悠久の果てで、君と 〜還りし者の涙をぬぐう〜


『何しに来た。』
聞き慣れたぶっきらぼうな声だった。
少し低くて、少し不機嫌でどこか拗ねたような声。雨流の瞳が僅かに和らぐ。
「連れ戻しに来ただけよ。」

周囲には聞こえない。霊力を通して交わされる言葉だが、天山神には届いていた。沈黙。しばらく何も返ってこない。やがて、
『一度手放したくせにか。』
その言葉だけが返ってきた。雨流は目を伏せる。胸の奥が少し痛んだ。雨の日、地面に天山神を叩きつけた。

否定は出来ない。だって、事実だから。
天山神は捨てられた。地面へ叩きつけられた。長い時間一人だった。それを知っているから、雨流は静かに息を吐いた。
「……そうね。」
否定しない。認める。逃げない。言い訳もしない。
「私は愚かだったわ。」
その瞬間、ふわり、と冷たい風が吹く。
競り場の喧騒が僅かに揺らぎ、誰かが息を呑んだ。篠目がそれを見ながら目を細めら楽羅も腕を組んだまま視線を向けた。
雨流の身体が淡く光り始める。青白い光はまるで月光を纏ったような輝き。
「だから……」
静かな声を誰もが聞いていた。
誰もが目を離せなかった。花が咲くようだった。
裾と袖の方に花の刺繍が施された薄青の着物から月白の着物の上へ変ずると、藍色の羽衣が重なる。纏めていた墨色の髪がさらりと流れ落ち、肩を越え腰を越え。本来あるべき長さへと戻っていくと、ふわりと花咲く髪飾りへと姿を変えた。
星を閉じ込めたような青い瞳。白磁のような肌。ただそこに立つだけで空気が変わる。神々しい。その一言だった。競り場の喧騒が消えている。誰も声を出せない。妖達も、競り人も、篠目も、楽羅も。ただ見ていた。目の前で咲く大輪の花を。

「もう二度と手放すつもりはない。」
一歩、雨流が前へ出るその足取りは静かだったけれど迷いはない。
「戻りなさい」
青い瞳が真っ直ぐ天山神を見つめる。優しい声は責めないし怒らない。ただ。迎えに来たのだと告げるように。絶対に離さないと言うように
「私の……天山神刀(てんざんしんとう)。」
長い沈黙に、競り場全体が息を止めたようだった。
そして、黒い鞘が微かに震える。

『…………ったく。』
呆れた声だった。
『随分と勝手な女に成長したんだな。』
その声音と、ふわりと天山神は微かに笑うと、雨流は少しだけ笑った。知っている声は変わらない声だった次の瞬間。競り台の上に置かれていた天山神が光に包まれる。眩い光、妖達が目を覆い競り人が悲鳴を上げる。誰もそこに近付けない。その中心で、一人の男が姿を現した。短い髪。金にも見える琥珀色の瞳と整った顔立ち。
静かな気配に、男は競り台から降りる。一歩、また一歩と真っ直ぐ雨流の前まで歩いてくるのを、誰も止められない。誰も声を掛けられない。やがて、雨流の目の前で足を止めた。琥珀色の瞳が細められる。懐かしいものを見るように確かめるように。男は静かに片膝をついた。
頭を垂れる。恭しく。何百年も前から変わらぬ忠誠と共に。そっと手を差し出した。
「我が主、雨流。」
静かな声が競り場全体を包み、全員が息を呑む。誰も動けないし誰も言葉を発せずただその光景を見ていた。
「心より、お待ちしておりました。」
琥珀色の瞳が真っ直ぐ雨流を映す。そこにはもう迷いも戸惑いも無く、ただ。再会の喜びだけがあった。
「この天山神刀。」
男は微笑むと、ようやく帰るべき場所へ帰れたように。
「この日より、貴女様だけのものです。」
雨流はその言葉に嬉しいと微笑むように、その手をそっと手に取って「おかえり」と言った。