レンタカーを返却した直後から、私は家族のことを口にするのを止めた。
考えがまとまらず、すでに不満や疑問で堂々巡りになっていた。
……それに少し冷静になっていた。
気が動転していたこともあるけれど、碧の前で“睦美”の名前を何度も出してしまった。
碧がそれについてなにか聞いてきたら……、睦美の悪事を告げ口してしまいそうで――、それによって碧が傷つくのも……、その反応を見て私自身が傷つくのも、怖かった。
私たちは駅前のビジネスホテルにチェックインし、食事をしに外へ出た。
パスタ、とんかつ、ラーメン、定食――看板を見ながら好みを言い合い、最終的にじゃんけんをして勝者の麗に従った。
「和食屋の娘やけど、たまには洋食が食べたいんよ」
照れ隠しで方言になった麗に、碧が北海道の方言で反応した。
「んだべな。たまに食うと、倍うまいんだわ」
優しい返しは笑いの中で流れていくけれど、私はこの空気感がとても好きだ。
思い出と近況報告をごちゃ混ぜに取り出しながら、私たちは時間を忘れて語りあった。
ホテルに戻ってからも当然のように碧の部屋に集合し、遅くまで喋り続けた。瞼が重くなっても楽しくて離れがたくて、何度か落ちてもまた目を覚まして会話を続けた。
*
「次はさ、温泉行かない?」
「いいね!」
「行きたい!」
朝食時、麗の提案に私と碧はすぐさま食いついた。
「お風呂入ってさ、豪華な食事食べてさ、まただらだら喋って、誰かが寝たくなったら寝て、起きたらまた喋ろうよ」
「はははは」
私だけじゃなく、麗も何度か寝落ちしていた。碧だけはずっと起きていたようだった。
――――「アオくんは眠くないの?」
昨夜、ウトウトしていた私の隣で、麗が碧に聞いていた。
「こっちに来る前に会員制のカフェバーでバイトしてたからかな、夜は案外強くて」
「あ、そんなこと言ってたね」
『アオくんが夜の仕事してたなんて、不思議な気分だよ』
……半分夢の中に入りながら、私も頭の中で会話に参加する。
「女性客とかも相手にしたんだ?」
「まあ、そうだね。自分で言うのもあれだけど、わりと人気あったよ」
『人気出ちゃうよねえ、わかるよ』
……話しているつもりだけど私の声、ちゃんと聞こえてるかな?
「黙ってたら結構近寄りがたい雰囲気あるけど、大丈夫だったの?」
『そうそう、私もそれ思った!』
……夢と現の間で、麗に激しく同意する。
「うん。俺、ギャップ売りしてたからオッケー」
「急に言い方が軽くなったな」
「そういうこと」
『えーすごい、演技が上手ってこと? 俳優にでもなればいいのに。うーん、でもそうなったら遠い存在になっちゃうよね、それは嫌だな』
「あ、むーちゃん、眠ったね」
「今日はいろいろ疲れただろうから、このまま眠らせてあげよう」
「そうだね」
……私、まだ寝てない!
『まだ喋りたい!』
「それにしても衝撃だった」
「むーちゃん、これからどうするんだろう」
「……」
ふたりが黙るからか、私の意識がすうっと引いていく。……あ、本当に眠りそう……やだな、
――その後の会話はもう私の記憶に残っていなかった。
次に目を開けると、別の会話に移っていた。
「おや、むーちゃん、おはよう」
麗がニマニマしながら言う。
「わ! 私今寝てたよね。記憶飛んでる!」
「四十分ぐらい落ちてたよ」
碧が教えてくれる。
「悔しい」
本心から言った。この楽しい空間を一秒でも長く味わっていたかったのに。
「ってことで次、私が寝るわー」
そう言って麗はベッドに横になると、あっという間に眠ってしまった。
「アオくんは眠くない?」
「俺は大丈夫。むーちゃんは?」
「私は、今ちょっと寝たから」
……だからまだ話していたい。
でもその言葉は、心の中で言った。
「むーちゃんは卒業後の進路は決めてるの?」
「!」
会話が始まることが嬉しくて唇を開きかけ――、未来の展望がない自分には、話すべき理想や夢がないと思い至る。
そういえば、睦美はアナウンサーになるつもりでいる。親と同じ夢だなんてこれが遺伝子ってこと……? でも……
「ママの夢が、アナウンサーだったなんて、聞いたことないんだよなあ」
「ん?」
碧が、私の小声に耳を寄せる仕草をし慌てて両手を胸の前で振った。
「あっ、独り言! 今のはナシ。えっと私は、何が自分にできるのかこれから考えようと思う。――アオくんは?」
強制的に、会話のバトンを碧に渡した。
碧はすぐに受け取ってくれた。
「数年はこっちで頑張るつもり。でもいずれは北海道へ戻りたいと思ってる」
「そっか……」
また離れることになるのかと、しんみりしてしまう。
「むーちゃん、北海道ってどう思う?」
「え?」
「あ、いや。好きか嫌いかでいったらどっちかなって」
私は斜め上に視線を向ける。行ったことはないけど……
「きっと良いところなんでしょう?」
東京生まれの碧が、戻りたいと思うほどの場所なんだから。
碧の口角がふっと上がる。
「良いところだよ、むーちゃんに見せたい景色がたくさんあるんだ。今度案内するよ」
「……うん」
私は静かに頷いた。
けれどその約束は、さすがに切なかった。
……そんなに素敵なところなら、いつか睦美のことも連れて行くんでしょう?
本当は今すぐ聞きたい。
……ねえ、睦美のどこが好きになったの?
碧は、外見なんか気にならない、と言った。
それなら睦美のなにを好きになったのだろう。
性格? フィーリング? 直感? 運命?
……どれも、嫌だ。
「外見で好きになった」と言われた方がまだ救われる――と、気づいてしまった。
「むーちゃん、眠いなら寝てもいいよ」
「!」
碧の気遣いに慌てて顔を上げた。
「まだ眠くない」
嫉妬心を閉じ込める。
碧と過ごせる今がとても、とても大切なことに――切なくて泣きそうだ。
「じゃあ、さっきの続き―――」
それから私たちは麗が再び会話に合流するまで甘く……ノスタルジックな空気感の中、誰にも奪われることのないひとときを過ごした。
