悠久の果てで、君と 〜還りし者の涙をぬぐう〜


パタンと障子が閉まり、部屋には再び静けさが戻った。
けれど、先程までとは違う静けさ。異界とは違った、優しい静けさだ。

結は改めてゆっくりと布団へ身体を沈め、痛む傷に顔を顰めた。身体も思うように動かない上に痛みも引かない。筋肉痛みたいな痛みが全身を覆っているみたいだ。
それでも不思議と嫌な気分ではなかった。
天井を見上げ、古びた木の梁と障子から差し込む柔らかな光に自然と心が解れていく。
風が吹く度に木々が葉を揺らしていた。
障子の向こうからは人の声が聞こえる。誰かが笑っている。誰かが怒られている。何を話しているのかまでは分からない。言葉は途切れ途切れで、鮮明には聞こえなかったけれど、ここが、万事屋が賑やかな場所なのだろうと言う事だけは分かる。
どたどたと廊下を走る幾つもの足音と何かを運ぶ音。遠くから聞こえる男女の笑い声は、人が生きている音だった。ぼんやりとそれらを聞いていた時に、ふわりと良い香りが漂ってきた。い草の匂いとは違う、温かな香りだ。これは、そうだ!お米の炊ける匂いと味噌の香り。どこか甘い野菜の匂いも混ざっている。
「……。」
自然と鼻が動いた途端。
ぐぅぅぅ……。
静かな部屋に間の抜けた音が響き、結はしばらく天井を見つめたまま固まり、それから小さく布団へ顔を埋めた。どうやら思っていた以上に腹が減っていたらしい。

しばらくして、再び障子が開いた。そこに居たのは月子。手に持っているのはご飯だろうか。
「起きられるかい?」
「はい」
頷くと、月子は背中へそっと腕を回し先程と同様に体を起こしてくれた。
冗談めかして「食べさせようか」と言うから、その声に思わず小さく笑ってしまった。

起き上がったそばに木の丸い机があり、それを引っ張った月子がそこに食事の乗った膳を置いた。
ご飯は食べやすい白い粥だった。
柔らかく炊かれた米は形が崩れ、つやつやと光っていて、その真ん中には梅干しがひとつ。鮮やかな赤色が白い粥によく映えていた。
隣には大根がごろりと入っているお味噌汁。湯気と共に味噌の香りが漂い、鼻の奥をくすぐった。
湯呑みに入ったお茶は香りからして麦茶だろうか。
どれも豪華なものではないけれど、異界には無かったものばかりだった。
「ほら、冷めないうちに食べな。」
結は木でできた匙をもって粥をひと口掬うと、ふうふうと息を吹きかけてから口へ運んだ。
「……。」
温かい。
じんわりと舌へ広がる米の甘み。柔らかく炊かれた粒が喉を通り過ぎ、その熱が空っぽだった身体へ染み込んでいく気がした。
次に梅干しを少し崩し、塩気が混ざる。優しい酸味に思わずもうひと口。またひと口。
匙が止まらない。あっという間に粥を平らげ、匙をおくと味噌汁を飲む。木椀から伝わる熱と味噌の香り。柔らかく煮込まれた大根は口の中でほろりと崩れ、出汁の味が広がる。

温かかった。本当に、温かかったのだ。

結は黙ったまま食べ続ける様子を見守る月子は何も言わない。向かい側へ腰を下ろし、ただ見守っていた。急かす事も話しかける事もない。ただ、ちゃんと食べているかを確かめるように。その眼差しは何処か母親によく似ていた。
結はふと視線を上げると、月子と目が合った。ふわりと微笑む月子の「美味いかい?」と聞いてくる穏やかな声に結は頷く。
一度、二度、三度。
言葉にならなかった。それを見た月子は小さく笑うとスススと傍に来て「そうかい。」と背中を撫でてくれた。
それだけだった。それだけなのに、何故だろう。胸の奥が熱くて、気付けば涙がぽたり、ぽたりと落ちていた。