ー……眩しい。
最初に感じたのはそれだった。閉じていた瞼の向こうから柔らかな光が差し込んでいるのが分かる。でも、それはとても温かい。
身体が沈み込む感覚は何処か柔らかな場所に横たわっているらしい。なら、ここは……ベッドの上?
「ーーー……。」
ゆっくりと瞼を開き、まず先に見えたのは木だった。見慣れない木の天井。太い梁は長い年月を経た木材の色。
鼻をくすぐるのは乾いた木の匂いと、どこか香ばしい食べ物の匂いだった。
耳を澄ませば少し遠くから外から声が聞こえる。
「おーい!」
「こっちじゃねぇ!そっちに持ってけ!」
「龍之介、手伝ってくれぇー!」
誰かが笑う声、誰かが怒鳴る声と何かが軋む音。
遠くで犬も鳴いていた。
とても騒がしいけれど、嫌な騒がしさではない。起き上がろうと力を入れた瞬間
「いっ……!」
全身に痛みが走り、思わず顔をしかめた。ズキズキ、ジンジンと色々な痛さが体を襲う。
そこで初めて気付いた。鉛のように重くなった腕の傷口には綺麗に布が巻かれていた事に。誰かが手当てをしてくれたらしい。
そして、自分が寝かされているのは祖父母の家に居る時みたいな、い草の香りに包まれた畳の上に敷かれた布団だった。
障子窓の隙間から明るい外の光が差し込んでいる。窓の外では風に揺れる木々が影となって映っているのが見えた。
「……ここ。」
何処だろう。異界ではない。それだけは分かった。
だって。鳥居もないし、迷鬼もいない。紫色の空もない代わりに、「人」が生きている音がするからだ。
それだけで少しだけ肩の力が抜けた。
暫くし、障子が静かに開いた。
顔を覗かせたのは一人の女性で、年齢は四十代半ば程だろうか。艶のある長い黒髪を後ろでひとつにまとめていて、決して派手な美人ではないが、目を引く人だった。
優しい目元はよく笑うのだろう。口元にも柔らかな皺が刻まれている。藍色の着物の上から少し汚れた前掛けを巻き、袖は襷で留めていた。
この女性はつい先程まで台所に立っていたのかもしれない。手には湯気の立つ桶が抱えられている。
「あら。」
中音域の心地のいい声の女性は結と目が合うと目を細めた。
「起きたのかい。」
不思議だと思った。初めて会った筈なのに、その声を聞いただけで少しだけ安心した。
「えっと……。」
やっと絞り出せた声。女性は何も言わずに障子を閉めると結の近くに近寄り座った。
「話は後だよ。」
女性は結の額へそっと手を添える。母親が子供の熱を確かめるように。壊れ物へ触れるように。
「ん、熱は無さそうだね。」
その手は温かかった。大きくはないが、少しカサついていたけれど優しい手に、結は何故か目を逸らせなくなる。
「……。」
「腹はすいてるかい?」
唐突な質問。結は瞬きを繰り返し「え?」と、聞き返すと、女性が「腹さ。」と当たり前のように言う。
「空いてるなら飯にしよう。」
異界、迷鬼、鳥居。何があったかなんて何も聞かない。
何処から来たのかも、何故川に流されていたのかも、一切聞かない。ただ、結だけを見ていた。
「……少し?」
本当はかなり空いていたけど、何となくそう答える。すると女性はふっと笑い「少しかい。」と、どこか楽しそうだった。それから結の肩へ手を添える。触れるか触れないかの位置。
「他は痛むかい?」
「いいえ。今は、肩が少し……。」
「そうかい。」
頷くが大袈裟に心配も軽く扱うこともしない。
「起きられそうかい?」
「……た、ぶん?」
結が頷くと女性は背中へ腕を回した。
「ゆっくりでいいよ。」
支える力が絶妙だ。強すぎず、弱すぎず。結が自分で座れる様に支えてくれるのは、まるで昔から知っている人みたいだった。女性は枕を退けて結の背後で膝をつく。
そして桶の中へ手拭いを浸した。水の音と手拭いをぎゅっと絞る音。湯気がふわりと立ち上った。
「少し失礼するよ。」
そう言うと結の来ていた浴衣を少しズラすそれは、驚くほど自然な手つきだった。結が身構える暇もなく温かな手拭いが背中滑った。首筋。腕、前へ移動し胸元。汚れの残る指先と、傷口へ触れないよう気を付けながら丁寧に拭いていく。
包帯も巻き直してもらい、浴衣を整えてもらい女性に支えられながら再び横になる。
「……ありがとう、ございます。」
結のお礼に女性はフッと笑う。
「無理しなさんな。けが人は寝てな。」
叱るわけでもなく、甘やかすわけでもなく、当たり前のことを言うような口調だった。女性は桶を抱えると立ち上がる。
「飯の支度をしてくるからね。」
そう言って障子へ向かうと、ふと思い出したように振り返った。
「私は月子(つきこ)。この万事屋の人間さ。また来るからゆっくりしてな。」
女性ーー月子は、そう言うと出ていった。静寂に包まれながらも不思議と寂しさは無い。
「……よろずや?」
聞きなれない言葉。それでも、誰かが居る。そんな当たり前のことが酷く嬉しかった。

