「おう。待っておったぞ」
岩ほどの大きな鷹が、屋敷の使者の間で佇んでいた。氷雪は、眉間に深い皺を寄せて、薄ら氷のように冷たい視線をして見上げた。
「人型になったらどうだ」
大鷹はケタケタと気にした風もない。
「冷たい奴だのぅ。人型のが疲れるだろう、お前も蛇の姿でいればいいのに」
「うるさい」
氷雪は、先ほどまでの柔らかな気持ちが、すっかり無くしていた。
蛇の姿などになれば、また蝶子が怯える。
氷雪は、ますます目付きを鋭く細め、大鷹を睨みあげた。
「控えの間にも、通してくれんのか。隣人ならぬ、隣神だろう。親類とも言うがのう」
技とらしく寂しそうに頭を垂らす大鷹。氷雪は腕を組む。
きっと、氷雪をからかって楽しんでいるだけなのだろう。
この大鷹は、隣山の鷹神社の御祭神だ。たまに、お茶を飲みに来るだけ、お土産を渡しに来ただけ、と屋敷に訪れる面倒な神だ。
氷雪は眉間を釣り上げると大きな溜め息を吐いた。
「用件だけ言え」
「まったく、つまらん奴だのう。それに、用件などわかっているだろうが」
文まで寄こしたのだ。そろそろ来るころだろうとは思っていたが、氷雪は開かれたままの窓を見つめる。
雲、ひとつ無い。
「……雨か」
「うむ」
そろそろ雨を降らさなければならない。それが神としての氷雪の役割なのもわかっている。しかし、今は時期が悪い。
大鷹は、じっと氷雪を見つめてきた。嫌な目線がびしびしと刺してくる。すべてを見透かされているようで、氷雪の喉が引っ付くように渇いた。
「お主、神力が欠如しているように見えるが、どうした」
「……」
触れられたくないところに触れられ、氷雪の背中が、じとりと汗ばむ。
だから嫌なのだ。鋭い洞察力を持つ大鷹が。
氷雪は、ふいっと目を逸らした。
「なるほど、原因は、あの小娘か」
氷雪は、はっとする。すでに大鷹の目線は氷雪のうしろに移り、氷雪は、ばっと振り返った。
柱の陰を伺うように、蝶子が不安そうに、こっそりこちらを見ていた。
「蝶子。なぜ来た。待っていなさいと言っただろう」
氷雪は眉根に皺を寄せ、駆け寄った。
叱咤されたと思ったのか蝶子の肩がビクリと跳ね、俯いてしまった。
「ごめんなさい。仮にも嫁ならば、お客様の、おもてなしをしなくてはと思ったのですけど」
蝶子の口から嫁と聞いて、氷雪は目元を微かに綻ばせた。どこを見ていいかわからず、あらぬ天井を見て、ごにょごにょと言葉を濁した。しかし、蝶子の次の言葉を聞いて、一瞬で、凍てついた。
「立派な、綺麗な翼ですね」
先ほどまで萎れていたのに、大鷹に熱い視線を向けて、どこか弾んだ蝶子の声音に、氷雪は頬を引き攣らせた。
氷雪は額に手を当て、人差し指をとんとんとさせた。
「ほう。大蛇は怖くて怯えていたのに、大鷹は平気なのか」
「あっ」
(あっ。てなんだ)
氷雪は、つい、大鷹を睨んだ。そこに童子の、ひとにが氷雪の傍に来て、袖をぐいぐいと引っ張った。氷雪は下を見る。
「蝶子に着物や練り香水を与えても、そんな顔をしなかった癖にって、顔に出てるよ。雪」
「!」
氷雪は、急に咳き込んだ。
「なんだ娘子。鷹は好きか」
「はい。好きです」
「……」
「あちゃぁ」
言葉を失う氷雪。さすがの、ひとにも頬を引き攣らせて、慰めるように氷雪の太股をポンポンと優しく叩いた。
パキ。ポキ。と無意識で氷雪は指の関節を鳴らした。
(焼き鳥にしてやろうか。さぞ食べ応えがあるだろう)
「ほほほ。そうか、嫁を向かえたと、風の噂で聞いたが、本当だったんだな。ところで娘子よ。その額はどうした」
氷雪の心臓が跳ね、我に返る。
「なんでもない」
氷雪は答え、蝶子の前に身を割り込ませ隠した。蝶子は理解出来ず首を傾いだ。
「なぜ、お主が答える」
「……」
答えない氷雪。大鷹の瞳がすっと収縮する。蝶子を凝視する。それだけで、大鷹は状況を把握したのだろう。
「なるほどな、それで、お主の神力が欠如しているのか」
「黙れ」
凍てつきを通り越し、氷雪の瞳に炎が宿った。蝶子に知られてはいけない。氷雪は牽制するように大鷹を睨みつけたが、大鷹はどこ吹く風で、ひょうひょうとしていた。
「ふーん。雨はどうする。そろそろ、こちらの山も影響が出ている。さらに」
「雨は降らせる。それでいいだろう」
「その、体でか」
「黙れ」
氷雪は目を赤く血走らせ、チラリと蝶子を横目で捉えた。
蝶子は胸の辺りの着物を、ぎゅっと握りしめ、氷雪と大鷹を交互に見交わしていた。心配しているようだ。くだらないことで心を煩わせたくはない。
「蝶子、なんでもない」
「ですが、お体とは、どこか悪いのですか」
「大事ない。少し、疲れているだけだ」
嘘ではない。
神力を使い過ぎているだけだ。まだ、大丈夫だ。
納得しきれない蝶子を見ていられず、氷雪は、ひとにを呼んだ。
「出かける。あとは頼んだ」
ひとには俯き、ぎゅっと氷雪の袖を掴む。やれやれっと氷雪は力の抜けた溜め息を零すと、ぽんぽんと、ひとにの頭を優しく叩いた。
皆、心配性すぎる。
「おい、大鷹。今から出かけるぞ」
大鷹は目を細めて氷雪をじっと見る。
「いいのか」
「雨を降らせるんだろう」
これ以上なにも言うなと氷雪は冷笑を浮かべた。大鷹は大層大きな鼻息を、ふんっとさせた。
「そうか、おい。娘子。お主、嫁なのであろう」
「は、はい」
「なら、さっさと逢瀬を結べ」
「えっ」
その言葉には、さすがの氷雪も驚愕し、さっと頬を染めた。蝶子は目をぱちくりさせていた。氷雪は酷く狼狽して大きな手で顔を覆って隠した。
「おい。よけいなことを言うな」
「そうか、逢瀬を結べば、すべて解決するのでは」
「黙れ。なんども言わせるな」
これ以上、蝶子に知られたくない事実を大鷹は語りそうだったので、氷雪は、キッと顔を上げて、強く否定した。
「まったく。面倒な奴だな。無理矢理にでも」
「口を閉じろ」
本気で殺してやろうかと思案する。氷雪の怒気の含む声に大鷹は、しばらく、黙り、諦めたように胸の毛繕いをしだした。
「ふぅ。わかった。わかった。そう睨むな。おい娘子」
「はい」
「よいか。蛇の交尾は長いぞ。心して」
「いい加減にしろ」
さりげに、語ろうとする大鷹。これは完全に大鷹のからかいだろう。ケタケタと大鷹は愉快に笑う。蝶子は、可愛らしく頬を染めて俯いている。
勘弁して欲しい。氷雪は居たたまれなくなり、咳払いをした。
「ほほほ。蛇は一日中(二十四時間)、いたしているらしいからな。寝ずに、朝から晩まで」
「しつこい。さっさと行くぞ」
この会話によって、蝶子の不安顔が掻き消えたことに気が付いていたが、大鷹に礼などするつもりはない。
ちらりと、ひとにを見ると、未だに泣きそうな表情を向けていた。
氷雪は「行って来る」と蝶子に言うと、大鷹の背に飛び乗った。
大鷹は翼を広げ、風が巻き起こす。突風で使者の間の板張りがガタガタと揺らぐ。塵が舞う。書類が舞う。
ぐんっと体が浮く。上昇する。大鷹は飛ぶ。徐々に蝶子の姿が小さくなっていく。心配げな瞳と目が合う。屋敷全体が見えてくる。蝶子の姿は、もう、見えない。それでも氷雪は屋敷を見続けた。疎らの雲を通り越し、青空のなかにいた。氷雪は行き先を見据える。
大鷹は、ばさりと両翼を広げ飛び立った。雨を降らせるために。
岩ほどの大きな鷹が、屋敷の使者の間で佇んでいた。氷雪は、眉間に深い皺を寄せて、薄ら氷のように冷たい視線をして見上げた。
「人型になったらどうだ」
大鷹はケタケタと気にした風もない。
「冷たい奴だのぅ。人型のが疲れるだろう、お前も蛇の姿でいればいいのに」
「うるさい」
氷雪は、先ほどまでの柔らかな気持ちが、すっかり無くしていた。
蛇の姿などになれば、また蝶子が怯える。
氷雪は、ますます目付きを鋭く細め、大鷹を睨みあげた。
「控えの間にも、通してくれんのか。隣人ならぬ、隣神だろう。親類とも言うがのう」
技とらしく寂しそうに頭を垂らす大鷹。氷雪は腕を組む。
きっと、氷雪をからかって楽しんでいるだけなのだろう。
この大鷹は、隣山の鷹神社の御祭神だ。たまに、お茶を飲みに来るだけ、お土産を渡しに来ただけ、と屋敷に訪れる面倒な神だ。
氷雪は眉間を釣り上げると大きな溜め息を吐いた。
「用件だけ言え」
「まったく、つまらん奴だのう。それに、用件などわかっているだろうが」
文まで寄こしたのだ。そろそろ来るころだろうとは思っていたが、氷雪は開かれたままの窓を見つめる。
雲、ひとつ無い。
「……雨か」
「うむ」
そろそろ雨を降らさなければならない。それが神としての氷雪の役割なのもわかっている。しかし、今は時期が悪い。
大鷹は、じっと氷雪を見つめてきた。嫌な目線がびしびしと刺してくる。すべてを見透かされているようで、氷雪の喉が引っ付くように渇いた。
「お主、神力が欠如しているように見えるが、どうした」
「……」
触れられたくないところに触れられ、氷雪の背中が、じとりと汗ばむ。
だから嫌なのだ。鋭い洞察力を持つ大鷹が。
氷雪は、ふいっと目を逸らした。
「なるほど、原因は、あの小娘か」
氷雪は、はっとする。すでに大鷹の目線は氷雪のうしろに移り、氷雪は、ばっと振り返った。
柱の陰を伺うように、蝶子が不安そうに、こっそりこちらを見ていた。
「蝶子。なぜ来た。待っていなさいと言っただろう」
氷雪は眉根に皺を寄せ、駆け寄った。
叱咤されたと思ったのか蝶子の肩がビクリと跳ね、俯いてしまった。
「ごめんなさい。仮にも嫁ならば、お客様の、おもてなしをしなくてはと思ったのですけど」
蝶子の口から嫁と聞いて、氷雪は目元を微かに綻ばせた。どこを見ていいかわからず、あらぬ天井を見て、ごにょごにょと言葉を濁した。しかし、蝶子の次の言葉を聞いて、一瞬で、凍てついた。
「立派な、綺麗な翼ですね」
先ほどまで萎れていたのに、大鷹に熱い視線を向けて、どこか弾んだ蝶子の声音に、氷雪は頬を引き攣らせた。
氷雪は額に手を当て、人差し指をとんとんとさせた。
「ほう。大蛇は怖くて怯えていたのに、大鷹は平気なのか」
「あっ」
(あっ。てなんだ)
氷雪は、つい、大鷹を睨んだ。そこに童子の、ひとにが氷雪の傍に来て、袖をぐいぐいと引っ張った。氷雪は下を見る。
「蝶子に着物や練り香水を与えても、そんな顔をしなかった癖にって、顔に出てるよ。雪」
「!」
氷雪は、急に咳き込んだ。
「なんだ娘子。鷹は好きか」
「はい。好きです」
「……」
「あちゃぁ」
言葉を失う氷雪。さすがの、ひとにも頬を引き攣らせて、慰めるように氷雪の太股をポンポンと優しく叩いた。
パキ。ポキ。と無意識で氷雪は指の関節を鳴らした。
(焼き鳥にしてやろうか。さぞ食べ応えがあるだろう)
「ほほほ。そうか、嫁を向かえたと、風の噂で聞いたが、本当だったんだな。ところで娘子よ。その額はどうした」
氷雪の心臓が跳ね、我に返る。
「なんでもない」
氷雪は答え、蝶子の前に身を割り込ませ隠した。蝶子は理解出来ず首を傾いだ。
「なぜ、お主が答える」
「……」
答えない氷雪。大鷹の瞳がすっと収縮する。蝶子を凝視する。それだけで、大鷹は状況を把握したのだろう。
「なるほどな、それで、お主の神力が欠如しているのか」
「黙れ」
凍てつきを通り越し、氷雪の瞳に炎が宿った。蝶子に知られてはいけない。氷雪は牽制するように大鷹を睨みつけたが、大鷹はどこ吹く風で、ひょうひょうとしていた。
「ふーん。雨はどうする。そろそろ、こちらの山も影響が出ている。さらに」
「雨は降らせる。それでいいだろう」
「その、体でか」
「黙れ」
氷雪は目を赤く血走らせ、チラリと蝶子を横目で捉えた。
蝶子は胸の辺りの着物を、ぎゅっと握りしめ、氷雪と大鷹を交互に見交わしていた。心配しているようだ。くだらないことで心を煩わせたくはない。
「蝶子、なんでもない」
「ですが、お体とは、どこか悪いのですか」
「大事ない。少し、疲れているだけだ」
嘘ではない。
神力を使い過ぎているだけだ。まだ、大丈夫だ。
納得しきれない蝶子を見ていられず、氷雪は、ひとにを呼んだ。
「出かける。あとは頼んだ」
ひとには俯き、ぎゅっと氷雪の袖を掴む。やれやれっと氷雪は力の抜けた溜め息を零すと、ぽんぽんと、ひとにの頭を優しく叩いた。
皆、心配性すぎる。
「おい、大鷹。今から出かけるぞ」
大鷹は目を細めて氷雪をじっと見る。
「いいのか」
「雨を降らせるんだろう」
これ以上なにも言うなと氷雪は冷笑を浮かべた。大鷹は大層大きな鼻息を、ふんっとさせた。
「そうか、おい。娘子。お主、嫁なのであろう」
「は、はい」
「なら、さっさと逢瀬を結べ」
「えっ」
その言葉には、さすがの氷雪も驚愕し、さっと頬を染めた。蝶子は目をぱちくりさせていた。氷雪は酷く狼狽して大きな手で顔を覆って隠した。
「おい。よけいなことを言うな」
「そうか、逢瀬を結べば、すべて解決するのでは」
「黙れ。なんども言わせるな」
これ以上、蝶子に知られたくない事実を大鷹は語りそうだったので、氷雪は、キッと顔を上げて、強く否定した。
「まったく。面倒な奴だな。無理矢理にでも」
「口を閉じろ」
本気で殺してやろうかと思案する。氷雪の怒気の含む声に大鷹は、しばらく、黙り、諦めたように胸の毛繕いをしだした。
「ふぅ。わかった。わかった。そう睨むな。おい娘子」
「はい」
「よいか。蛇の交尾は長いぞ。心して」
「いい加減にしろ」
さりげに、語ろうとする大鷹。これは完全に大鷹のからかいだろう。ケタケタと大鷹は愉快に笑う。蝶子は、可愛らしく頬を染めて俯いている。
勘弁して欲しい。氷雪は居たたまれなくなり、咳払いをした。
「ほほほ。蛇は一日中(二十四時間)、いたしているらしいからな。寝ずに、朝から晩まで」
「しつこい。さっさと行くぞ」
この会話によって、蝶子の不安顔が掻き消えたことに気が付いていたが、大鷹に礼などするつもりはない。
ちらりと、ひとにを見ると、未だに泣きそうな表情を向けていた。
氷雪は「行って来る」と蝶子に言うと、大鷹の背に飛び乗った。
大鷹は翼を広げ、風が巻き起こす。突風で使者の間の板張りがガタガタと揺らぐ。塵が舞う。書類が舞う。
ぐんっと体が浮く。上昇する。大鷹は飛ぶ。徐々に蝶子の姿が小さくなっていく。心配げな瞳と目が合う。屋敷全体が見えてくる。蝶子の姿は、もう、見えない。それでも氷雪は屋敷を見続けた。疎らの雲を通り越し、青空のなかにいた。氷雪は行き先を見据える。
大鷹は、ばさりと両翼を広げ飛び立った。雨を降らせるために。
