睦美は帰宅してすぐ私の部屋に入ってきた。
昨日一日おとなしく部屋にいたかどうかを一方的に質問し、私の髪型に気づいた。
「私がいない間に髪切ったの?」
「あ、うん、バイトで注意されて」
洗面所でスタイリング剤を洗い流し、わざとばさばさの髪でいたけれど睦美には通用しなかった。
「……ふーん」
私を正面に捉えた睦美の目つきは、不満というにはあまりにも強く、敵意に満ちていた。
「どこで切ったの?」
「えっと、バイトの店長が紹介してくれたところで店名は……なんだったか、な」
もごもごと言う。
「ねえ、自分で似合ってると思ってる?」
「……よく、わかんないけど」
「じゃあ断りなよ! カット代いくらしたの?」
睦美は低く怒鳴った。と同時に、机の上にあった参考書をつかみ、投げつけてきた。
反射的に両手でかばったが、鈍い音と共に腕をかすめて床に落ちた。
「価値も分かってないのにもったいないと思わない?」
睦美は私の痛みなど最初から気にも留めていない。だから崩れた体勢の私の肩を容赦なく強く押せるのだ。
腰が机にぶつかって、固い音が立つ。私は肘で体が倒れないようになんとか支えた。
「ちょっと稼ぎ始めたからって調子に乗ってる?」
「……」
今までの私なら、睦美のどんな理不尽な怒りにも「ごめん」と謝っていた。
だけどもう、絶対に謝りたくない。謝るものか。
その決意の分だけ睦美がヒートアップすると分かっていても、私は無言を貫いた。
「髪型どうにかしたって意味ないって言ってんの」
この、ひねるような低音と高圧的な目つきは私しか知らない。――そんなのもったいないよね?
……決めた
私は這いつくばるような心境で、決意した。
……睦美のこの姿を、たくさんの人に見てもらう。
睦美の暴言を遠くに聞きながら、脳内でその方法を検索する。
そうだね、録画できるカメラを買おう。ひとつじゃなくていくつも。
幸い私には貯め続けたお金がある。復讐のために使うなら惜しくない。
「わかったの? 次にカットするのは私の許可を取ってからにして」
「……」
新しい服すら買うことを許されないのに、髪を切る許可など出るわけがない。
「どうせバイトと家と大学を往復してるだけでしょう」
睦美は意地悪く笑った。
「……」
私も、頭の中で低く笑う。
……睦美、みんなに見せてるお嬢様ぶった優しく儚げな姿、私が暴露するから、待ってて
「ねえ、黙ってないで何とか言いなよ」
縮こまった私に満足しながらも、睦美はさらに私を追い詰める。
いつもそうだ。
私に『ごめんなさい』と、何度でも謝らせるために。
「だいたいさ、カレシもいないくせに身なり気にしたってしょうがないじゃん」
「……カレシ」
今朝まで一緒にいた碧が一瞬にして目の前に現れて、私は無防備に呟いてしまった。睦美が、値踏みでもするように私を見下ろしていることにも気づかずに。
「ねえ、麦ちゃん、まさかカレシ欲しいの?」
「え」
「それで髪切ったの?」
睦美は突如声を上げて笑った。
「ウケるんだけど!」
「……」
「あー、でもそれいいかも」
睦美はにやっと笑って、そこからはもう私を見なかった。
私を痛めつける方法を探し当てた時の顔はこれまでに数えきれないほど見てきた。経験上、睦美の行動も大体の予想がつく。
その答え合わせは数日後にやってきた。
*
「麦ちゃん、今日の講義午前中だけだよね、男紹介してあげるから午後空けといて」
「……」
こちらの予定も都合も、当然気持ちも聞かず一方的に伝えてくる。これが自分たちの関係性だ。
「名前は須賀君。自分から『つきあってください』って言わないとね」
……え、須賀君って、あの?
私は、その名の男の人を脳裏に呼ぶ。
名門高校から外部進学してきた人で、家がお金持ち。
『私に釣り合うのはこの人かな』――睦美が、複数いる対象者の中から一番の“恋人候補”に位置付けていたはず。
……そうか、アオくんに乗り換えるのに、須賀君が邪魔になったんだ
私は静かに、そこへ行き着く。
睦美がやりそうなことだ、と思った。
「オッケーもらうまで強気で押してね」
「……うん」
私は従順な妹を装った。
時間通りに、待ち合わせの駅前広場へ行った。
そこにはそわそわしながら睦美を待つ須賀が立っていた。
私は目深にかぶったキャップのまま近づく。
「須賀君、ですか?」
かっこいいかどうかの基準は分からないが背が高く痩せ型で、誠実そうな雰囲気の人だった。
「……えっと」
突然見知らぬ人間に声を掛けられれば、動揺するのは当たり前だ。
だから私は本題から入った。
「睦美から、“ここに行け”って言われて来ました」
「……どういうこと? きみ、誰?」
「場所を移しませんか?」
――『睦美のカレシになるはずの男に妹が言い寄った』
既成事実をでっち上げたい睦美は、今大勢の中にいるはずだ。そして、男が怒りまかせに電話を掛けてくるのを待っている。この場所は同じ大学の人たちがたくさん通る。目撃者を作るのは簡単なことだ。
「……えっと、もしかして、きみ」
目立たない場所へと誘導すると、須賀の視線が遠慮気味に絡まった。
「睦美の妹です」
私はまっすぐに須賀を見て、はっきりと口にした。
ここへ来る前に服を着替えた。化粧もした。もちろん靴もバッグも新品だ。
「なんか、印象、違う、けど」
須賀は居心地が悪そうだ。
私の評判も知っていて、睦美に似た顔を前にどうしたらいいのか分からない、そんな様子だ。
私はためらわず、口を開く。
「言いにくいけど、伝えなきゃいけないことがあって」
「……なんとなく、察したけど」
須賀は深いため息を落とした。
「待ち合わせの場所に妹を行かせることが“答え”なんだよね?」
私は首を縦に振った。
「は……」
須賀はやりきれない、と言った風に眉間を指先で押さえた。
「けどそれなら、期待させるようなことしないでほしかったな」
頷いて、同意する。
「……」
睦美を庇わない私に須賀が表情を変えた。
私は、須賀が感じただろう違和感を受け止める。
……これが睦美のいつものやり方なんです
目で、伝える。
自分は“つきあうつもりでいた”。でも横恋慕した私妹のために身を引くしかない。自分だけ幸せにはなれない――というストーリー。
「……あのさ、こういうことってよくあるの?」
「!」
これまでの男たちは、私に説明の機会すら与えてくれなかった。
目の前で睦美に電話をして『事情』を知り、私に『気持ち悪い』と罵声を浴びせてきた。『誰がおまえみたいな女とつきあうんだよ』『そばによるな!』
先入観のせいか、私は身動きひとつしていないのに、私に言い寄られている、と思い込む。
そんな男女に通行人が好奇の目を向けるのは当然のことだった。……だけど私にも悪い部分がないとは言えない。睦美に仕組まれたと知った瞬間から誤解を解くことをあきらめたから。
「……」
私は須賀の印象を少し修正した。
今まで睦美が仕掛けてきた男たちは、私に恥をかかせることなんてなんとも思ってなかった。須賀はそういう男たちとは違うようだ。
……こういう人、睦美にはもったいないよ
「俺、きみのウワサ少し知ってるから……」
須賀が言いにくそうに口元に手を当てた。
「こうして会うのは初めてだけど、遠くからきみのこと見たことあるし、その……普段のきみは」
「私、変わろうと思って」
決意は本心だ。
だが今日会ったばかりの人間に事情を説明できない。
「もう睦美の言いなりになるのはやめるので」
短く言うにとどめた。
「……」
須賀は押し黙った。
最後にと、私は深く頭を下げた。
「次は、優しさに『優しさ』で返せる人を好きになって」
睦美を忘れて幸せになってほしい
「そして、睦美を許さないで」
――私も、睦美を許さない
「……わかった」
私の気迫に当たったのかどうか、須賀は静かに頷いてくれた。
