双子の姉、睦美が私の部屋に入ってくるなり「決めたの」と言った。「なにを?」と聞き返すよりも早く、にこり、と綺麗に目を細める。
……。
嫌な予感がした。こういう笑顔の後にはいつだって無理な要求があるからだ。
「私たち、アナウンサーにならない?」
「……」
“私たち”と睦美が指定する時は、結末に至るまでの台本ができている。
「むーちゃんなら絶対なれるよ」と友人たちから応援される自分と、「は、あの子がなれるわけじゃん」と失笑される妹――最終試験までなんなく進むであろう自分と、当然途中で振り落とされる妹――
きっと睦美は周囲の人たちにこう言うだろう。
『私は、妹の麦ちゃんがどうしてもっていうから……つきあって試験受けただけなの』
これまでも似たようなことはたくさんあった。
「……むーちゃんにはぴったりだと思う。でも、私にはアナウンサーとか向いてないよ」
私は顔を伏せたまま、精一杯の意思表示をする。
「だからむーちゃんだけ――」
睦美のスリッパの足が躊躇なく私の脛を蹴った。
「私が一緒にって言ってんの。あんた、なにくちごたえしてんのよ」
「……」
「まあ、なりたいっていってなれる職業じゃないけどね」
ドスをきかせた後で、睦美はまたにこり、と微笑んで会話を続ける。
「今日の夕ご飯の時、『麦ちゃんから一緒にアナウンサー目指して、って頼まれた』ってママに言わないと」
「……」
やっぱり、そうなるよね、と私は静かにあきらめる。
それに伴う費用を、親がまた二人分用意することになるだろう。
「まずアナウンススクールに申し込まなきゃ」
睦美は人差し指を天井に向け、歌うように言った。
「なにが必要か調べておいてくれる?」
委ねているが命令だった。
「……うん」
「じゃ、また夕ご飯の時呼びにくるね」
機嫌を良くした睦美が部屋を出ていって、私は緊張を解く。
……将来、か
全然ぴんとこなかった。
私はいつからか、あきらめている。
自分が望むことはなんなのか、やりたいことはなんなのか、
自分を知ることをあきらめて、あきらめることにも慣れていた。
――私は宮原麦。
春から大学生になった。
勤務医の父と看護師の母の希望で内部進学できる大学付属校を中学受験し、奇跡的に姉とふたりで入ることができた。
あの当時、リセットできない人生がどんなに苦しいものかを知っていたなら、泣いて縋って頼んだだろう。――どうかお願い、お姉ちゃんとは違う学校へ行かせてと。
だけど、なにもかも今更だし、過去の選択を悔やんだって無意味だ。それに……
左右に首を揺らす。
……しょうがないよ、私が、悪いんだから
その結論に行き着いて、感情を閉じ込める。
*
キャンパスを歩いていると、背後から「ちょっと」と不機嫌に声を掛けられた。
首だけ斜めに落として振り返る。
睦美の友人たちが渋面で私を見ていた。
睦美の友人たちは皆、オシャレで可愛い。
睦美自身が“そういう子たち”を選んでそばに置いているからだ。
比べて私は、睦美に言われた通りのだぼだぼのパンツに着古したトレーナー姿。
「……」
またなにか因縁をつけられるのかと警戒しつつ、古びたショルダーバッグの紐を両手でぎゅっと握って俯いたままでいた。
封筒を突き出された。
「これ、むーちゃんに渡しておいて」
「なに?」
反射的に聞くと尖った声が返ってきた。
「あなたが知る必要ないけど?」
「黙って渡しておけばいいの」
「そのくらいできるでしょ」
「……」
反論する気はない。
黙って受け取って歩き出す。
「陰険ブス」
「いつまでむーちゃんにくっついて生きてくつもりだろうね」
「むーちゃんの人気にあやかろうとしたって無駄なのに」
「……」
背後から私に聞こえるように放つ悪口にはもう慣れた。
それに、彼女たちが悪いわけではない。
彼女たちは睦美から聞いた私の素行が許せないと、正義感に燃えているだけだから。
私は、黙認している。
睦美が、痛めてもいない手首に包帯を巻いて『実は妹が……』と濁すこと。
出たくない授業や行事には『妹に靴を隠されて』『閉じ込められて』と私の妨害が欠席の理由になっていること。
飽きた恋人や言い寄る男を切りたいときには『妹が誘惑した』と噂を流すこと。
「いい、麦ちゃん。これは私が麦ちゃんを許せるようになるための最後の方法なの」
「……わかってる」
「私は麦ちゃんに一生消えない傷を付けられた。お風呂で裸になって胸の傷を見るたびに、泣いてる」
「……ごめん」
「私はきっと結婚できない。カレシを作っても体を見せる前に別れるしかない。だってこんな醜い傷痕見たら、誰だって逃げていくよ。それでなくとも私、体が弱いのに……」
「……ごめんなさい」
睦美は仕方なく私に嫌がらせをしている。
それを理解しているから、私は周囲の誤解を解いたりはしない。
睦美と似ているだろうこの顔を不揃いの前髪で覆って、眼鏡の目は常に地面に落として、わざと根暗にふるまう。
“――あの日、あの時、なぜあんなところに登ってしまったんだろう”
考えても仕方がないことを数えきれないほど後悔した末に、そんな風に悔やむ時間は不毛だと気づいたから。
過去を変えることはできない。
自分がしてしまったことが今に繋がっている。
だから罰を受けることは当然だった。
*
「今からバイト?」
友人たちが足音も立てずに寄ってきた。
私と同じくらい地味な見た目の彼女たちは、やはり私と同じに普段から気配を消して過ごすクセがついていた。
「そうなの! 初出勤だからめっちゃ緊張してる!」
「『うどん愛』が高じてとうとう、うどん屋さんでバイトだもんね」
「へへへ」
私は頭を掻いた。
今日から働く店は、うどんで有名な県から首都圏に進出した和食店『琴乃』の新規店だ。
幼い頃、毎日のように遊んでいた大好きな友達が引っ越していったのも、母親の実家である香川県だった。遊びに行くと、彼女の母親が小麦粉をこねて一からうどんを作ってくれた。少し太めで、つるっとしていて、黄金色のだしは煮干しの匂いだった――思い出しただけでも鼻がひくひくしてしまう。
あの頃からうどんは『死ぬ直前に食べたいもの』の不動の一位になった。
「楽しみだね、まかない」
そっと感傷に浸っていると肩を突かれた。
「ちょっとちょっと、それが目当てみたいに……」
「中らずと雖も遠からず、でしょ」
いつも穏やかだけどユーモアのある彼女たちが私は好きだ。外見が地味だとして、中身がそうとは限らない。
――類は友を呼ぶって言うけど、あの子たちと麦ちゃんって雰囲気そっくりだよね
睦美に嘲笑われても気にならなかった。だが『気にならない』ということを私は睦美に隠した。そうしなければ友達と離れるよう、強要されるからだ。
睦美は、私が幸せでいることを許してくれない。
「今度食べに行くね」
「うん。――あ、でも私、フロアじゃなくて厨房だから来てもらっても会えないかも」
「麦ちゃんが働く店はオープンキッチンじゃないんだね」
「ないない」
私は身震いした。
「厨房がお客さんから見えないことは確認済みだよ!」
「でも忙しくなったら駆り出されるんじゃない?」
「え、それはないと……思い、たい」
駅前大通りに構えた新店舗は、お財布に優しい価格帯のランチタイムからアルコール類を提供する夜メニューまで客足が途絶えない、と面接の時に店長から教えてもらった。
「最初は厨房担当でも途中からフロアへ移動とかになりそうじゃない? ほら、麦ちゃん美人だし」
「面接のときにそこは念を押したから大丈夫だと思うなあ」
“美人”と言われたことはスルーし、会話を繋げる。睦美と似ているこの容姿については、あえて気に留めないようにしていた。
「なら安心だね。頑張って」
「うん。ありがとう」
手を振って別れた。
――大学生になったら真っ先にしたいことがあった。
それがアルバイトだ。
高校までは校則で禁止されていたためしたくてもできなかった。睦美の胸の傷を治すにはお金が必要で、毎月のお小遣いやお年玉はほとんど手を付けずに貯めているが、まだまだ足らなかった。
睦美は傷痕のことを親に相談していない。
言えば、医師の父と看護師の母ならどんなことをしてでも腕のいい専門医と病院を探してくれるはずだ。それなのに頑なに拒否する。“親に話したら死ぬ”とまで言う。理由は分からない。聞くと発狂するため話題にもできなくなってしまった。
子供の頃、睦美は一度だけ胸の傷痕を一瞬見せてくれた。
赤黒く沈着したそれは棘のようで、私は両手で顔を覆い蹲った。涙がとめどなく溢れてきた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさい……ごめんな、さい……」
他になにひとつ言葉が出てこなかった。
睦美は黙ったまま、私を見下ろしていた。
あの日、私の人生は決まった。
睦美への償いのために、睦美が望むまま生きていくと。
それが『従う』ことだとしても――それしか、私には選べなかった。
