――――「麦」
門扉の前で家に入ることを躊躇していると、車が近づいてきた。
運転席から名前を呼ばれた。
「あ、……パパ、……ママも」
ハンドルを握っているのは父で、助手席には母が座っていた。
「ふたりで……どうしたの」
理由なんてひとつしかないのに、確かめずにはいられなかった。
ふたりの慈愛に満ちた表情が私の心を揺さぶり、安心させてくれる。
「昨日お友達のところに泊まったのよね、……今、帰りなの?」
夜勤の母には、外泊のことをメールで伝えていた。
睦美と対峙して、傷痕の嘘を暴いたことも。
「う、うん。家に睦美しかいないって知ってたから、帰れなかった」
今、両親に甘えたくてたまらなかった。
父も母も切なそうに私を見ているから。
私はそろりと近づいて、父が全開にしたドアに両手を掛けた。
至近距離で向き合うと、ふたりが腫れた私の頬を見て絶句した。
「……」
「……」
何も言わずとも、この頬が誰にやられたものかふたりに伝わっていると理解できた。
「ごめんね、麦。もう大丈夫よ。麦……本当に、ごめんね」
母は涙を堪えるみたいに下唇を噛んだ。
「麦、少し時間を置いてから家に入っておいで」
父は家の方角に視線をやって目を細めた。
その声は、静かだけれど厳しいものだった。
「わかった」
ふたりともはっきりしたことは口にしなかった。
だけども私の心は満たされていた。母の言葉を唇の中でなぞる――もう大丈夫
父の言う通り、家のそばで少しスマホをいじって時間を潰した。
さっき別れたばかりの碧と麗とも、グループ内でメッセージのやりとりが続いていた。
麗:ふたりで帰ってきたなら
しっかり話し合った証拠だと思う!
きっと、むーちゃんを守ってくれるよ
碧:必要なら、俺も状況を説明するよ!
待機してるからいつでも言って
私は、『ありがとう』と『なにかあったらすぐ言うね』と返した。
昨日、あれから麗と合流し場所を変えて碧と三人で喋った。
私の復讐が成功し――と同時にそれぞれの秘密がなくなり、そのことさえも盛り上がる要素となってお喋りが止まらなかった。
夜になり、私はそのまま麗の家にお世話になった。
「――あ、れいちゃんち、行く?」
私の宿泊先が決まると碧がもごもごと不満そうになにか言い始めて、麗に「まだ早いっ!」と一喝されていてちょっと笑えた。
――じゃあ、そろそろ行ってくる!
私はふたりにメッセージを送り、エールを受け取ってからスマホをポケットに入れた。
少し呼吸を整えて、静かに、家に入った。
「――――なの……麦ちゃんの嘘だよ? ねえ、パパは私のこと信じてくれるよね?」
玄関で靴を脱ぐ前に睦美の引き攣ったような声が聞こえてきた。
睦美の言葉からして、母が私のことを伝えたのだろうと察した。
「麦ちゃんは、昔から“そういう子”だったでしょう? 私ずっと苦労してきたもん」
はっ……
思わず顔を歪めた。この期に及んでもまだ、睦美は私を悪者にするのだ。
「パパだって知ってるでしょう? 麦ちゃんがいつも怒ってて、イライラしてて、不機嫌なこと」
……。
昨日、自分の嘘が私にバレたことを知ったはずなのに、睦美はまるで悪びれていない。
……はあ、
怒りとやるせなさで、私の体は痺れたようになる。
あと数歩でリビングなのに、足が動かなかった。
「こんなこと言いたくないけど……、麦ちゃん、心の病気なんじゃないかな、虚言癖まで出てきたんだもん、ねえ、パパ、それしか考えられないよ」
睦美の言葉はすべて父に向かっている。
母の説得をあきらめたのだろうか。そして『自分の親でもある』父なら、味方になってくれると信じているのだろうか。
……パパは、睦美を許してしまうのかな、
さっきの表情は、私の願望だったのかな、
数十分前、父の愛情をその目の中に確かに感じた。
『もう心配ないからな』――そう言ってくれているようだった。
だけど父は、さっきから一言も発していない。
「あなたはどこまで麦を貶めるの、もうたくさんよ、嘘ばかり」
母の声は低く、怒りに満ちていた。
「パパ……、私、嘘なんてついてない、本当だよ」
睦美の声はやはり父にだけ向かっている。
……。
私は、ぐっと顎を上げた。
睦美に罪を問う母のため、心を強く持つ。
足を一歩、踏み出した。

