Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~


    *  *

 ――初めからおかしいと思っていた。
 麗から聞いていた麦の印象は『冗談みたいに地味』だったから。
 
「アオくんも会ったらコスプレ? って思うかも! でも中身は全然変わってないよ」
 いつも『ダボダボのパンツにトレーナー姿』で、『不揃いに伸びた髪が顔の大半を隠し』、普段は似合っていない『時代遅れの眼鏡をかけている』と聞いた。それなのに目の前にいる『むーちゃん』は爪の先までオシャレな女子大生だった。
 初めは、 麗にからかわれたのか? と疑った。
 ――初恋のむーちゃんが陰キャになってたらどうする? 会ったこと後悔する? と聞かれて「ばかにするなよ」と憤慨したから。
「まあ、それならいいんだよ。私はむーちゃんを傷つけたくないだけだから」
「俺が“見た目”でむーちゃんを傷つけるって? そんなこと絶対ないよ」
 どんどん視力が弱くなる恐ろしい世界で、人間の本質だけを頼りに生きてきたのだ。見えるものだけに惑わされたりはしない。
 今でも思い出す。
 初めて麦と麗が部屋に来た時のことを。
 ふたりは気まずそうにすることも、腫れ物に触るような言動をするでもなく、臆せず目の前に座って質問攻めにしてきた。

「――ねえ、なんさい?」
「同じ学校?」
「だれ先生?」
「じゃあさ、このはなし知ってる?」
 ケーキを持って部屋に入ってきた母は、あまりの賑やかさに面食らったようだったが、その声は弾んでいた。
「アオ、ケーキとジュースを持ってきたわ」
 いつものように何種類ものケーキが入った箱がテーブルに置かれた。
「わあ! すごーい! ゴーカすぎる!」
 麗が叫んだ。
「“アオくん”はどのケーキがすきなの?」
 麦が、母親が呼んだ愛称を拾って聞いてくれた。
「あ、ぼくはいちご以外なら……」
 愛称で呼ばれ照れ臭かったが、急に距離が縮まったようで嬉しかった。
「えーいちごが苦手なんてめずらしいね。じゃあ、いちごもーらい!」
「わ、れいちゃん! じゃんけんだよ、じゃんけん!」
「ちょっとちょっとよく見て! いちごのってるケーキいくつもあるから」
「ほんとだ。ははは」
「はははじゃないよ、まったく、むーちゃんは食いしんぼうなんだから」
「れいちゃんに言われたくないよ」
 ふたりはケンカをするわけでもなく言いたいことを言い合っていた。そしてそのノリは当たり前に碧にも向けられた。

 その日から麦と麗は学校の帰りや休日に碧の家に寄るようになった。
 日によって遊び方は違うが三人で楽しめることをして過ごした。
「アオくんのはそっちだよ!」
 ふたりはぼんやりしか見えない碧にも遠慮はなかった。
「そっちってどっち?」
 だから碧も気兼ねなく聞いた。
「これこれ」
 手を掴んで握らせてくれる。
 そんな風に重ねる日々の中、碧の世界は色を失いつつあった。ぼんやりと見えていたふたりの顔にも靄がかかり、目を凝らすことが多くなった。完全に見えなくなるのはいつだろうと、それを想像すると気が狂いそうに怖くなった。
 親は碧のために渡米を選択した。

「がんばれなくなったら、お母さんにたのんで手紙を書くよ」
 子供だった自分たちには連絡手段が限られていた。
「がんばってても書いて! どうでもいいこともだよ!」
 麦がすぐに反応した。
「これ、うちらの住所だからね。なくしちゃだめだからね」
 手の中に折り畳まれた紙を握らせてくれた。
「うん。ぜったいなくさない。着いたらすぐに書くよ。ぼくの住所も教えたいし」
「ねえねえ、うちらエーゴよめる?」
 麗の心配は当然のことだ。
「……」
 無理強いできず口籠ると麦がすかさず言った。
「エーゴで書くのは住所だけでいいってうちのママが言ってたよ。だからアオくんママが書いてくれるとおりに、ゆっくりまちがわないで書けばだいじょうぶ! ちょうせんしてみよっ、れいちゃん!」
 麦はどこまでも真っ直ぐで、勇敢で、皆を元気にした。そんな麦に特別な感情を持つのは自然なことだった。
 

「――むーちゃんも犬派だったよね」
 噛み合わない会話もそうだが、思い出のひとつも口にしない『むーちゃん』に違和感を覚えた。そもそも碧の知っている麦は質問をはぐらかしたりしない。

 碧は『むーちゃん』と会話をしながらも素早く記憶を整理した。
 いくら年数が経ったとはいえ、ここまで性格が変わることがあるのだろうか。麗から聞いた麦の現在の様子ともまったく違うし、麗の名を出しても無反応だった。けれど『むーちゃん』と呼びかけた声に自然と振り返った……。
 もしかして麦の姉か妹? ――そんな話は聞いたことがない。それにもし麦じゃないとしたら、自分を『アオくん』と認識するだろうか。目のことも知っていたのに……。
 ということは『この女』は自分の知っている『むーちゃん』で間違いないのか?
 ……いや、そんなわけない
 自分自身に何度も問いかけ、打消し、碧は結論に至った。
 自分の直感が“違う”と言っているのだ。

 ――むーちゃんも犬派だったよね
 碧は慎重に仕掛けた。
 犬が苦手だったのは自分だ。『むーちゃん“も”』と問いかければ突っ込んでくるはずだ。
「犬は可愛いもんね」
「……」
 にこにこする『むーちゃん』に、碧も仮面を付けたまま笑う。
「むーちゃん、いちごパイは食べないの?」
「えっと、ダイエット中だし私は遠慮しておくね。アオくん、食べる? 注文しようか?」
「……」
 碧は閉じた唇で笑いかける。
 麦であれば、碧がいちごを苦手なことぐらい覚えているはずだ。
 ……間違いない。この女は(むーちゃん)じゃない
 
 偽の『むーちゃん』と別れた後、碧は考えた。
 疑問のすべては、なぜ麦のふりをしているのか、だった。
 麦の姉妹であると仮定した場合、過保護か悪意かそのどちらかだろうと予想はついた。前者であれば信頼を勝ち取らなければならないし、後者であれば麦を守らなければならない――ただ感覚的には、後者である可能性が高い気がした。
 悩んだ末、麗にメールした。

碧:むーちゃんに会ったよ
麗:わお! やること早いね
 冷やかしの言葉は受け取れなかった。
碧:会ったんだけどさ…
麗:うん? なんか悩んでる?
碧:まるで別人だった
 ――すかさず打つ。
碧:今電話いい?
麗:いいけど

「『むーちゃん』の偽物がいるんだ」
 碧は、彼女との会話や様子をくまなく伝えた。
 麦を否定されるのかと身構えていただろう麗の声が、だんだんと探るような声色になってきた。
「ねえ、その子の髪の長さは?」
「胸の下ぐらい」
「ネイルとかしてた?」
「してた。桜かなんかの絵が描いてあった」
 『むーちゃん』を脳裏に呼ぶ。――桜色の爪で顔にかかった長い髪をなぞり、ジュースのストローをもてあそんでいた。
「むーちゃんがウィッグ付けて着替えてネイルしてとか現実的じゃないし、別人だと思う」
「……やっぱりな」
 皮膚の下が冷える感覚があった。
「むーちゃんに姉妹がいたなんて聞いたことないけど」
「俺も知らなかった」
 麗の声は不満気だった。秘密にされていたとしたら感情的には割り切れない。
「――だとしてもさ、それでもへんだよ」
「だよな」
 麗の言葉に碧も同意する。
「どんな理由があっても、むーちゃんのふりをする必要はないよ」
「しかも俺を“落とそう”としてた」
「ええ?」
「なんか気味悪い」
「そりゃそうだ……。で? “そっち”のむーちゃんとこれからも会うの?」
「そうしようかと思ってる。何の目的があってむーちゃんのふりをしてるのか確かめないと」
「私もむーちゃんにさりげなく『家族の話』振ってみる」
 麦の家族の問題を探っているようでうしろめたさはあるが、『むーちゃん』の“仕掛けてくる感じ”に嫌な予感がした。
「お互い情報を共有していこう……」
 碧は『むーちゃん』とのやりとりを、麗は麦の様子や会話の中身を、それぞれ報告し合うことにした。




   *


 スマホが一日に何度も『MOO(むー)』からのメッセージを受信する。

「……」
 碧は冷めた視線のまま『むーちゃん』に返信する。決して冷たくならないように、優しすぎないように。恋人になる一歩手前の曖昧な関係性を意識させて焦らすのだ。


 ――「アオくんってホストみたいだね。って、ホストと喋ったことないけどさ、イメージイメージ」
 昔と変わらず遠慮も裏表もない口調で麗に言われたことがある。
「鋭いね。ホストじゃないけど似たようなバイトしたことあるからね」
「ええっ? それは聞いてないよ!」
「あー、そっか」
 『まだ言ってないし』
 口元に指を当てて心の中だけで言った。いつか麦と麗と三人が揃ったら、これまで自分がどう過ごしてきたのか、落胆されるとしても正直に話すつもりでいる。
「なにが“そっか”だよ。無駄にかっこつけやがって」
「は、そんなつもりはないんだけど」
 なにげない仕草や口調を時々麗にからかわれた。ここに麦が加わったなら賑やかな笑いが起きるだろうと想像する。早くその日を迎えたいと、碧は待ちきれない気持ちになる。

 バイトに限らず、話してないことはまだまだある。
 アメリカで暮らしていた――というのも半分は正しくない。
 資産家である母親の両親(祖父母)の援助で渡米し、数回に分けて手術を受けたが、継続する治療は母の兄弟家族からの反発でできなくなった。親の財産を大量に食い潰す()には同情するも限度がある、ということだった。
 ――碧のために十分なことをしてもらったからいいのよ
 母はそう言ってくれたが、兄弟との関係が悪くなり、気軽に実家へ寄ることすらままならなくなった母には申し訳なさしかなかった。
 
 残っていた治療は日本に戻って、父の故郷の北海道で行うことになった。
 入退院を繰り返しながら、牧場に再就職した父を手伝い通信制の学校に通った。
 高校を卒業するまで友達は作れなかった。だから余計に、麦や麗と過ごした時間が忘れられなかったのかもしれない。
 返事をくれない麦が心配だったし不満にも思ったが、それだけ麦の毎日が充実しているのだろうと、自分に納得させた。それに――まだ、自分たちは“大人になっていない”。約束にはまだ、早い。
 ……だが、
 碧は過去の自分の選択を今は激しく悔いていた。勝手に判断して、自分自身に集中している場合じゃなかったと。

   *

 「――――アオくんっ、今、足音聞こえたッ」
 引き攣れた声と共に、身を屈めて裸の上半身を隠した『むーちゃん』にしれっと言う。
「ああ、友達かな。きみが来たから出て行ったんだと思うけど」
「……そう、なの? びっくりした……」
 『むーちゃん』が窺うような目を向ける。完全には信じていないが、追及して自分が損をしないか計算しているようだ――と、その表情から読み取る。
「……」
「……」
 『むーちゃん』は自分がいかにモテるか、男たちから大切にされる特別な存在かを遠回しに伝えてきた。『そんな女の子にあなたは今、好意を持たれているの、誇らしく思って』――言葉の裏に傲慢な感情を垂れ流しながら。

「――なんか、しらけちゃったな」
 碧はソファに背を預けた。
「今日はやめようか」
「……え?」
 時間差で、みるみる『むーちゃん』の顔が赤くなる。屈辱がその口元に広がりヒクついている。自分の裸を前にして男が我慢できるはずがないのに――、というところだろうか。

「今日は帰る?」
「……どうして、そんなこと、言うの」
 『むーちゃん』は泣くことにしたようだ。はらはらと涙を落とす。
「うーん」
 碧は首を捻る。
「俺を疑ったみたいだし、信じてない男と一緒にいてもしょうがないんじゃない?」
「そんなこと……ない、よ? 信じてるよ? 私、アオくんのこと信じてるし」
「どうかな」
「証明できるよっ、ほらっ」
「!」
 目の前に身を乗り出した『むーちゃん』が碧の手を取った。そのまま自分の胸を触らせた。……よほど自信があるのだろう。
 不意打ちを食らって一瞬驚いたが、碧はすぐに口元を閉じた。ためらわず触り、すっと手を離す。
「はい」
 その手で床の上の服を拾って渡す。
 ……君の体に俺を欲情させる力があると思ってる?
 嘘で麦を苦しめ続ける女に、心の目でこの上ないほどの侮蔑を送る。

「送るよ」
 碧はにこり、と笑顔を向けた。




【碧視点終わり】