Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~




 睦美に言われた通りにし、目の前に立つ睦美にそろりと視線を向けた。
 その途端、睦美の利き手が大きく横に開いた。え、と思った瞬間、強烈な平手打ちが頬を張った。
 あまりの強さに足がよろけ、床に座り込んだ。
 口の中に血の味が広がった。不意打ちを食らったせいで、歯で頬を噛んだらしい。

「ねえ、さっきからなんなの?」
 睦美は私の髪を掴んでいた。
 首がのけ反り、苦しくて涙が滲んだ。
「うっ……」
「自分の立場分かってる?」
「睦美っ、い、痛い……」
 ……もういいよね、ここまで証拠揃ったら反撃してもいいよね?

「いい? あんたは一生、私のために生きるの。あんたが他人にどう思われようがどうでもいい。それだけのことをあんたは私にしたんだから」
「……私、睦美に“なにもしてない”」
 私は引っ張られている髪を庇いながらなんとか言った。
「睦美が私のせいで怪我したって、嘘だった!」
「――は?」
「私、睦美に騙されてたんだよね、ばかみたいに」
 睦美の手が私の髪から離れた。
 頬の痛みで唇がうまく開かない。だけど耐えて、声を張った。
「睦美の胸には傷痕なんてない! 私に罪を背負わせて、言いなりにさせる理由を作ったんでしょう!」
 空気が途切れた――感覚が私たちを襲った。

「なんで? ……ねえ、なんでそんなことを?」
 本当はずっと疑問だった。
 なぜこんなひどいことができるのだろうと。
 だって私たちは、母親が違っても姉妹に変わりないのに。

「私、睦美になにかした? こんなことされるほど、なにかした?」  
「――存在」
「え?」
「あんたの存在が目障りなのよ」
 低くうねるような声が、私の心を抉った。

 ……私の、存在……? それが理由?
 私は目を見開いた。

 ……存在って、
 それが虐げられてきた理由なら、どうやったって睦美とは分かり合えなかったということだ。


 「――むーちゃんっ」
 ドアが開いたのと、碧の声が聞こえたのは同時だった。
 睦美を見上げていた私の体が、重力に逆らって持ち上がった。
 碧に抱きかかえられた。
 私の体から一気に力が抜けた。それをしっかりと支えてくれている碧を、ただ見た。

 睦美が声にならない声で何か言い、後退りした。――違うの、これ、違うの……
 うわ言のように繰り返している。

「大丈夫?」
 泣きそうな顔が近くにあった。
「なんでこんな……」
 遅れて、あ、私の頬のことだ、と気づいた。――どうやら私、ほっとしてしまったようだ。考えがまとまらない。

「――アオくん」
 睦美が、碧を呼んだ。「これ誤解で……」
 睦美は言い訳を始めた。必死に作った笑顔で。
「……」
 碧の腕の中にいる私には、碧の矢のような視線が見えている。
「なにが誤解? むーちゃんに手をあげておいて」
「アオくん……“むーちゃん”は私、だよ?」
「――は」
 碧は失笑の後で、ひどく冷たい声を睦美に向けた。
「むーちゃんから奪ったあだ名も返して。昔からずっとこの子のものだから」
「!」
 睦美が狼狽えている。
 私はただ碧を見上げて、守られているだけになっていた。
 
「アオくん……私の話聞いて。私が――叩いたことは、認める……でも、それ仕方なかったの。私、侮辱されて、それで自分を、守ったの」
「……」
 碧が奥歯を噛んだ音が聞こえてきた。
「都合良く言うんだね」
「本当なの、信じて」
「きみのなにを信じられるの?」
 碧は険しい視線を解いてから私を見下ろした。その目が、俺にまかせて、と言っている。
 私は――、私は、それに甘えた。
 
「初めから知ってたよ。きみがむーちゃんのふりして俺に近づいてきたところから」
「……え?」
 睦美の表情が固まった。
 ……私も、驚いて碧を見上げたままになった。
「あ、あの……違うの、それにも『理由がある』の……だから、お願い、ちゃんと話を聞いて?」
「それ、むーちゃんを悪者にするためにきみが考えた創作、だろ」
 !
 ……アオくんは全部知ってたんだ
 私は、小さく震えた。   
「きみの周りにいた人たちは信じたかもしれないけど、俺には通用しないよ」

「で、でも――私が、麦ちゃんじゃないって知ってたのに、私とずっと会ってくれてたんだよね、――私のこと、好きだったからじゃないの?」
 睦美の笑顔は焦りを飲み込んで、歪んでいた。
「俺、きみに好きだなんて言ったことあった?」
「……っ、だって、今日『記念日にする』って……っ」
「うん。間違ってないよ。むーちゃんがきみの支配から抜け出す記念日だ」
 睦美が膝から崩れ落ちた。  

「俺がなんできみと会ってたかって? きみがむーちゃんのフリをする理由を探るために決まってる」
「……じゃあなんで私の体――」
「ああ、あれ? きみの胸に『むーちゃんを縛り付ける傷痕』が本当にあるのか確認したんだよ」
 !
 私は……私は、たまらずに細い息を吐いた。
 碧が私のために睦美と会っていて、私のために、睦美の嘘を暴いてくれたのだとようやく理解した。

 睦美は髪を振り乱して碧を詰った。
「わ、私より、麦を選ぶっていうの? そんな子――」
「あのさ」    
 碧は冷たく言い放った。
「俺がきみを選ぶなんて、ない」
 そうして私に促した。
「むーちゃん、行こう」
「……う、うん」
 私はかろうじて、返事をした。

 ……。
 部屋を出る瞬間、振り返って睦美を見た。
 睦美は下唇を噛んで肩を震わせていた。

「――睦美」
 私は呼びかけた。
 きっとこれが睦美の名を呼ぶ最後だと思いながら。
「もうあなたには従わない」
 睦美は荒い息のまま顔を上げた。
 
「あなたに奪われたものは全部取り返す――アオくんも」
 言いながら、碧のシャツをぎゅっと掴んだ。