千回目のあなたへ 〜十七の夏、迎えにきたのは神様でした〜

 ***

 森の小道を駆け上がると、道はぷつりと途切れていた。
 錆びた看板に、「立入禁止」の文字。

 雨は、いつのまにか本降りになっている。
 森の奥に、増水した川を渡る古い木橋があった。

 雨に濡れた欄干は黒ずみ、足元の板は今にも抜けそうだ。
 橋の真ん中で、雛乃が京介を欄干に寄りかからせていた。
 京介は雨の中、スマホを構えている。

 「もうちょっと、こっち寄って! 久遠桜が見切れちゃう!」
 「この橋、結構古いんだろ。あんまりはしゃぐなって」
 「大丈夫だって。ほら、早く撮って!」

 声を上げようとした、その瞬間。
 ぎしっ、と古い木の欄干が軋んだ。

 「京介――!」

 ばきっ、と音を立てて、欄干が折れる。
 京介の体が、隙間から外へ滑り落ちた。
 ばしゃんと川に落ちる音と、雛乃の悲鳴がほとんど同時にあたりに響く。

 考える前に、体が動いていた。
 わたしは橋を駆け上がり、欄干を蹴って川へ飛び込む。

 「朱里――!?」

 冷たい水が、全身を呑みこんだ。
 流れは、思っていたよりずっと速い。
 水の中で目を開けると、京介の制服の白がすぐそこで揺れていた。

 必死に水を掻いて、その腕を掴む。
 京介は、ぐったりと意識を失っている。
 ありったけの力で、岸のほうへ押した。

 流れの淀みに乗って、京介の体が岸へ近づいていく。

 「京介を――!」

 そこまでが、精いっぱいだった。
 岸辺で、雛乃がはっとしたように動く。
 流れついた京介の腕を、両手で引き上げていた。

 ――よかった。

 そう思った瞬間、全身から力が抜けた。
 足をすくわれ、体が流れに呑まれる。

 息が、できない。
 伸ばした指先は、もう、何にも届かない。
 遠ざかる岸辺で、雛乃が泣きそうな顔をして、動かない京介のそばに膝をついている。

 ……京介は、助かった。

 なのに、胸の奥がひどく寂しい。

 飛び込んだときは、岸まで押し出せば自分もどうにか戻れると思っていた。
 でも、川は思っていたよりずっと深くて、流れも速い。

 もう、足がどこにもつかない。

 きっとわたしは助からない。

 そう分かった瞬間、これまで押し込めていた気持ちが、ふいに胸の底から浮かび上がってきた。

 悪い人生だったわけじゃない。
 大きな病気もしなかったし、帰る家もあった。

 つらいことがなかったわけじゃないけれど。
 ごく普通の、平凡な十七年だったと思う。

 それでも……もしも来世があるのなら。

 一度でいいから、誰かの一番になってみたい。
 誰かにとっての、替えのきかない“特別”になってみたかった。

 視界が、暗くなっていく。

 その時――。
 雨雲が裂け、水の中へ月の光が差し込んだ。

 やわらかな光に導かれるように、桜の花びらが川底へ降りそそぐ。

 「……り。……かり」

 誰かが、わたしの名前を呼んでいる。

 花びらと月光の中、白い衣をなびかせ、紅い瞳の男が手を伸ばす。

 長い白銀の髪が、水の中でほどけるように広がっていた。
 毛先だけが、桜の花びらみたいに淡く染まっている。

 「朱里」

 わたしの体は、ふわりと抱き上げられた。

 「――迎えに来たよ」

 知らない人のはずなのに。
 わたしはその声を、ずっと前から知っている気がする。

 落ちていく意識の中で、視界が白くほどけた。