悠久の果てで、君と 〜還りし者の涙をぬぐう〜


結の顔色を見た楽羅が休憩を提案したが、それを否定。
前にいる篠目から「もう少しです。」とその言葉に結は顔を上げる。

「もう少し?」
「ええ。」
篠目は笑う。いつもの、人好きのする笑顔だった。
「これから異界へ向かいます。」
「……え。」
結の足が止まる。

ー……異界。

先程聞いたばかりの言葉だ。また、胸がざわつく。嫌な予感がする。
「だ、大丈夫なんですか?」
結は思わず聞いていたが、篠目は何とでもない風に頷く。
「大丈夫。」
穏やかな声だった。
「我々には楽羅がいます。」
篠目が立ち止まり後ろを見て「ね?」と言うが、楽羅は無言だった。
「必ず守ってくれますよ。」
「……。」
楽羅は否定しなかった。結を見て「守る。」と短く言った。それだけだったけれど、妙に安心する。結は少しだけ肩の力を抜いた。

しばらく歩いてから風が揺らした木々の音を聴きながら、結は前をチラチラと二人を見る。
ずっと気になっていた。本当は、最初から。
「……あの。」
「どうした?」
楽羅が答えて、「はい?」と篠目が振り返ると、結は少しだけ迷ったけれど、口を開く。
「篠目さんと楽羅さんは、何者なんですか?」
結の問いに、篠目は少しだけ目を丸くした。まさか今更聞かれるとは思っていなかったか。そして、くすりと笑うと、悪戯な表情で「何者だと思います?」と聞いてきた。
「え。」
困る。そんなことを聞かれても。結は二人を見る。
篠目は、とにかく胡散臭いが、楽羅は大きいし、怖そう。でも優しい。
「……分かりません。」
「そうでしょうねぇ。」
悩んだ末の結の反応に篠目は楽しそうだった。
結は少しだけむっとすると、楽羅が「篠目」と口を開いた。楽しそうな篠目が反応する。
「はい?」
「答えろ。」
即座に返された。篠目は肩を竦める。
「仕方ありませんねぇ。」
そう言いながら空を見ると、タイミング良くも風が吹いて篠目の髪の毛を揺らした。焦げ茶の髪の毛が何故か毛先が灰色にみえたのは気の所為か?
「……簡単に言ってしまえば、少しだけ特殊な仕事をしている」
そこで言葉を切る。
「小間使い、ですかねぇ。」
「小間使い?」
結は首を傾げる。
「ええ。」
篠目は笑った。でも、その笑顔は貼り付けたものではない。でも、本物でもない。
「偉い方々の雑用係です。」
「雑用……。」
全くそんな風には見えなかった。結が半信半疑の顔をすると。篠目は楽しそうに「失礼ですね。」と言う。
「顔に出てました?」
「出てましたよ。」
即答だったその横で、楽羅も小さく「出てた。」と頷いた。
「楽羅さんまで。」
篠目がわざとらしくため息を吐くと、結は思わず吹き出した。少しだけ。本当に少しだけ。篠目が怖くなくなった気がした。その様子を見ながら篠目は視線を前へ戻す。

ー……嘘は言っていない。少なくとも今はまだ。知らなくていいこともある。



山道を外れてしばらく進むと、木々は深くなり人の気配も無くなった。先程迄は田畑に囲まれ民家もチラホラとあったが、今は聞こえるのは風の音だけ。
「もう少しです。」
篠目が前を歩きながら言うと、結は周囲を見回した。何も無い。本当に何も無い山だった。
「どこに行くんですか?」
「着けば分かりますよ。」
相変わらずだった。すると、隣の楽羅が足を止めた。
「見えた。」
前方を指差し、結もそちらを見ると、そこは山肌だった。岩が重なり。木々に隠されているが、近付くにつれてそこが洞窟だと分かった。
「洞窟……?」
思わず呟くと、篠目が振り返った。
「ここは、入口です。」
「入口?」
「ええ。」
にこりと笑いながら「異界への。」と言った瞬間、結の喉が鳴る。まただ。異界という言葉を聞くと胸がざわつく。何故か嫌な予感がする。知らないはずなのに、知っている気がする。
「……。」
洞窟を見る。暗い。昼間なのに、奥だけが異様に黒かった。風も吹いていないし、鳥の声も聞こえない。ここは静か過ぎる。
その時、ぞくりと背筋を冷たいものが走る。
「っ。」
結が肩を震わせたのに気がついた楽羅が近寄り「結。」と呼んだ。
「……。」
「大丈夫か。」
結は答えられなかった。全然大丈夫じゃない。怖い。ものすごく、怖い。どうしてか分からない。でも、この洞窟を知っている気がした。来たことなど無いはずなのに。絶対に、無いはずなのに。胸が苦しい。逃げたくなる。
「……帰りたい。」
ぽつりと零れた言葉は自分でも驚くほど小さな声だった。篠目が振り返り結を見ると、珍しく笑わなかった。
「そうでしょうね。」
静かな声だった。
「人は本能的に境界を恐れます。」
結は意味が分からなかった。すると、大きな手が頭へ乗る。「え。」と見上げると、楽羅だった。相変わらず無表情だが「俺がいる。」と短い言葉の後に「危なくなったら、連れて帰る。」と言ってのけた。半分呆れ顔の篠目。結は瞬きを繰り返した。何だろう。その言葉を聞くと。少しだけ呼吸が楽になる。
「……はい。」
小さく頷くと楽羅も頷く。それだけだった。篠目は二人を見て。小さく肩を竦める。
「では……」
洞窟へ向き直る。
「行きましょうか。」
その一歩が、結にとって二度目の境界越えになることをまだ本人は知らなかった。