先は神様の住処

 「母さん。母さん」
 
 氷雪は亡き母の夢を見ていた。

「普通の子に産んであげられなくて、ごめんね」

 母の口癖だった。
 そんなこと、どうでもいいのに。

 村の連中は氷雪の白い髪を奇異な目で見ていた。ときに、人の死を予言する氷雪に村人は畏怖し”死に神”だと罵り、氷雪を避けた。くわえて、淡く色素の薄い水色の瞳を気持ち悪がった。化け物だと石を投げつけられることもある。

 母はそれを気に病んでいた。
 ときどき、父の家系には、そういった容姿の者が産まれると耳にした。霊力が強く、時代によっては崇められることもあったが、氷雪は逆に虐げられていた。

 実の父は、まるで空気のように氷雪を見ない。怪我をしていようが、罵倒されていようが、父の目に氷雪は映らない。しかし、病気のときは氷雪の前に訪れることはあった。否。死にそうなになると。っと言った方が正解かもしれない。

 大怪我だろうが病だろうが、死の淵に陥りそうになると、父は様子を見に来た。

「死んでもらっては困る」

そんなときは、蔑んだ瞳で父は氷雪に言い。母を管理不届きだと、酷く叱った。
 散々、母を罵ったあと「ふん」と見下す父が嫌いだった。

 普段、空気扱いをするくせに、氷雪の死を父は許しはしなかった。あのころの氷雪は、それがわからなかった。父からの愛情など、一度も感じたこともない。幼少のころは父からの愛情を期待したこともあるが、氷雪が八歳になるころには諦め、嫌悪すらしていた。

 それなのに、父は氷雪を死ぬことだけは気に掛けていた。不思議でならない。

「氷雪」

 母は空咳をして氷雪を呼んだ。十歳の氷雪は布団に寝かされた母のもとに歩み寄った。近頃、母は体を崩すことが増えた。度重なる侮蔑と疲労が、蓄積しているのだろう。青白い顔に、線の細い体躯。氷雪は心配でならなかった。

「母さん、寝てて、家のことは俺がするから」

 母は、それでも寝床から起き上がろうとして「ごめんね」と謝る。
 氷雪は母を布団に戻す。
 謝らなくてもいいのに。

 母は鈴のような人だった。ちりちりと澄んだ心の持ち主で、自分の主張は控えめ。気がつけば、そっと寄り添ってくれる。気弱であって、芯は強い。氷雪のなかの母はそういう人だった。

「この怪我はどうしたの」
「なんでもないよ」

 母は氷雪の頬の縦傷を見て撫でた。近所の悪餓鬼に、化け物と罵られ、引っかかれた傷だ。
 母は悲しげな表情をして、黙って氷雪を抱きしめた。

 小っ恥ずかしいが、氷雪は母に抱きしめられることが好きだった。柔らかくて温かな母に安堵する。この温もりさえあれば、他は何もいらなかった。

 けれど、あの悪夢の夜が来る。
 母との穏やかな日々は、あの夜、失われた。父の手によって。
 やっと、父が私的に氷雪が死ぬことを許されなかった理由を知った。

「氷雪、氷雪」
「母さん」

 土足で離れの家に訪れた父と従者が、眠っていた氷雪を捕らえた。乱暴に手を引かれ、嫌がる氷雪を殴り、引き摺った。
 父は贄になれと言った。

 贄として死ぬ定めだから、生かされていた。
 氷雪の中に父への憎悪が膨れ上がる。山を登り、蛇塚に辿り着くと、父は氷雪を蛇塚に突き落とした。なんの躊躇いもなく。

「母さん」

 氷雪は叫んだ。蛇の息遣いが数多に響く。手足に、体に、頭に、首に蛇は絡みつき、絞めつけられた。

「氷雪。氷雪。いやぁあああ」

 母の悲鳴混じりの声が木霊する。
 苦しい。息が出来ない。
 首が絞められ、窒息して、氷雪の意識が消えていく。

 死ぬなか、洞窟の底から氷雪は朧気に空を見上げた。
 空高く登った満月が見えた。
 氷雪は、手を伸ばす。決して掴むことの出来ない満月に、手を差し出した。
 母さん。

──氷雪は、ぱちりと目を開けた。手には蝶子の手が握られていた。

 まるで、あのとき差し出した手を握ってくれたような錯覚がした。

 蝶子は腫れぼったい目で、小さく寝息を立てていた。氷雪は首を巡らせた。揺り篭に寝かされていることに、困惑する。どうやら、とんでもない失態をしてしまったようだ。

「雪」

 童子たちが氷雪の元に集まってきた。氷雪は居たたまれなくなり、掛けられている上布団を頭まで被った。

「雪、雪。えっと」
「体調はどう」
「……」
「雪ってば、なんか喋って」

 童子たちの様子が、何か悪いことをしたときの声だと気が付き、氷雪は布団のなかで、くぐもった声を発した。

「話しやがったな」
「……」

 そうでなければ、蝶子がずっと手を握って、氷雪の側にいるはずがない。
 ずっと、隠し通すつもりだったのに。
 童子たちは開き直り、氷雪の被った布団を奪おうとする。しかし、氷雪は布団を離さない。

「だってね」
「いいじゃない。うじうじと陰で悩んで落ち込んでいるより。さっぱり。すっきりしたでしょう」
「そうそう。みっともなく、悩んでるより、いいよ」

 誰がみっともない、だ。
 と反論したいところだが、この有様で口答えも出来ない。
 氷雪は、おもむろに布団から出る。布団を引っ張っていた童子が反動で尻餅をついた。

「痛い。もう、すねないで」
「ふん」

 氷雪は口を尖らせると、温かく握られた手を見て、眠る蝶子の横顔を見つめた。

 その頬に触れようとして、引っ込める。童子たちは目を細め、意気地無しと言いたそうな視線を送るが、逸らし、手をそっと離した。

 氷雪が寝かされていた祭壇は、膝ほどの高さがある。蝶子は膝立ちをして、上半身だけを祭壇に預けて眠っていた。

(こんな体勢で寝ていては、辛かろうに)

 何時、この体勢でいたのだろうか。
 氷雪は祭壇から下りると、蝶子が起きないように、抱き抱えた。柔らかな髪が氷雪の唇に掠め、心が疼く。己の手のなかに蝶子がいることに至福感に満たされる。
 しかし、それも……。

「蝶子の寝床に布団の用意を」

 童子たちに言い、氷雪は蝶子の寝室に向かい寝かせてやる。しばらく、蝶子を眺めたあと、氷雪は席を立った。廊下を歩き、中庭へと向かう。

 童子たちは止めなかった。向かった先は、あの場所だとわかっているからだろう。
 氷雪の脳裏に子供のころの蝶子が幾つか浮かんだ。
 蝶子は知らない。氷雪が何度も会いに行ったことを。

 父親の鷹狩り訓練について行き、迷子になった蝶子。人里離れた山の獣道で体を縮込ませてしゃがむ蝶子に、氷雪は、村の山菜採りを装って近づき助けてやった。あるときは、人混みの多いお祭りで怪我して、泣いている蝶子を解放してやった。そういえば、近所の餓鬼大将と喧嘩して木登りで勝負をしている蝶子だったが、手が滑り、落下してきたところを氷雪が助けてやった記憶もある。

(子供のころは、かなりお転婆なところがあったからな、蝶子は)

 目が離せなくて、そのくせ、毎度姿形変えた氷雪を見ても、怖じ気づくこと無く笑い、膝に抱きついた。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 変わらない温もり。
 両親の死がなければ、悪霊として襲われなければ、啓太に狙われなければ、きっと、蝶子は幸せな人生を送っていただろう。

 しかし、あんなことがなければ、氷雪が蝶子を嫁にすることもなかった。出来なかった。氷雪は人ではないから。

 嫁いだときは、どうしたものかと思うほど、氷雪に怯えていた。そのくせ、無気力ですべてを受け入れ、人形のように感じた。
 感情を引き出したいと思った。昔のように。
 そうなった、今──。

 氷雪は中庭へと辿り着いた。下駄を履き緑色の紅葉の木を眺める。
 蝶子が嫁いでから、よく、この木から蝶子を眺めた。蝶子は癖のように帯に触れ、時には、栞を出しては眺めていた。

──白牡丹。
 ずっと、持っていてくれたのだな。
 大切そうにしている蝶子を見ると、沸き上がる幸福感があった。
 決して良い思い出はなかっただろう。

 蝶子の両親が悪霊となったとき、両親は蝶子を襲い、氷雪が助けた。

 雷に打たれた両親を見て、泣き叫ぶ蝶子。血と雨で濡れそぼるなか、真っ白の牡丹を蝶子に贈った。蝶子は空から降ってくる白牡丹を掴むと、胸に抱いて絶叫した。
 そのとき、誓った。

『蝶子。大丈夫。助けるから、必ず』

 激しい雨音のなか氷雪は、そう言う。しかし、蝶子の耳に届いたか、わからない。否、覚えていないだろう。それでも、贈った白牡丹を栞にして、大切にしてくれていた。愛しさが込み上げる。

 氷雪は紅葉の木から目を離し、中庭の奥へと向かった。
ふわりと花の匂いが香る。

 いつから。
 氷雪は晴れた空を仰いだ。
 蝶子が大人になり、触れたいと思う衝動に駆られたのは、いつからだったのか氷雪は、もう思い出すことができなかった。

 目的の門に辿り着く。重たい門扉を、ぎぎっと開いた。




*******

ーー大丈夫。助けるから、必ずーー

  優しくて温かい声。
 空耳のように、時々、聞こえる声。その声を蝶子は、知っていると思った。

 蝶子の視界がぼやけ、ゆっくりと目を覚ます。冷たい布団の感触。さんさんと障子から朝日が差し込んでくる。何気に、光を捕まえようと手を差し出す。その先に、漆の箱があり、なかには栞があった。頭が覚醒してくる。

 いつの間に寝てしまったのだろうか。そこで蝶子は、はたとした。

「氷雪様」

 記憶を辿る。先ほどまで冷え切った氷雪の手を握り、側にいたはずだ。
 それがなぜ、寝室に蝶子は寝かされているのか。蝶子は焦り、氷雪の姿を探した。誰もいない。勢いよく起き上がると、ぐらりと体が少し傾ぐ。

 あれからいったいどれだけの時間が経ったのだろうか?。
 昨夜は色々なことがあって、頭が痛い。
 しかし、蝶子は居ても立ってもいられない衝動が湧いていた。

「氷雪様」

 なぜか、氷雪が蝶子の元を去ってしまう気がしたのだ。置いて行かれる。

 蝶子は頭を振り、布団を畳むのも惜しみ投げ出した。栞を手に持ち帯に仕舞い。立ち上がる。足の親指がズキリと痛んだ。怪我をしていたことを忘れていた。蝶子は足を引きずるようにして、部屋の障子を開けた。

(行かなくては。氷雪様のところに)

 しばらく、歩くと足の痛みが麻痺してきて、歩く速度も速くなる。と、童子の、よんねが、はたきを持って廊下の掃除をしていた。よんねは、蝶子に驚いた。

「蝶子」

 蝶子は目もくれず、その横をすり抜ける。焦燥が募る。

「蝶子、どこ行くの?」

 離れたくない。
 蝶子は揺り篭のある方へと向かった。

「蝶子、待って、そっちは」

 よんねの声は聞こえていなかった。足の痛みを忘れ、走り出す。

(氷雪様)

 と、そこに紅雀と青雀が、廊下のど真ん中で縦に下にと飛び跳ね、行く手を阻んだ。

「ちゅん、ちゅちゅん」
「ごめんなさい。今は」

 二匹を避けて通ろうとすると、紅雀が蝶子の肩に止まり、ぐいぐい、と髪を引っ張った。怪訝に思う。何かを訴えているようだ。

「ちゅちゅん」

 蝶子は足を止めた。

「もしかして、氷雪様はそっちにはいないと言いたいのですか」
「ちちちち」

 と紅雀は首を縦に振った。

「では、氷雪様は?」
「ちち」

 不機嫌そうに青雀が、方翼を広げた。示される方角。中庭。

「あちらに氷雪様が?」
「「ちちち」」

 そうだと言っているようで、蝶子は中庭へと向かった。あの場所はよく氷雪が日向ぼっこするところだった。

 きっと、今日も日向ぼっこをされているのだろう。
 蝶子は脇目を触れず駆け出した。縁側に辿り着くと定位置の紅葉の木を見上げた。

 いない。
 が、ゆらりと中庭の奥で人影が見えた。

(氷雪様!)

 どこに行かれるのか、蝶子は慌てて、履き物をはき、向かった。
 その場所は一度も足を踏み得れたことのない、場所だった。



******

 童子の、よんねは、その様子を縁側から見ていた。
 縁側には、紅雀と青雀が、ちょこんと寄り添って座っていた。よんねは二羽の背後に立つ。

「いいのですか。蝶子に本当のことを言わなくて、伝えましょうか?」

 紅雀と青雀は、よんねを見上げ、首を横に振った。

『私たちが、ここにいることを知る必要は、ありません』
「でも、蝶子の両親でしょう」

 紅雀と青雀は、死んだ蝶子の両親だった。雀として近くで蝶子を見守る。紅雀と青雀の声は、蝶子に聞こえない。陰ながら蝶子を応援し、手助けをしていた。

「きっと、蝶子も喜ぶよ」
『……いえ、伝えません』

 紅雀と青雀は門扉の向こうにいる氷雪と蝶子の背を、優しく目で追った。

『蝶子の行く末を見れるだけで、私たちはいいのです。雪様は私たちを救ってくださいました』

 紅雀は目を細め、遠い記憶を掘り起こす。よんねは、紅雀のうしろで正座した。

『自分たちの意志と反して悪霊となり、人を殺めた私たちは、地獄に落ちるはずでした』

 人は死後、三途の川を渡り十王の裁きを受ける。紅雀と青雀は悪霊となり、罪なき人を殺めた。閻魔大王からは、灼熱地獄に落とされることが決まっていた。

『それをすんでで救ってくださった。閻魔大王は怒り、神々までも敵に回し、それでも、雪様は私たちの願いを聞いて下さった。私たちは、どうしても蝶子を見守りたかった。そのせいで、罰として氷雪様が何年も幽閉されることになってしまった。それなのに、これ以上なにを望みますか』

 紅雀は、すでに見えなくなった氷雪に向かって、頭を下げた。

「ふふ。でも蝶子のお父様は、不機嫌そうですよ」

 よんねは、口元に指を添えて笑った。
 紅雀は呆れた様子で青雀を見るなり、嘴で頬を突いた。青雀は、痛がる様子もなく、仏頂面で、ぶつぶつと呟く。

『蝶子は、誰よりも幸せになるんだ。ならないといけないんだ』
『これ以上の、幸せがありますか』

 青雀は拗ねた様に、そっぽを向いた。

『まったく、私がいるでしょう』

 紅雀は溜め息を吐いたあと、青雀に擦り寄った。
 よんねは、優しい気持ちになり、真っ青な空を見つめた。