次に向かったのは寺子屋だった。
軒先で雨宿りしていた真太が顔を上げる。
「あれ。」
目を丸くする真太は「龍兄?」と声を出すと、龍之介は息を切らしたまま真っ直ぐと聞いた。
「真太!結を見なかったか。」
「結?」
真太は首を傾げる。
「いや、見てないけど?」
その顔を見て分かる。本当に知らない。龍之介は深く息を吐き出し「そうか」と言って離れようとするが「何があったの?」と聞く。
それに対して龍之介は答えない。答えられない。龍之介自身、よく分かっていないからだ。
真太も最近の結を知っているから、その龍之介よ顔色だけで察した。
「……居ないんだ。」
龍之介は黙る。それだけで十分だった。
真太は立ち上がる。
「俺も探すよ!」
「いや。」
龍之介は首を振って否定。
「お前は帰れ。」
「でも!」
「帰れ。」
少し強い声に真太は唇を噛む。でも、分かっていた。真太は子供だから「帰れ」と言われた。それでも、最後にぽつりと言った。
「結、最近ずっと変だったんだ。何か、泣きそうな顔してた。」
その言葉が胸に刺さる。龍之介は何も言わないし、言えない。
「……俺、結は笑ってる方が好きだよ。」
少し泣きそうな真太。その言葉に、龍之介は脳裏に一つの場所が浮かんでいた。静かな場所。結が一人になりたい時に行く場所。そして、自分が教えた場所。真太にちゃんと帰るように言い聞かせる。
「ちゃんと連れて帰ってきてよね、龍兄!」
「あぁ、もちろんだ。」
再び駆け出し、石畳にたどり着いて長い階段を見上げた。霞んで見える鳥居が少し不気味だ。
「……神社。」
今度は迷わなかった。
龍之介は神社の石段を駆け上がり、鳥居を潜って境内へ飛び込む。
「結!」
雨音が強すぎて聞こえないだろうが、叫ぶ。
返事は無い。雨音だけが響く。龍之介は肩で浅い息を繰り返しながら辺りを見回した。誰も居ない。いつもの場所へ向かう。神社の裏手の街を見下ろせる岩場は結がよく座っていた場所。
「……っ。」
居ない。
龍之介の眉が寄り、胸騒ぎが強くなる。境内を見回し更に奥へ足を踏み入れた。
普段は入らない場所に古い木々が生い茂る。雨に濡れた土が足元を滑らせる。その時だった。
「……?」
木の根元に何かが見えた。人影だ。目を凝らした龍之介はその姿を捉え、息を呑み「結!」と傘をその場に投げ捨て駆け寄った。
一際大きな大木へ背を預けるように座り込んでいる結は袖も裾も雨を吸って重くなっている。
綺麗に止められるようになったと喜んでいた髪も乱れて簪も外れかかっていた。
何度も転んだのか、頬には泥が付いているその姿は酷く痛々しかった。けれど、龍之介は僅かに安堵する。
ー……見つけた。無事だった。
それだけで十分だった。
「結。」
もう一度呼ぶと、結の肩が僅かに揺れてゆっくりと顔を上げる。雨粒が睫毛を伝って、焦点の定まらない目が開かれた。虚ろな表情。その顔を見た瞬間、龍之介は言葉を失った。
「――っ!?」
まるで、世界に音が消えたように静寂に包まれる。
瞳が、青かった。
ただ青いのではない。深い、どこまでも深い青。
夜明け前の空を閉じ込めたような、月明かりを溶かした泉のような、静かな光を宿した色。雨粒を受ける度に微かに揺らめくそれは、まるで瞳の奥に星が沈んでいるようだった。
ー……綺麗だ。
そう思った。思ってしまった次の瞬間には、背筋を冷たいものが走る。
ー……違う。
これは、「結」じゃない。結の瞳は黒い。こんな色ではない。龍之介は知らない。こんな色を、美しいはずの知らないはずの色なのに、何故だろう……目を離してはいけない気がした。
その青は美しく、そして恐ろしいほど人間離れしていた。
「……結。」
龍之介の声は低かったが、その声に気がついた結はぼんやりとこちらを見る。見ているけれど、見ていない。そんな目だった。やがて、唇が微かに動く。
「……りゅう、のすけ……?」
掠れた声は聞き取れないほど小さい。
龍之介は眉を寄せる。
「何だ。」
それに対しての返事は無く、結の身体がぐらりと傾く。
「っ!?」
咄嗟に抱き留め、目を見開く。熱い。異様なほどの熱を持っていた。
雨に打たれ続けていたはずなのに、身体は燃えるようだと思った。こちらの冷えた体に熱が移されていく感覚にゾワッと震えた。
「結!」
龍之介が呼んでも返事は無い。青い瞳がゆっくりと閉じられ、そして再び開いた時にそこにあったのはいつもの黒い瞳だった。

