Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~


 
 足が止まった私の横で、麗が「おーい、アオくん」と碧に手を振った。
「行こ!」
 麗に腕を引かれて、絡まりそうな足で歩く。
「一本見送ったよ」
「ごめんごめん、むーちゃんを可愛くするのに集中してたら時間過ぎてた」
「じゃあ、しょうがないか。――むーちゃん、ひさしぶり」
「……!」
 ひとり、この展開について行けていない私の目の前には、ずっと会いたかった碧――
「むーちゃん、ごめん、アオくんも一緒でいい?」
「へ……、え? な、なんて?」
 麗の声に現実を直視する。
「だから、この旅行、みんなで行こうよ」
「えっ、みんなで……」
 勝手に熱くなっていく頬に手を当てて、くらくらしながら、私は辛うじて頷いた。
「突然合流して、ごめん」
 その声に碧を見上げる。
「う、ううん、全然っ」
 ……アオくん、背が伸びた
 大人になった碧を前に、流れた時間の長さに感傷的な気持ちになった。声も低くなって背も高くなって、それでもやわらかそうな髪の毛や憂いのある雰囲気は、遠い記憶と繋がっている。好みは変わったのだろうか、あの当時の感情は消化できたのだろうか……。
 睦美のことさえなければ、まっさらな気持ちだけで向き合えたのに。

「どう、むーちゃん、私のサプライズ。びっくりした?」
 得意気に顎をあげた麗に、私は痛む心を隠して少し唇を尖らせた。
「教えてくれたら心の準備したんだけど」
「えー? なんだって?」
 私の小声は新幹線のアナウンスにかき消された。
「並ぼう!」
 自由席の切符を持った私たちは早足で列に入る。そしてまた向き合う。
「今日は三人で、時間を忘れて喋り倒そうね!」
 麗の言葉に心が躍った。
 

「まずはアオくん、これまでのこと教えなさい」
「教えなさい」
 麗と共に碧を急かす。
「俺がトップバッターか」
「当然じゃん、最初にいなくなった人からだよ、ね、むーちゃん」
「そうだね」
 睦美のデートの相手が碧じゃないことが嬉しく、懐かしい空気間が心地よかった。
「なるほど」
 納得してない顔で了承する碧の子供っぽい表情が昔の記憶と重なる。
「むこうに渡って手術を数回して、その後は日本に戻ってきて父さんの―――」
「ちょ、ちょっと待った!」
 麗が碧の話を遮った。
「日本に戻ってきてたの? いつ?」
 私たちは驚いて、そろって碧の口元をみつめた。
「実はさ……」
 それから碧は北海道で両親と暮らしていたこと、時々長い入院生活を送ったこと、そのため通信制の学校へ行ったこと、牧場の手伝いで獣医と出会い将来が決まったこと……などを話してくれた。途中、新幹線が到着し、三人で座れるシートに乗り込み、また話の続きに戻った。
「AO試験で大学に行って、ようやく人並みの青春時代を過ごしたかな。友達が出来て、いろんな人と交流して、短期のアルバイトもたくさん経験したし」
 碧は順を追って過去を振り返り、この春からは東京キャンパスに移って動物人間関係学を専攻していると締めくくった。
「ふたりに会うのは、治療とリハビリが終わって、自分の人生設計のスタートを切ってからって決めてて」
 碧がしていた決意に、私と麗は一緒のタイミングで声を上げた。
「勝手に決めないでよ」
「ちょっとみずくさい」
 ひとりで頑張らなくてもよかったのに。辛く、苦しい時に頼ってほしかったのに。励ましたかったのに。
 泣きたいような切ない気持ちになっていると、隣から麗が言った。
「友達なのに遠慮されたら寂しいじゃん」
「!」 
 その言葉に、はっとする。
 ……私も、同じだ……アオくんのこと、言えないや
 今頃気がついて、衝撃に打たれた。
「うん。今は反省してるよ。プライドなんかいらなかったって」
「……」
 碧の言葉にも、頷くばかりだ。
 ……私も、何度でも、手紙書けばよかったんだ、返事を待つだけじゃなくて
「まあ、反省してるなら許してあげる」
 麗が大仰に言った。
「!」
 その言葉が、碧にだけじゃなく私にも掛けられていると理解した。 
 
「次はれいちゃんだね」
 碧に指名された麗はシートから身を起こした。
「あーあー、あー」
 わざと発声練習のような声を出して、笑いを取る。
「私の過去もなかなか大変だったよ」
 そして私と再会した時に話してくれた過去のことを、碧にも話した。
「ほんとだ、けっこう苦労したんだね」
 碧は、貧困時代の節約話に興味津々のようだった。
「でも今は逆転して、これでも『社長令嬢』だからねッ」
 どうだ! という鼻息を吐き出した麗に私も碧も拍手で称えた。

「最後は、むーちゃん!」
 麗の報告が終わり、私の番になった。


 私は、ちら、と麗を見た。
 ……私のこと、どこまでアオくんに伝えてるのかな?
 
 アイコンタクトだけで麗が察してくれた。
 麗が首を横に振った。
「むーちゃんから直接聞いた方がいいだろうと思ってさ」
「……そっか」
 私は静かに頷く。
 私の身に起きた“ほとんどのこと”は麗に話してある。『碧と睦美が会っている』ということ以外のすべてを。であれば―――

「アオくん、ひとつだけ、聞いてもいい?」
「うん? 何でも聞いて」
 私は、声が震えませんように、と祈りながらなるべく明るく聞いた。
「今って、好きな子いる?」
「!」
 一瞬にして碧の頬が赤らんだ。
 ……あ、いるって、ことだ。それは……
「もうつきあってる、とか?」
「あっ、いや、まだ告白も、してない、し……」
 急に落ち着きがなくなった碧から目を逸らして続けた。
「でも、手応えはあるよね」
「えっ、ある、のか、なあ。あったら嬉しいけど」
 碧は照れる口元に手を添えて、広がっていく笑みを隠した。
「……」
 ……なんだ、アオくんも睦美のことが好きになったんだ。じゃなきゃメッセージのやりとりなんかしないか、そりゃ、そうか……
 ……。
 あきらめの笑みが漏れた。
 飛び出してきてしまった碧のアパートで、裸になった睦美と碧がその後どうなったかなんて、聞くだけ野暮だ。

「了解」
 私は吹っ切るように顔を上げた。「じゃ、私の番ね」
 頷く碧と麗に押されるように言葉を繋げた。
 
「ふたりがいなくなって、突然私にお姉ちゃんができたの、睦美って名前の」
 あえて名前を出した。碧が、睦美のことを打ち明けやすいように。
「しかも私とは双子なんだって」
 けれど碧に変化はない。
 もどかしい気持ちのまま、踏み込んだ。
「睦美も、みんなに“むーちゃん”って呼ばれてる」
 碧は静かに頷いた。
「……うん」
 !
 “うん”って、なに?
「……」
「……」
 数秒、眼鏡越しの碧と視線が絡まった。
 ……もしかして、気まずくて言い出せないの?

「むーちゃん? 大丈夫?」
 麗に背中を擦られ、自分の上半身が丸く落ちていたことに気づいた。
「あっ、うん、ごめん……」
 混乱したまま必死に笑顔を作った。
「苦しかったら無理に今言わなくてもいいよ、まだ旅は長いしさ」
 麗の気遣いに、作った笑顔が強張った。
 ――今言わなくてもいい……
 いや、今言わなかったらこの先言える気がしない……

 重たい額を片手で支えた。
 “ここにいる碧”は、私の幼馴染みで初恋で、大切な友達、
 睦美と出会ってしまった碧ではなく―――
 自分をなだめるための落としどころを、必死に探る。
 
 ファミレスで向かい合う碧と睦美を見たことは幻で、碧のアパートでの一部始終も記憶違いで、“私はふたりが出会ってしまったことを知らない”――そう思い込んでみる。

 弱く首を振った。
 ……さすがに、無理があるよ
 
 麗と碧がコソコソとなにか話している。
 焦燥感の中、冷えていく思考で結論を急ぐ。――どうしたらいい?

 本当はなにもかもぶちまけたい。睦美のせいで苦しんできた、そのことを碧にも憤ってほしい。睦美を憎んでほしい。私の、味方になってほしい。そんな睦美のことを好きにならないでと叫びたい。……だけど碧は、もう睦美と出会ってしまった。そして私に、睦美とのことを隠している。――それが、碧の答えだ。

 だったら私の結論はひとつしかない。

 私は、碧には睦美のことを話さないと決めた。