Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~

 
 
「――まあっ、睦美ちゃん! 大きくなって……!」
 玄関先で出迎えてくれた中年女性は、私を見るなり興奮し早口になった。
 勘違いされ面食らうが、睦美との突然の再会が嬉しいのか、言葉を挟み込む隙がない。
「お葬式でも姿を見なかったけど、元気だったならよかったわ!」
「は、はい」
 なんとか相槌を打って、女性の苗字を表札で確認する。『岡田さん』。
「……」
 ここへ来たことを家族は知らない。会話から察するに、睦美も訪れていないようだ。ならば私が睦美のふりをした方が、警戒心なく知りたいことを教えてくれるかもしれない――。 
 小さな目配せだけで、麗も碧も私の意図をすぐに察してくれた。

 岡田さんは祖父母が過ごした施設の話しを始めた。
「動けるうちに夫婦で健康型の老人ホームに入って正解だったわよね。周りは、いくらなんでも早いんじゃないの、って言ってたけど、ほら、おじいちゃんはおばあちゃんより十歳も上だったから」
「は、はあ」
「それなのに、おばあちゃんの方が先に亡くなっちゃって、ねえ」
「……」
 私は、なにも知らない。
 私が祖父母の死を知ったのは数年前のことだ。母はなにかの会話の中にさらりと挟み込んだ。
「でも老後の面倒を看てくれる人もいないし、その選択しかなかったものねえ」
 ……(私の母)がいるのに?
 聞き返さずやり過ごしたが、岡田さんの言葉には含みがあって、モヤモヤした。
 
「見ての通り、睦美ちゃんが暮らしてた家はなくなっちゃってね、寂しいわよねえ。こんな辺鄙なところだから誰も買わないしね、ずっと更地のままよ」 
 岡田さんは、私との会話が続かず話題を変えた。
 私もそれに合わせて、周辺を眺めた。
「たまに娘とは『睦美ちゃんどうしてるだろうね』って話してるのよ」
「……」
「でも良かったあ、こんなに大きくなって……」
 睦美を心配し成長を喜ぶ人がいることに、心の奥がざわざわする。ここでの睦美も今と同じに周囲を味方につけるのが上手だったのだろうか。
「今も東京の叔母さんのお家で暮らしてるのよね?」
「――!」
 え? ……今、なんて?
 ……私の、聞き間違え、だよね?
 息を吞む。
「は、はい」
 動揺を抑えてなんとか頷いた。
「こんなこと聞くのもあれだけど……、李加ちゃ――叔母さんには冷たくされてない? ちゃんと育ててもらえた?」
「……大丈夫です」
 答える声が震えてしまったが、お辞儀をしてなんとかごまかした。
 『李加』は間違いなく私たちの母の名前だ。なのに睦美にとっては『叔母さん』……?
「それはよかったわあ。お医者さんと結婚したものね。暮らしに余裕があれば心も安定するってよく言うから」
 岡田さんの声のトーンが変化した。まるで、母を軽蔑しているような……
「……」
 岡田さんの言葉を頭の中で繋げる。
 もしかして……睦美は私の――、私たちの本当の家族じゃないってこと?
「あの、《《私のお母さん》》は……」
 不穏な予感から、思わず聞いていた。
「実李ちゃんのことは、本当に残念なことよね」
「……」
 実李? それは誰なの? 残念って?
「……っ」
 暑くもないのに洋服の中で汗が滲んでいる。
 なんと切り出せば不自然じゃなく聞きたいことが聞けるのだろうか。 

「――あの、“睦美ちゃん”のお母さんはどうしたんですか?」
 じりじりしていると、麗が自然に会話に入ってくれた。
「睦美ちゃんはおじいさんとおばあさんから何にも聞いてなかったみたいです」
 岡田さんが口元に手を添えた。「そうなの、睦美ちゃん」
「はい」
 私は頷く。
 麗のアシストのおかげで、混乱しつつも心が冷えてきた。
「私は、今のお父さんとお母さんが、本当の親だと思っています」
 睦美の様子を思い出したら自然と出てきた言葉だった。
「ま、まあ……」
 岡田さんは苦虫を噛み潰したような表情で私の腕を掴んだ。
「でも睦美ちゃんを産んだ実李ちゃんのことは忘れないであげて。実李ちゃんが可哀想……、浮かばれないわ」
「……」
 “浮かばれない”という言葉で、睦美の母親がこの世にいないことを知った。 
 
「あの、今のお母さんと、私を産んだお母さんはどういう関係なんですか?」
 押し寄せる疑問のまま聞いた。
 岡田さんは驚いた後で信じられないことを口にした。
「どういうって、実李ちゃんと李加ちゃんは双子の姉妹よ」
「っ!」
 ――息が、止まりそうになった。

 ……そんなこと、想像したこともなかった。そもそも、母に姉妹がいたことも初耳なのに。

「……どうして、私のお母さんが可哀想なんですか?」
 動悸が激しくなる。開いてはいけない箱を前にしている気分だった。
「それはおばさんからは言ってはいけないと思うの。睦美ちゃんは今、李加ちゃんのお家でお世話になっているんでしょう」
「……っ」
 ここまで匂わせておいて口を噤むなんて……。
 苛立ちを覚える。
「実はっ、結婚して家を出ようと思っているんです。それで、自分のルーツを探しに、ここへ来たんですっ」
 でまかせの言葉に自分でも驚いた。でも罪悪感など感じなかった。岡田さんの目が碧へと流れた。
「あっ、そうだったの。そちらの方と?」
「はい。彼女と結婚します」
 碧は、私のついた嘘にすぐに乗ってくれた。
「それで一緒にお墓参りにきました。あとで場所を教えていただけませんか」
 そうして私は、免罪符を得た岡田さんから事情を聞き出した。


    *

 碧が運転するレンタカーの後部座席で、深く息を吐いた。
 
「むーちゃん、大丈夫?」
「心配かけて、ごめん。けど、びっくりしちゃって」
 
 麗にもたれながら気持ちを落ち着かせる。碧もバックミラー越しに何度も私を見ている。
「だって……、双子だったのが私たちじゃなくて、母たちだったなんて」
 麗の声と共に碧の頭も上下に揺れる。
「衝撃だったよね」
「しかも父親が同じって……、なんなのよ、それ……」
 父が双子だった母たち姉妹の両方と関係を持ち、私と睦美が生まれた。両親がひた隠してきた事実はこれだったのか。
「はあ、やんなっちゃうよ……」
 両手で重くなった額を押さえた。――でもふたりが一緒にいてくれてよかった。
 我が家の恥部が友達に露呈してしまったことよりも、抱えきれない事実を共有してもらったことが救いになった。もっとも、麗と碧じゃなければそんな風には思わなかっただろうけれど。

「……むーちゃん、お墓参り、どうする?」
 交差点の赤信号で碧が聞いてきた。
「左折すると霊園で、右折で駅だよ」
 碧は岡田さんから霊園の住所と詳しい墓の場所を教えてもらっていた。
「お墓参りはやめておこうかな。アオくん、せっかく聞いてくれたのにごめんね」
 祖父母とはいえ、会ったことのない故人の冥福を祈っている余裕は今の私にはなかった。
「行きたくなったらまた一緒に来ればいいよ」
 碧はウインカーを右に出した。
「うん」
 深く考えず頷いた。……はあ、
 また溜息が出た。
 整理しなければいけない感情が散らばりすぎて手の付けようがない。

 
 岡田さんから聞いた母たちの過去は、現実味がなかった。
 
 ――――私の母と睦美の母は、その見た目同様に好みも同じだったらしい。洋服も髪型も持ち物も、進学先までいつも一緒でとても仲が良かった。周囲には『将来は双子でアナウンサーになりたい』と話していたほどに。
 だが卒業後、母は看護師の道を選び、睦美の母は大学へ進学した。大人になり進路が違ってくるのは当然のことだと、周りは気にしなかった。けれど裏の事情を知っている人がいた。たとえば岡田さんの娘。
 母たちと幼なじみであった彼女は、睦美の母から『李加がなんでも私と同じにしたがる』と相談されていたという。だから学力が足らず母が大学への進学を断念した時は、ようやく離れられると喜んでいたそうだ。
 しかし母はその後も睦美の母につきまとった。しまいには睦美の母の婚約者を奪った――。
 睦美の母は身籠ったまま捨てられ、数年後に重篤な病気がみつかり親を頼るまで、ひとりで睦美は産み育てたという。

「お母さんは、病気になるまで睦美ちゃんをたったひとりで育てたのよ。『叔母さんを本当の親だと思ってる』なんて……言わないであげて」 
 そう締めくくった岡田さんの言葉には、私の母への嫌悪感があった。
 
 正直、いい気はしなかった。それどころか――
 
「……」
 私は心を決めて、顔を上げた。
 車はいつのまにか駅前の大通りへと入っていた。
 麗と碧がパニック状態の私を黙って見守ってくれていたと知って、胸にこみ上げてくるものがあった。
「――――私」
 奥歯から力を抜いた。  
 岡田さんの話を頭の中で必死に組み立てたけれど、やっぱり、なにひとつ頷けなかった。

 ――睦美が現れる前の両親はとても仲が良く、家の中はいつも笑いに溢れていた。
 父は母を『初恋』だと言い、子供だった私に、出会った瞬間に頭上で鳴った“運命の音”について楽しそうに語った。隣で聞いている母が『またそのはなし……』と恥ずかしがって呆れる――そんな幸せな記憶を、私は今も覚えている。
 
「私は、」
 麗と碧が言葉の続きを待っている。
 ぐっと顎を上げる。
「私は、信じないよ」
 私の知っている母は、誰かに嫌がらせをしたり奪ったりするような人じゃない。
 
「うん。おばさんがそんな人のはずがない」
 麗が断言してくれた。
「俺も信じないよ、むーちゃん」
 碧も支持してくれた。
「……ありがとう」
 味方で入れくれる麗と碧の言葉が、今の私の支えになった。