Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~


   +
 
 通り沿いのファミレスになにげなく視線を向けた瞬間、息が止まった。空気が裂けるような衝撃だった。

「はは……、は、」
 今、自分が見ている光景が嘘であってほしい――そう願うことすら無意味で、つい笑いが漏れた。可笑しくて笑っているわけじゃない。あまりにも私の世界は無情で、憐れで、雁字搦めで、笑うしかなかったのだ。

 ……勘違い、したんだ。
 窓際のボックス席で向かい合うカップルの、女は睦美で男は碧だった。
 ……私に会いに来て、それで私を睦美だと思ったんだ。

 
 ――数時間前のこと。
 今日もバイトの時間が楽しくて、私は張り切って働いた。
「むーちゃん、見て見て」
 小休憩に移ると麗がスマホを向けてきた。
「これ、アオくん」
「えっ!」
 私はその画像に引き寄せられる。「ちょっと、撮らないで」とでも言ってそうに、てのひらを向けた男の子が写っている。
「これが、今のアオくん?」
 当時も目を保護するための医療用眼鏡を掛けていたが、今も色のついた眼鏡を掛けている。
「目、治ったんだよね?」
 心配になって聞いた。
「うん。ちゃんと見えてるって言ってた。眼鏡掛けてる方が楽なんだって。なんか逆にカッコイイ風だよね」
「あはっ、そうだね」
 私はじいっと現在の碧をみつめた。頬が勝手に熱くなってくる。
 子供の頃もきれいな顔をしていたけれど顎に力強さが出て、あの頃にはなかった喉ぼとけに目が留まってしまう。……大人になったなあ、
 照れくさい気持ちと嬉しさと、懐かしさと、様々な感情が入り混じる。
 
「いつ会ったの?」
「昨日だよ。むーちゃんのこと伝えたら『近々会いに行く』って言ってたよ」
「えっ!」
「むーちゃん、気にしてたでしょ。手紙のことでアオくんが怒ってないかって」
「待って、待って、会いに行くってどこへ?」
「家じゃないかなあ、ほら、住所は知ってるわけだし」
 私はスチール椅子から立ち上がった。居ても立っても居られないとはこういう状況のことを言うのだろう。
「困るよ、そんなの……」
 もちろん会いたい。会いたいに決まっている。こうして麗と再会できて色褪せた私の毎日が劇的に変わったのだ。そこに碧が加わったら――想像しただけでも心に羽が生えてしまう。
「ホントに困るの?」
 麗がニヤニヤしている。私は動揺する。
「う、困らない、よ、だけどさ、心の準備ってものが」
「準備だって?」
 私が唇の中でもごもご言ったせいで、麗は辛うじて聞き取ったであろう「準備」にだけ反応した。
「初恋の男に会うと決めたらさすがのむーちゃんもオシャレをしたくなったのだね、ふむふむ」
「……」
 そこまで気が回らなかったが、意識したら麗の言葉は紛れもなく私の本心になった。とはいえ女の子らしい服も靴も一着も持っていない。
 
 ――「麦ちゃんはジャージがいいよね」
「……うん」
 学校の制服を脱いだら今度は学校のジャージを着る、睦美に言われた通りに。
 それを知らない母は買い物にいくたびに「好きな洋服を買ってあげるから選びなさい」と言ってきた。ある時、一度だけ選んだ。タイトなサロペットスカートに袖が膨らんでいる綺麗な色のカットソー。――可愛いな、着てみたいな、と思ってしまった。けれど睦美にズタズタに引き裂かれゴミ箱に捨てられた。そして母に“告げ口”された。
「ママ……、麦ちゃんがね、夜中にハサミで……。『服なんかいらない』って怒って」
 ゴミ箱を抱えた睦美は切なそうにしていた。
 あれからも母は、「好きな服があったら買っていいのよ」と時々言ってきた。
 ……それができないこと、どうして気付いてくれないの――その不満が表情に出るせいか、母はいつからかなにも言ってくれなくなった。

 
「そろそろバイト代入るでしょ、初めての給料で服を買うのはどう? 自分への『がんばった!』っていうご褒美で」
「あ、えっと」
 私は返事を濁す。
 バイト代はすべて睦美の手術費用へ回すと決めている。一日でも早く睦美の傷を治して、睦美に許してもらいたいから。
「……とりあえず、このままでいいかな。アオくんは外見とか気にしないと思うし」
 何も考えず口にしたら、麗が目を丸くした。
「うわー、ふたりして同じことを言ってる」
「え」
「アオくんもむーちゃんがどんな外見でもどうでもいいんだってさ」
「アオくん、変わってないんだね」
 記憶の中の碧なら、そう言うだろうと想像できて嬉しくなった。
「うん、性格は昔のまんまだよ。おとなしくて、屈折してて、残念なことに毒吐きキャラも健在だったわ」
「はは。それは楽しみ」
 それから私たちは碧との三人での日々を懐かしがった。


 ――出会った頃から碧は一癖も二癖もあった。
 
 初めの日こそ、突然部屋に入ってきた年下の女の子たちに気圧された様子だったが、訪問を続けていると素を見せるようになった。

「ぼくといてもつまらないでしょ、どうせ目もあんまり見えないし」
「んーでも、目が見えにくいこととつまんないことはかんけいなくない?」
「ぼくがこんなじゃなかったら、友達になってないよね」
「それはそうだよ。アオくんママはうちらに声かけないよ。ね、むーちゃん」
「うんうん」
 碧はかなり屈折していたが私も麗も実はあまり気にしていなかった。鬱々とした感情を吐き出す碧を『ただの素直な男の子』と認識していたし、いちいち答えを返していた。
 ある日、碧は「引き出しに入ってるノート見て」と言い出した。
「アオくんが書いたの?」
「うん、もうちょっと見えてるときにがんばって書いたんだ」
 麗とふたりでページを捲ると名前がずらりと並んでいた。その横には不穏な言葉が書かれていた。まるで呪いの日記だった。
「ひえー、アオくん、これはなんなの?」
「ぼくがこうなってからにげていった人の名前と、そいつらがどう不幸になるか――を書いたんだ」
「そーぞーりょくがすごいね」
 私と麗は本気で驚いた。学校の友達、水泳教室の仲間、大人の名前もあった。それぞれに違った不幸の結末が書かれていた。
「じわじわと苦しんで、死んだ方がマシだって言いたくなるような未来がいいな」
「なるほど」
 そうして私たち三人は真面目に「この方法だと即死じゃない?」とか「これはなまぬるいと思う」とか言い合った。

 そんな風に打ち解けても、碧は突然殻に閉じこもった。
「むーちゃんもれいちゃんもケーキが食べたいだけなんでしょう。ほら、食べたんだからもう帰ってもいいよ」
「なんでそう追い出そうとするの!」
 麗はきーきーと騒いで、碧は「ぷい」と横を向く。そのたびに私はふたりの間に立ち手を繋がせたり宥めたりしていた。

「ふつうのことができないぼくといたって、やれることがあんまりなくてつまんないでしょ」
「ぼくに合わせる必要ないからさ」
「人生終わったぼくと一緒にいるって、ヒマだね」
「ぼくといると時間過ぎるのおそいでしょ」
 その都度一蹴しても、碧は何度でも言った。
 途中から麗も私も気づいた。碧が口にしている言葉は、これまで自分に投げつけられたものなのだと。

「もーいいかげんにしな? うちらが楽しくないことをすると思う?」
 麗はいよいよ言った。
「そうだよ」
 私も伝えた。
「うちらはアオくんと一緒が楽しいからここにいるんだから!」
 子供の語彙力では的確な励ましにはならない。けれど私たちの剣幕に碧ははっとしたような驚いた表情になった。そして、静かに泣いた。
 湿った場が苦手な麗は『げっ』という口元を作って「ちょっとトイレ~」と逃げ出してしまい、部屋には私と碧だけになった。
「アオくん、なかせてごめんね」
 使命感を携えた私は、碧の涙を拭きながら謝った。
「アオくんがかなしいのはイヤだよ」
「……ぼくもイヤだよ」
「そうだよね」
 碧はつらつらと心の闇を開放し、涙を拭った。
「普通のことすらできないぼくじゃ、みんなのジャマにしかならなくて」
「うん」
「ぼくが入るだけでめんどうそうにされるし」
「うん」
「……ぼくもそれ分かったから、だからにげたんだ」
「うん」
「でも、わりきれない。あいつらもぼくと同じになればいいのにって思うんだ」
 私は相槌しか打てなかった。だから代わりに碧の手をぎゅっと握ったままでいた。碧が自分を不幸だと思っていることがずし、ずし、と伝わってきて苦しかった。
「むーちゃん、ぼくと一緒にあいつらに『フクシュウ』してくれる?」
「いいよ。一緒にフクシュウしよう!」
 具体的な方法など思いつきもしないのに、私は迷いもなく碧の復讐を助けると約束した。碧は晴れたような笑顔を向けた。
「ぼくは絶対、あいつらより幸せになってやるんだ」
「なってやろう!」
「あいつらの期待を裏切ってやる」
「うん、おもいっきり裏切ってやろう!」
 
 碧が落ち着いた頃、麗が戻ってきた。リビングで碧の母親とお喋りをしていたと言うその口元にはクッキーのカスが付いていた。
「いやー、さっきもどってきたんだけどさ、アオくんがむーちゃんに『プロポーズ』してたからジャマしないようにアオくんママのところに行ったんだ」
「?!」
 言葉の意味に首を捻った私の目の前で、碧が真っ赤になった。

 
 ――そんな幸せな記憶に包まれたことが、まるで罰のように、
 私は目の前の光景をただ眺めていた。