「――今日、どうしようかな」
完全に独り言だった。
家に帰れば睦美がいるだろう。
睦美はまだ今日のことを『姉妹の問題』と思っているかもしれない。私を支配する次の一手を思いつき、私の帰宅を待ち構えているような気もする。
「今、むーちゃんの家にはあの子だけなの?」
「パパが帰ってなければ、たぶんそうだと思う。ママは今週、私のために夜勤のアルバイトに行ってるんだ」
麗が私の事情を話してくれたおかげで、母は私のやり方に合わせてくれている。
いろいろ聞きたいことがあるだろうに、じっと待ってくれている。
「むーちゃんのお母さんも必死に我慢して過ごしてるんだろうね。俺もずっと、そうだったからわかる……」
「そう、だね」
碧に言葉にされて、胸が少し痛くなる。
「たぶん明日か明後日、睦美と話すことになると思う」
麗から聞いた様子では、母は今すぐにでも睦美を問い詰めたいようだった。
けれど今日、私が睦美と対峙することを知り、なんとか怒りを抑え込んでいるのだろうと思う。
「お父さんとも相談して、あの子を追い出してくれるといいね」
「だといいね」
私は小さく頷く。
そうだったらどんなにいいだろう。
両親がふたりとも私の味方になってくれたら、本当に安心できるんだけど。
「もしよかったら、今日、どこか泊まる?」
「!」
碧の提案に心臓が跳ねた。
「あっ、へんな意味じゃなく――って、そういう意味でもない……けど、むーちゃんをあの子がいる家に帰せないから、なにされるかわかんないし……」
「……」
碧の早口の唇をみつめる。
へんな意味じゃなくて、そういう意味でもない、だって?
「ふたりが気まずければ、もちろん、れいちゃんも誘って……」
私の沈黙を誤解した碧が声を落とす。
「……」
私は私で、別の意味に囚われている。
「アオくんが私にそういう興味ないのは知ってるから、別にふたりでも大丈夫だけど」
「え、知ってるって、それはどういう……」
……。
私は視線を宙に浮かして、重くなった口を開いた。
「あの時、その……、アオくんが睦美の胸を見ようとしたときに、言ってた……」
「わっ」
碧が急に声を上げた。
「あれは胸の傷を確かめるた――めで」
弁解しようとした声が大きくなって、周りからの視線に碧は口元を押さえた。
近くの席の客が会話に反応して私たちを見たからだ。
咳払いをひとつ。
「見るつもりなんてなかったよ」
碧が声を落とした。
「そうなの?」
もちろんだよ! と声がまた大きくなって、碧は頭を抱えた。
「とにかく、あれは、違うから」
強めに否定して続けた。
「『初めてじゃない』という言質を取るのが目的だったんだ」
「……あれ、っていうのは?」
もっとはっきりした『答え』が欲しくて突っ込んだ。
「あ、だから……、むーちゃんが気になってるのは俺が言った――あれ、だよね?」
ふたりで、『あれ』を繰り返していて少し面白くなってしまった。
碧の反応から、あの言葉が睦美の嘘を暴くための『台詞』で『嘘』だと伝わったけれど、ここまできたら引き下がれない。
「うん、それ。ちょっと衝撃だったよ」
私はわざと難しい顔を作って見せた。
「アオくんがいつのまにか経験豊富な男の子になってたなんてさ」
「ちょ、豊富ってわけじゃない! 誤解させたのは俺だけど、そこは訂正したい」
手を緩めない私に碧は焦っている。
……うわあ、豊富じゃないけど、それなりには経験してるってことかあ、
「……」
私の心も、安心したりしゅんとしたり忙しい。……泣いてしまいそうだ。
「むーちゃん……、あのさ、ごめんね?」
なんのために謝るのか分からないだろうに、碧は私の機嫌を取ろうとしていた。
その行動に、なんだか救われた。
私たちの間には会えなかった月日が存在している。
そのどうしようもないことこそが、現実だ。
「むーちゃん、かなり痛む?」
雰囲気を変えようと、目の前の料理を口に入れたら、あまりにしみて顔を歪めてしまった。
すぐに気遣ってくれる碧に、さっきまでのモヤモヤが薄れていく。
「口の中切れてたみたい。でも大丈夫! 美味しい!」
……アオくんが目の前にいるから、もうなんでもいいか!
あのまま――睦美に碧を奪われることを思ったら、過去に嫉妬するなんて贅沢なことだ。
叩かれていない方の歯で咀嚼していると、碧は切なそうに言った。
「俺が代わってあげたい……」
私は人差し指を上に向けて諭すように言う。
「そしたらアオくんが痛くなっちゃうよ?」
「そっちの方がいいよ」
「私が嫌だよ」
私たちの上に甘い空気が降っている。
それを私も――たぶん碧も、感じ取っている。
今日は大変な一日だったけど、何もかも終わったらこんなご褒美が待っていた――正直、ここまでは想像していなかった。
碧が私のために一緒に復讐計画を練ってくれていたことも衝撃だったけれど、碧があんなにも容赦なく、睦美を断罪してくれたことも本当に、嬉しかった。
「アオくん、ほんとうに――ありがとう」
心を込めて言いたくなった。
「どういたしまして」
碧はシンプルに、言った。
だけどもその眼差しの深さは、言葉とは裏腹だった。
……ねえ、アオくん。もしかして、アオくんが好きなのは、私?
――友達としてでは、なくて。
そんなことを思ってしまいたくなるくらい、碧は向き合う私に目を細めて笑っていた。

