悠久の果てで、君と 〜還りし者の涙をぬぐう〜


「ここを通るんですよね?」
「ああ。通ればそれが証となり、手形になる。手形が無ければ他のーーー……」
結は鳥居を見上げたまま質問する。
傾いた柱と剥がれた朱、その向こうには揺らめく美しい景色。異界へ来てから初めて見つけた「出口」の筈なのだが、結は少しだけ首を傾げる。何故だろう?僅かな違和感を覚えた。美しい筈の景色のその先に希望など無いと言うような。
結が手形について聞こうとしたよりも前に、立ち止まった天山神は木々の方を見て「下がれ。」と、低い声を出した事で結の肩がびくりと跳ねる。

天山神は鳥居を見ていなかった。木々を、森の方を見ている。鳥居の脇の木々の奥の何も無いはずの場所を。
「……え?」
結も同じ様にそちらを見るが、何も見えない。

だが……次の瞬間
「……!?」
ぞわり。
背筋を冷たいものが這い上がり、反射的に天山神の着物を掴んだ。

空気が変わった。
静かだった森の木々が風も無いのにユラユラと揺れ始め、この場の空気が重苦しい物へ変化する。まるで、深い水の中へ沈められたように。
「な、何……?」
返事はない代わりに、木々の奥から何かが現れたモノに、結の心臓がドクンッと跳ねた。
「……迷鬼だ。」
「……っ!」
濃い影の奥から、ゆらり。ゆらりと。姿を現していく。
それらは人の形をしているが、人ではない。全ての輪郭は歪み、手の長さもバラバラ。身体は黒い靄に溶けて顔と呼べるものすら曖昧だった。
そこに居るのは先程出会った迷鬼とは違う。
結は直感した。あの迷鬼は何処か寂しそうだったのだ。消えてしまいそうなほど弱々しかった。
けれど、今目の前に居る迷鬼は違う。

曖昧な顔が、歪んでいる顔が確かにこちらを見ている。その視線が絡みつくと、まるで獲物を見つけた獣のように……笑った。いいや、目も口も何も無いから分からない。分からないはずなのに、ぞわりと、全身が粟立った。
理由は分からないけれど、あれは自分を傷付ける。
あれは自分を壊そうとしていると、そう確信できるほどの悪意があった。
迷鬼が一歩前へ出る度に結の身体は本能的に後退っていたが、天山神は後退った結の腕を掴んだ。
「っ。」
びくりと肩が跳ねた。恐怖で全身が冷たくなり、震えているのが分かる。心臓が苦しい、立っているのが不思議な程に足も震えている。なのに、目の前の迷鬼から目が離せない。あれは危険だと、本能だけがそう叫んでいた。結は怯えた顔で天山神を見上げた。
「て、天山神ーーー」
助けて。
そう言いかけたが。
「抜け。」
「……え?」
意味が分からなかった。
抜け?何を?
逃げろでもなく、下がれでもない。

抜け。

短いその一言に結が戸惑って居る間にも、迷鬼はゆっくりと近付いてくる。
「ぬ、抜けって何を!?」
焦り過ぎて結の声は半ば悲鳴だったが、落ち着いた天山神は結の腹部を指差す。
「そこだ。」
「……そこ?」
反射的にスウェットのポケットを見下げ、そこに手を入れると、指先に冷たい感触が触れた。
「あ……」
手に持って取り出すと、現れたのは黒い鞘に納められた短刀だった。
黒い艶の無い漆黒の鞘に装飾らしい装飾はない。
ただ、柄の先だけが銀色に輝いている小ぶりな短刀は、何故か手に馴染んだ。

「抜け。」
天山神の声が飛んで、結は顔を上げ「無理!」と首を振った。
「私、刀なんて使った事無いよ!」
迷鬼が一歩踏み出した事で地面を擦る音が聞こえたたったそれだけで結の全身が強張る。逃げたい!今すぐに。
けれど足が動かないし、更に天山神は静かに言った。
「戦わなければ死ぬだけだ。」
その言葉に息が詰まる。それは、脅しではない。事実だった。目の前の迷鬼は確実に自分を狙っている。戦わなければ死ぬ。そんな世界に居る。
「……私を使え。」
「は?…な、何言ってるの!?」