悠久の果てで、君と 〜還りし者の涙をぬぐう〜


雨が更に強くなった音よりも大きな月子の「結ー!」と言う声が響く。時刻は夕餉の支度が始まる頃だった。
先程結の部屋に呼びに行ったがいなかった。買い出しを頼んだ台所の姉さん達も「戻ってない」と言い、玄関先で作業をしていた少女達でさえ、行方は知らなかった。
「まだ戻ってねぇのか?」
月子の声に反応した大吾が眉を寄せる。買い出しへ出てから随分経つ。外は大雨。嫌な沈黙が落ちる。大吾が傘を持って外に出ようとした時、龍之介が仕事から戻って来た。
「……何かあったのか?」
月子が説明している間、他の人達も帰ってきた事で「俺も探しに行くよ」と玄関先に数人の声が上がるよりも早く「行ってくる」と飛び出したのは龍之介だった。

短い言葉。それを、誰も止めない。止められなかった。
最近の結を誰より近くで見ていたのは龍之介だったのもあるが、彼がここまで他人の為に動く事があるのかと驚いていたのもあった。
結局、大吾の「いくぞ!」で動ける人達が一斉に駆け出したのは、言うまでもない。

雨の中だろうと関係なく周辺を探していた龍之介が「おい。」と、街角で声を掛けられる。
龍之介が振り返ると、近所の男が買い物袋を持っていた。
「お前んとこの娘のじゃねぇか?」
差し出された袋は「万事屋」の文字が刺繍された買い物袋で、それは雨に濡れ泥で汚れていた。
受け取り中身を確認したら、やはり、月子に頼まれた買い物だ。それから使えなくなった傘。
「道に落ちてたぞ。」
龍之介の表情が変わった。
「どこだ。」
「え?」
男が龍之介の声に1歩下がった。
「どこで拾った。」
滅多に感情を見せない龍之介の声は低い。数年単位で龍之介を知った男でさえ、初めてだった。
「お、大通りだよ。」
荷物を抱えた龍之介。だが
「……。」
足りない。何かが。
結がいつも腰に差していた短刀だ。それだけが無かった。腰にさして持っているならそれでいい。龍之介の眉が僅かに寄る。なぜだか嫌な予感がした。
荷物を抱え直し、雨の向こうを見る。
「結」
呟くと同時に駆け出した。男は、その様子を黙って見送る。

その頃ーー
誰かが拾い上げた短刀は、どれだけ力を込めても、誰が握ってどれだけ抜こうとしても……ぴくりとも動かなかった。
まるで、持ち主以外を拒絶するように。



雨は強くなるばかりだった。
龍之介は傘をさしていたが、濡れることも気にせず街を走っていた。
結が居そうな場所を考える。最近よく行く場所。話をする場所。落ち着く場所。
最初に思い浮かんだのは茶屋だった。方向を変えて再び走り出す。

ガラッと勢い良く戸を開ける。店仕舞いをしていたらしい。彩乃の両親が驚いた顔でこちらを見て、片付けをしていた彩乃が「ごめんなさい、今日はもうーー」顔を上げ、言葉を止める。
「りゅ、龍之介!?」
顔を見ただけで心臓がはねた。全身が熱い。
それにしても珍しい。そう言いたげな顔だった。龍之介は答えない。
「結は来てるか。」
その言葉に彩乃の表情が変わる。落胆も含まれていたが、その様子に違和感を覚えた。
「え?」
「来てないのか。」
「ちょ、ちょっと待って!結がどうしたの?」
龍之介は黙る。
説明している時間が惜しかった。だが、彩乃は引かない。
「龍之介。」
彩乃の声が少し強くなる。
「最近あの子変だった。笑ってても、何か違った。」
彩乃は眉を下げ、前掛けを握る手に力が入った。
「私にも話してくれなかったし……」
その言葉に龍之介は視線を伏せた。
もちろん知っていた。自分も見ていたから。
「来てないんだな。」
「うん、来てない。」
彩乃は首を振ると、不安そうに外を見る。
「何があったの?」
龍之介は短く「分からない。」それだけ言って踵を返す。来ていないなら長居は不要。
「龍之介!」
呼び止める声に振り返らない。
「見つけたら!」
彩乃の声が雨の中へ飛ぶ。
「絶対連れて帰ってきてね!」
龍之介は小さく手を上げた。それが返事の代わりだった。去っていく背中に彩乃は無事を祈って両手を合わせた。