目の前に見える全てが、どこかで見た空と似たような色をしている事に、何故か無性に泣きたくなった。夕焼けとも夜空とも違う。藍色と紫色を溶かしたような空の中に、無数の光がゆっくりと流れているそれが、星にも見えた。けれど、それは瞬いていない。光の粒は川のように空を渡り、どこか遠い場所へと消えていく。流れ星かな。
雲はない。太陽もない。月もない。
それなのに世界は淡く光っていて、明るかった。
空の向こうにはさらに別の空が透けて見えて、まるで幾重にも重なった硝子の向こう側を覗いているようだった。息を呑むほどの幻想的な色に、綺麗だと素直に思う。だからこそ、怖かった。
見たことがない。こんな空は知らない。
風が吹く。ー……どこから?
頬を叩く。ー……なんで?
髪が横目に流されている。
胸の奥がひどく騒がしい。
そこでようやく、澄嶼 結(すみじま ゆい)は異変に気付いた。
「……私、落ちてる?」
1拍。
嫌でも追いついてしまった思考回路。空の色が綺麗だと見とれている暇は無い。何故なら、現在進行形で結は真っ逆さまに落下しているからだ。
「いやぁぁぁぁぁあ!!」
命綱無しのバンジージャンプなんて経験したくない!
バタバタと暴れる内に体の向きが変わり、落ちている方向にグルンと切り替わって更にギョッとする。
「ちょ、地面!地面がないんだけどっっっ!?」
上下左右見渡しても地面は見当たらず、有るのは美しい紫色の空だけ。それなのに体はどんどん下へ落下し続けている。
「まって、待って待って待って待って待って!?」
当然結の「待って」は叶うことなく、目に涙を浮かべた時、ジワリと見えた先の地面に少しだけ安堵したのもつかの間、このまま減速する事なく落下したら自分の体はーーーそこまで考え、最悪を想像し、せめてもの抗いだと体を小さく丸めた時、初めて自分が何かをずっと持っていた事に気がつく。それは、短い刀だった。わけも分からない状況に加えて自分の悲惨な姿を想像して諦め掛けたが、見えたそれに少しだけホッとする結はドボーン!と水の中へ落ちた。冷たくも熱くも無い。勿論痛みも。あるとしたら少しだけ不思議な感触がする位。
「……〜〜〜〜っっはぁ!!、ゴホッ!」
ブクブクと上がった泡の後、水の中から這い上がって来た結は口の中に入った水を吐き出しながら何とか岸に上がり、赤い息をしたままゴロンと横になった。
「いき、てる……」
未だにドッドッと早鐘を打つ心臓。持っていた短刀を握り締め、結そのまま意識を手放した。
ー……おめでとう!
そう言って笑う母の顔と父の顔が見えた。
薄暗い部屋、灯るケーキのロウソク。
揃ったバースデーソング。
甘い香りに心が満たされる。
あれ、父が何かを話している。でもそれは聞こえない。まるで水の中に居るようにくぐもって聞こえる。
ー……ごめん、聞こえない……もう1回言って
あの時父は私に何て言ったんだっけ……。
あの時二人は、なんであんな顔をしていたんだっけ……。
「……ふぇっくしょい!!」
なにかの夢を見ていたなと思いながら目を開けると、至近距離に見えた緑色に、いつからベッドのシーツが緑色に、しかも芝生みたいな感触になったんだと考えた瞬間、結の意識は完全に覚醒した。
飛び起きて、すぐにこの場が自室ではないとわかったが、それに対しての理解ができない。
何故自分がここにいるのかさえ分からない。そもそも
「ここ、どこ。」
そっと空を見上げると、藍色と紫色の空が広がっている。点在して光るのは星。
視線を落とし、空から湖へ。湖面が風に揺れながら小さく動くが、その波紋が広がる度、水の中には知らない景色が広がっていた。
見たことの無い街並みや山に、森。
浮かんでは消え
浮かんでは消えを永遠と繰り返している。
「……なに、これ。」
その景色は美しいと言うよりも怖い。
その筈なのに、結は小さく「綺麗」と零していたことに自分自身が1番驚く。
生暖かな風がもう一度拭くと、ぶるりと体を震わせた。それでも、服も髪も濡れていない。目覚めるまでに乾いたのだろうか。実に不思議だと思う。
ゆっくりと立ち上がり辺りを見渡すと、ここは森の中の湖の湖畔。知らない場所で歩くのは危険だと分かっていても、この場から遠目に見える鳥居に妙に惹かれた。
「……よし、行くか。」
ずっと握りしめていた刀を持ち直し歩き始めた結。
足から伝わる感触でここが夢の中では無いことはとうに気がついていた。
暫く森の中を歩いていると、美しい桜の木が見えた。
季節的に間違ってはいないが、不思議な事に少し先は紅葉。少し先は青々とした木と季節感がバラバラで頭がこんがらがってしまう。体感温度も春のような冬のような感じ。でも、居心地は悪くない。逆に過ごしやすい。
「変なの……」
少しだけ整えられた道に出た。
これならもしかしたら人が近くにいるかもと考え早歩きをしたが、森をぬけた瞬間ここに来てから何度目だろう。言葉を失う事になる。
目の前に広がる世界は正しく「中途半端」と言う言葉が当て嵌る有様だった。
恐る恐る緩やかな傾斜を下りて、左右の景色を眺める。
途中で途切れた石段
何処へも続かない真っ二つの橋
壁だけを残した建物に窓はあれど向こうの景色は映らない。
柱だけが立ち並ぶ廃屋には扉はあっても部屋はない。
それなのに果てしなく続く道は、霞んで見える鳥居に迄迄伸びている。
まるで、ここは誰かが作りかけた世界を置き去りにしてしまったようだ。
それとも、初めは完成していたのだろうか。
完成していたのに壊してしまったのだろうか。
結には真実が分からない。
風は拭いているのに音はない。
有るのは結の出す音のみ。
「まるで……」
そっと壁だけの家に近寄る。空いている手で触れてからもう片方の手で刀を握りしめた。改めて見渡すと何とも寂しい場所だと思う。だから余計に
「誰かのお墓みたいね。」

