Silent Summer ~姉に初恋を奪われた~

 
 
 厨房の仕事が途絶えて皆が手持ち無沙汰になる時間帯のことだった。

「あれっ? むーちゃんって姉妹いたっけ?」
 スタッフ同士の雑談の中で『家族について』の質問を向けられ、それに答えた直後だった。麗が不思議そうに疑問を投げてきた。
「――あ、うん、姉がいて」
「ええ? お姉さんが?」
「……」
 麗の反応はもっともだ。
 妹であれば、自分が引っ越した後に生まれたのかと思うはずだが姉となれば別の話になる。
「むーちゃんちに何度も遊びに行ったけど、お姉さんに会った記憶がないなあ」
 最初は驚きを隠せなかった麗の表情が、口調と共に疑問に変わってきた。
「あっ、あのね……」
 秘密にしていたと勘違いしてほしくなくて、慌てて訂正した。
「事情があって離れて暮らしてて。れいちゃんが引っ越した後に、一緒に暮らすようになったんだ」
「事情?」
「病気だったみたい。空気がきれいな場所で治してたみたいで」
「“みたい”って、むーちゃんは知らなかったの?」
「……うん、知らなかったんだ」
「そんなことって、ある?」
「……」
 ……ない、と思う。
 子供だった頃は深く考えず納得してしまったが、月日と共に疑問が大きくなった。
「お姉さんはなんの病気だったの?」
 麗は単純に興味が湧いたようだ。
「なんだったのかな……」
 はっきりとした病名は誰も教えてくれなかった。
 ただ、体育の授業はほとんど欠席していた。
 ――私がプールの授業欠席しなきゃいけないのは、麦ちゃんのせいなのに。
 私の体が弱くて、よかったね。
 
 夏の頃になると、睦美は決まって言った。
 けれどあまり残念そうには見えなかった。
 睦美には、汗や必死さ――と言ったものとは無縁なイメージがあって、その涼やかさが睦美の魅力を底上げしているようにも感じられた。
 ――むーちゃんって、守ってあげたくなるよね
 ――美人で、優しくて、儚げで……
 ――あんないい子に嫌がらせする妹なんて死ねばいいのに
 睦美への憧れの声は、私への不快感とセットだった。
 
麗と碧(うちら)がいなくなった後にそんなドラマチックな展開があったんだ。びっくりだ」
 麗は軽く言った。
「……」
 私がきちんと答えられないせいで麗に気を遣わせたのだ。
「むーちゃんに似てる? どんな人?」
「……そう、だね」
 双子なのだから当然のこと顔は似ている。けれど性格はどうだろう。静かでおとなしかった、出会った頃の睦美はもういない。私のせいで怪我をしてから、変わってしまった。
「顔は似てるかな、けど、性格は正反対。むーちゃんは女子力高い系の華やかな子って感じで」
「お姉さんも“むーちゃん”って呼ばれるの?」
「!」
 私ははっとして口元を押さえた。つい、普段のように言ってしまった。
 数秒の間ができる。
「宮原さん、その皿こっち持ってきて」
 その場にいて私たちの会話を聞いていた有賀さんがふいに指示を飛ばした。いつも周囲の空気を見ている人だ。なにかを察したのかもしれなかった。
「――注文入りました」 
 フロアから厨房へスタッフが向かってきて、私たちの会話も自然と終わった。

 麗は黙ったままだった。
 私も仕事の続きに戻る。
 心臓が嫌な感じに騒いでいた。

 質問に答えなかった私に麗は失望しただろうか。信用していないと誤解させただろうか。再会してからずっと昔と同じように接してくれたのに。

「……」
 麗に隠し事はしたくない――いや、私の事情を知ってほしい。
 自分の本当の気持ちを、はっきりと自覚した。

 私は唇をぐっと噛んで顔を上げた。
「れいちゃん、あとで全部話すから聞いてくれる?」
 私は麗の背後から早口で、けれどしっかりと伝えた。
 麗からは「もちろんだよ」という返事が返ってきた。
 
 麗にすべてを話す――その覚悟と共に、私の心の靄がすっと晴れた。

  
    *

 近くのカフェで、麗にこれまでのことを打ち明けた。
 ――突然現れた姉と一日も早く仲良くなろうとした日々の中、睦美の胸元に醜い傷痕を残してしまい、今日まで許してもらえずにいる――誰にも話せなかった私の心の中のことも全部、話した。……ただ、碧が睦美に会ったことは言えなかった。話した途端、碧と睦美の仲が動き出してしまいそうで……、それに、碧を信じていたかった。

 「なによ、それ」
 麗は、私の話につられて泣き、そして怒った。
「なんなの、むーちゃんのお姉さんって悪魔なの?」
 そんなこと、加害者の私が思ってはいけないと、すべて受け入れてきた。……けれど麗に言葉にされて、ああ、私も何度そう思ったかしれない――と、本音をこぼせた。
「むーちゃんが怪我をさせたからって、そこまでするなんてヘンだよ」
「けど、本当に、ひどい傷痕なんだ……」
 私は自分の指で、睦美の胸に広がった傷痕の形をなぞった。
「お風呂に入る時、着替えをする時、毎日それを見てるから、そのたびに私を許せなくなるんだよ」
 実際、そう言われた。
 許したくても、どうしても許せないのだと。その葛藤をわかってほしいと。
「っていうか親に相談したくないってなんで? むーちゃんのお父さんはお医者さんだしお母さんは看護師さんでしょ」
「……私も説得したことあったんだけど、親には絶対知られたくないって。言ったら『死ぬ』って……、自分の罪を軽くしたいだけでしょう、って……」
「はあ? ますますわけわかんない」
 麗は理解できないと両手を空中に上げた。
「ねえ、お姉さんに会わせてよ。私がガツンと言ってやる!」
「だ、だめだよ」
「なんで」
「……」
 麗は知らない。睦美と向き合った人が皆、睦美の味方になってしまうことを。
 人一倍正義感の強い人でさえそうだった。
 
 クラスで浮き始めた私に声を掛けてくれ、睦美に「双子なんだからもっと気遣ってあげなよ」とまで言ってくれた同級生がいた。けれどある日を境にその子も私を見放した。睦美が言い難そうに、苦悩を滲ませてぽつぽつと告白した嘘の内容を信じて。
 ――睦美ちゃんは気遣ってないわけじゃなかったんだね。それどころか……
 それからは、誰かが私に優しくするたびに睦美はさらにひどい嘘を重ねるようになった。結果、私は前よりもっと嫌われた。
 
「れいちゃん、私はさ、自分勝手だと思われてもれいちゃんを失いたくないんだ」
 睦美の表情や言葉には人を説得する力がある。それを一番知っているのは、私だ。
「だから会ってほしくない」
 泣き笑いになった。
「なんで、そう思うのよ」
 麗もまた泣き出した。
「わかんない。……でも、怖い」
 笑顔はもう作れなかった。口に出したらさらに、怖くて怖くて、たまらなくなった。
「むーちゃんは、このままずっとお姉さんが望む通りに生きていくつもり?」
「……傷痕を治せれば、そしたら許してもらえるから」
「美容整形には何百万もかかるよ? それをひとりで稼ぐなんてあと何十年かかるかわかんないよ」
「……そうだけど、それしか方法がないよ」
「親に相談しようよ」
「でも」
「“死ぬ”なんて嘘だと思う」
 麗の手が私の拳を包んでいる。その温かさと強さが、沁みた。
「まずむーちゃんがすることは、親にすべて話すこと。これはもう、子供が責任を取れる範囲じゃないよ」
「!」
 麗の言うとおりだと、今初めて理解した。
 そうだ、私の力だけじゃ、あと何十年も睦美の傷痕を治してあげることはできない。本当に、そのとおりだ……なぜ、その考えに至らなかったのか。

「聞いてくれると思う?」
 勇気を出す、その勇気が欲しかった。
「子供の話を聞かない親なんて、親じゃないでしょ」
「私のことは見限ってると思うんだ……」
「それも含めて全部話すの! 今までの態度はお姉さんに言われて、仕方なくそうしてたんだって!」
「信じてくれなかったらどうしよう」
 勤務医の父は多忙で、家にはあまりいたことがない。平日の午前は一般診療、午後は手術、休みの日でも術後の患者をケアしに出勤する。家にいる時間帯が合わず、一週間以上顔を見ないことも珍しくはなかった。
 父と同じ病院に勤務していた看護師の母は、家事や育児と両立するために夜勤のないクリニックへ移ったが、家では睦美とばかり話している。睦美は学校のことや勉強のこと、友達のこと、好きな男の子のこと、なんでも母に話している。ふたりは、私が思い描く『理想の母娘』だった。

「もしも信じてくれなかったら、むーちゃん、そんな家から出なよ」
「えっ?」
 考えたことのない提案にたじろぎ、ああ、そういう選択肢もあるんだ、と気づいた。
「うちに来ればいいよ。うちの実家じゃ気を遣うっていうなら私、ひとり暮らしする! 一緒に暮らそう!」
「れいちゃん……」
「だからなんにも心配はいらないってこと!」
 背中を押してくれる麗のおかげでようやく勇気が湧いてきて、私は何度も、大きく頷いた。